第41話「1カートン」

 牧田さんと会ったのはそれから数日もしないうちだ。

 ぼくとしては時間に余裕があったので会おうと申し出たが、彼女の方は忙しいとのことで、駅の構内で待ち合わせをした。


「久しぶりだね」


 そう言った彼女は、以前とは違い快活な表情をしている。

 さすがに寒さもピークに達する時期だからか、肌を出すような恰好はしていない。

 ピアスも外してメイクも薄く、ほとんど着飾っていないようなものだ。


「今日はどうしたの?」


「ごめんね、こんなところに呼び出してさ。堤君のことでお礼を言いたくて、でも電話じゃあれかと思って」


 堤。

 忘れていたわけではないけれど、懐かしい響きだと思う。


「俺もずっと会ってないよ。連絡もしてないし、向こうからも来ないしさ」


「大学、辞めたらしいよ」


「えっ?」


 ぼくが構内で驚きの声を上げると、一度だけ反響した。


 牧田さんはあくまで冷静な素振りで、


「自首をしたんだってさ。田辺君が何か言ってくれたの?」


 自首ということは、彼は自分の罪に向き合おうとしているのだ。

 あの橋の上で散々迷い、ついぞ答えを出せなかった堤がようやく出した結論なのだろう。


「おれは大したことは言ってないさ。お前が会いたいときに、おれは行くよって。それだけだよ」


「充分嬉しかったと思うよ。それとこれ、堤君から」


 コンビニのロゴが書かれた袋を渡されたかと思えば、出てきたのは煙草のカートンだった。

 吸わない人間からすれば縁のない話だろうが、要は煙草が十箱入っている鉛筆のダースだ。


「あいつ、ほんとに……。約束をしたんだよ。話を聞いてくれたお礼に煙草くれるってさ」


「彼らしいね」


「うん」


 弁護士になる夢と、その狭き門という現実の間に揺れ動いた彼は、いよいよ自分の過ちを認めて次へ進もうとしていた。


 本人の言う通り、有罪判決が下っても執行猶予で済むだろうし、それが終われば法職に就く資格は手に入る。


 あとは彼の努力次第といったところだ。


「これ吸い終わったらもう辞めろって言ってたよ。健康に悪いってさ」


 ぼくは笑って、


「よく言うよ。あいつだって喫煙者のくせに」


「私も辞めたんだよ。子どもの前で吸うわけにはいかないしさ」


「子どもって保育士の話?」


「うん。今、実習で幼稚園とか保育園に行ったりしてるんだ。だから辞めようって。そういえば陽子ちゃんも学校に行くらしいね」


「聞いたよ。みんなそれぞれの道があるんだなって思った」


 なんとなく、堤ももう吸っていない気がした。

 だって、前を歩いていれば自傷する必要もないのだから。


「陽子ちゃんとはどうなのさ?」


 からかうような口調だけれど、目は真剣だ。


「公園で会ったよ、陽子さんが病院に運ばれたあとにさ。それからお母さんが息を引き取る瞬間に間に合ったんだ」


「そう、よかった。プレゼントは渡せた?」


「うん。この前ようやくね。牧田さんのおかげで喜んでくれたよ」


「堤君とはしばらく会えないと思う。でも、また付き合いたいって言われたんだ」


「なんて返したの?」


「待ってるよって」


 その優しい声は、以前「あの人」と堤を呼んでいたそれとは明らかに違う。


「そうだね。おれもあいつを待ってる。弁護士になれてもなれなくても、堤は堤だからさ」


「ありがとう。田辺君のおかげだよ。私も救われたんだ」


「どういうこと?」


「私じゃ、彼を説得できなかったもん。だって、突き放しちゃったからさ。それで余計追い込んじゃったのかなって思ってるの」


 実際ああいう泥沼に入りかけている人間のそばにいれば、共倒れは必至である。

 彼女の判断が必ずしも薄情だの間違いだのと非難することはできない。


「田辺君はこれからどうするの?」


「単位も取り終わったから、就職活動するさ。画家になるわけじゃないけど、絵はこれからも描いていくよ」


 人生に喪失は苦痛は付き物だからさ。

 口の中に留めた。


「今度さ、四人で会おうよ。今年陽子ちゃんも二十歳になるし、お酒飲んでさ」


 牧田さんの提案に、


「陽子さん、酔ったらどうなるんだろ」


「田辺君にベタベタするかもね」


 あの晩を思い出す。

 不安と暗闇に覆い被された、ろくに肌も見られない夜を。

 

 表情の機微に牧田さんは目敏めざとく気付いたのか、面白そうに微笑んでいた。

 やはり彼女の前では何もかもお見通しだ。


「付き合うの?」


「うん。ずっと一緒にいたいんだ」


「そっか。今度は自分でプレゼント選んでよね」


「あの合コンもさ、マルチの一環だったらしいけど、牧田さんと知り会えてよかったよ」


「不思議だよね。カモを探すために合コン開いたのに、元カノの私と鉢合わせして。それにそれがきっかけで足を洗って」


「堤にとってもいい機会だったと思う。あれが人生を変えた日なんだって思うと」


 ぼくが言うと、


「毎日そうだよ。いつだって人生が変わる日だと思う」


 そうかもしれない。


 駅の雑踏は足音で溢れている。

 電車の騒音が規則的な頻度で地面を揺らし、みなスマホを手に首をすぼめて歩いていた。


 クリスマスや正月が終われば元の日常である。

 変哲のない、けれど大切な日常。


 人は現状を打破して変わろうとするとき、「いつか」という言葉を使う。

 けれどその「いつか」は「今」でもいいのだ。


 自分自身、陽子さんと会わなければいつまでも肉親の死という悲劇に浸っていたのかもしれない。


 そう考えると、ぼくたちは相互に影響し合って、この冬に人生を変えたのだ。


「それじゃあね。それ吸ったら煙草、辞めなよ」


 雪道では頼りなさそうなスニーカーを軽快に転ばせて、彼女は改札を抜けていった。

 遊びに行く恰好ではなさそうだ。

 時刻は昼前だから、これから実習にでも行くのかもしれない。




 

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