第27話「告白」

 ホープの煙を吐きながら、


「わかったよ。一人の友人としてぼくが言えるのは、怪しいことは今すぐやめろってことだ。それ以外にない」


「俺に大学を辞めろってか。サークルの人間に馬鹿にされて、後ろ指を指されて、弁護士になんてなれるわけがないって思われてさ」


「そうだよ。罪を犯したのなら、それを償うしかない。それを一番わかってるのは堤だろ?」


「もちろんだよ。でも……」


 俯いた彼に対して、


「なら話を変えよう。聞きたいことがあるんだ」


 固い椅子の上で、半分麻痺した臀部でんぶをずらす。


「柿崎さんのことだよな」


 自分の瞳の中の瞳孔が、じわりと大きくなってむず痒い。

 今までずっと聞きたかったことだけれど、明言するのを躊躇していたのだ。


 おそらく既に陽子さんがハメられていれば牧田さんに話は伝わっているはずだから、被害に遭っている可能性は低い。


 でも万が一、彼女が餌食になっていたら。

 彼女が病床の母親を心配しながら働いて稼いだなけなしの金を、目の前の人間が奪っていたら。

 

「被害者の中に、彼女はいるの?」


 言葉にする前から、心臓が早鐘を打っていた。


 堤はスッと顔を上げて、淀みなく言った。


「いない。柿崎さんは無関係だ」


 久しぶりに彼らしい毅然とした声色を聞いた気がする。


「本当に?」


「本当だよ」


 彼の明瞭な言い草に、遠い昔の友人の名前を聞いたような懐かしさを覚える。

 嘘だとは思えなかった。


 胸を撫で下ろすぼくに向かって、


「あの女性とは麻衣の紹介で知り合ったけど、まったく関わりはなかったよ。それが七月頃、まだ麻衣と付き合っていたころで、あいつが留学に行く前の話だ。

 おれはもちろん、はじめは柿崎さんをカモだと思ったよ。いかにも優しそうで気弱な感じがしてさ。例のUSBを押し売りするのは簡単だと思ったからね」


 ぼくが知っている以前の陽子さんは、他人を寄せ付けない雰囲気を纏っていた。

 まだ母親の病態が良いころで、彼女にも余裕があったのかもしれない。

 がんの進行は恐ろしいほど気まぐれだから、夏と冬ではまるで状況も違うだろう。


「でも、そうこうしてるうちに麻衣が留学から帰ってきて、おれのやってることに気付いて別れたんだ。そこからはもう誰にも勧誘はしていないし、柿崎さんのことは忘れてたよ。

 でも、お前から美術館で陽子さんっていう人と知り合ったって聞いて、なんとなく柿崎さんだって分かったんだ。珍しい名前じゃないけれど、なんとなくさ。ここで、田辺に柿崎さんを捨てるのかって聞いたの、覚えてる?」


 ぼくが首を傾げたので、


「お前は何でも捨てる癖があるよなって話をしたときだよ」


「ああ、思い出した」


「うん。それに対して、田辺は何も言わなかったよな。でも顔にはハッキリ、捨てたくないって書いてあったんだよ。それで余計、柿崎さんには手を出そうだなんて思わなくなったのさ」


 鏡でもなければ自分の顔は見れないけれど、あのときの自分が未練がましい表情をしていたことは容易に想像できた。


 堤は一度深呼吸をする。

 目も据わっていないし呂律も回っているが、彼の顔は真っ赤に火照っている。

 ぼくが来るまでにも、何杯か飲んでいるのだ。


「おれは何度もお前に探りを入れていたんだよ。柿崎さんを被害者にしようかどうかってさ。図書室で会ったときも、柿崎さんは不思議な人で自分の手には負えないから、おれの方が適役だってこぼしたよな」


 堤を自分の胸を指しながら言う。

 それはたしかに覚えている。


「自分じゃないって、堤は否定したもんな」


 牧田さんにフラれて勧誘に身が入らなくなったとはいえ、首が回らない堤にとって陽子さんはそれこそ格好の餌食だろう。

 にもかかわらず、「適役はおれじゃない」と堤は自ら関わりを拒んだのだ。


 ぼくにとって陽子さんは単なる知人か、あるいは特別な存在なのか。

 自分が捨てると一言でも口にしていれば、それを言質げんちに勧誘していたかもしれない。

 そう考えると、ぼくはずいぶん危ない橋を渡っていたのだ。


「でも、つい最近連絡をしたった聞いたぞ」


「それはお前との関係を知りたかったんだ。田辺には彼女ができたことがないからさ」


 余計なお世話だ。


「麻衣から俺の話は聞いてるらしくて、取りつく島もなかったよ」


 そこで彼は、お猪口に日本酒を注いだ。

 とっくに冷めているのだろう、湯気は立っていない。


 ぼくが黙っていると、


「もう疲れたよ。悪事を働くってのは、真面目でいることよりも努力が要るんだな」


「そう口では言っても、大学を辞める気も、悪徳サークルを抜ける気もないんだろ」


 徳利を丁寧に置くと、ずっと神妙な顔をしていた堤が、ここではじめて歯を見せて笑った。


 どういう意味なんだろう。

 そう思った矢先だ。


「なあ田辺」


「うん?」


 ごくりと喉仏を動かして、


「助けてくれないか」


 そのとき、ぼくはたしかに硝子ガラスの向こうで光る居酒屋の安っぽい光を見た。


 そして理解する。

 慰めてほしいだなんておくびにも出していなかったのは、強がりなのだと。

 ぼくのそばにいながら、勧誘して金を奪うことも、弱音を吐いて助けをうこともせずに三年も堪えてきた彼が、ようやく、その言葉を口にしたのだ。


 胸の奥にジワリと広がって、緩慢に浸潤していくのを感じる。

 堤は今、恥もプライドもすべてかなぐり捨てたのだろう。


「なら、もう出ようよ」


 ぼくが言うと、


「少し夜風にあたってもいいかな」


「うん」


 おれが出すよと言った堤から伝票を奪って、手早く会計を済ませる。

 レシートを見ると、堤はビール四杯に日本酒の熱燗あつかんを二合も飲んでいた。


 ぼくが着く三十分前から店にいると言っていたが、実際は一時間も前に入店している。


 2600円と一時間。

 それが、救済の告白をさせるのに必要な金額と時間だったのだ。

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