第12話「命日」
病室の外では、音もなく雨が流れている。
薄暗い病室で、母親の泣きすする声をぼくは
あの夢だと、すぐに気が付く。
夢を見ながら、それを客観視できる状態で、人によっては夢の内容に変更を加えたり、終了させたりすることもできるらしい。
自分としてははじめての経験なので、まるで過去の世界に放り込まれたような奇妙な感覚があった。
いったい、この夢の世界はぼくに何を望んでいるのだろう。
答えはわからない。
けれど、自分のからだを自由に動かせることを確認したぼくは、意を決して一歩足を踏み出した。
ベッドの冷たい手すりにお腹を押し付けて、上体を前に傾ける。
そうして母に言われるでもなく、父さんの両肩を掴んだ。
「お父さん、お父さん」
半ば叫ぶように呼びかけると、母が泣き声が途絶えた。
ぼくの突発的な行動に驚いているのが、振り返らずとも分かる。
「お父さん、目を開けてよ。聞こえるでしょう、ねえ!」
どうせ夢だ。現実じゃない。
ぼくはそう高を
夢の中のお父さんは、ぼくの想像が作り出したものだ。
つまり彼の反応は、そのまま自分の内面を見つめることになる。
「お父さん、ほら、起きてよ!」
夢だとわかっているのに。
あくまでも空想だと知っているのに。
ぼくは声を張り上げているうちに、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちるのを感じた。
鼻の奥がつんと痛い。風邪を引いた時の味が喉に広がった。
そうして、お父さんは運命のような正確さで、ゆっくりと目を開きはじめた。
母さんが声を上げる。
ぼくは顔を近付けて、まっすぐとその瞳を覗き込んだ。
不透明な、生気の感じられない目玉。
怖かった。
からだが震えた。
息を呑んだ。
「お父さん……」
お父さんが、酸素マスクの中で乾いた唇を開いた。
たった一言分の、口元の動き。
「えっ?」
やはり聞こえない。
その時、心電図が突然けたたましいアラームを鳴らしはじめた。
ぼくと母は、二人して顔を上げる。
脈拍が急激に下がり始めたのだ。
50、40、30……、父さんの命が減っていく。
時間がない。
焦燥感に駆られて、乱暴なほどに肩を揺さぶった。
「もう一回言ってよ、ねえ!」
父はそれきり黙り込んでしまう。
ただぼんやりとした瞳が、二つあるだけだ。
そこで景色が色褪せて、靄がかかるように病室の風景を溶かしていく。
夢が終わるのだ。
「ねえ、お父さん!」
聞こえるのは、自分の声の残響だけだった。
……目を覚ませば、ぼくは実際に泣いていた。
耳の方へ
思い出した。
そういえば、現実でも父さんは目を薄く開けたあと、ぼくに何かを言ったのだ。
ぼくも母さんも、何と言ったかは聞き取れなかった。
夢を見るまですっかり忘れていたけれど、五年経っても、ぼくはその言葉を、たった一言の言葉を探し求めているのかもしれない。
しかし、夢に正解を求めても仕方がない。
現実で叶えられなかったことが、夢の中で成就するはずもないのだから。
ぼくはベッドから起き上がった。
目覚めは悪いけれど、今日だけはくよくよと落ち込んでいる場合ではないのだ。
「よし」と声を出し、自分の頬は叩いて気合いを入れる。
十二月四日。
誰かの誕生日ではない。父さんの命日だ。
二度目の夢を見たのも、明らかにそれが原因だろう。
午前中のうちに、母さんと二人で家を出た。
快晴の雪道は、キラキラと太陽の反射が眩しい。
母の運転する車の後部座席に座り、ぼくは窓の風景を眺めていた。
足下には暖房が流れていて、すっかりあたたかい。
雪は街の屋根に覆い被さり、根雪になっている。
もう春が来ない限り雪は溶けないだろう。
これから向かう霊園は、昔とは違う現代風のものだった。
屋内にあるため、雨風に晒されることもなければ、雪に埋まることもない。
母がパンフレットを持ってきた時には「墓地のあり方も変わっていくんだなあ」と感心したものだ。
父さんを月に送ったからといったって、残りの遺骨をゴミ箱へ捨てたわけではない。
田辺家の墓は墓石としてもきちんと存在しており、母さんは毎月、四日の月命日に線香を上げに通っていた。
ぼくはといえば、大学もあるし、お墓参りは十二月四日の
その
石畳みの床にまっすぐに区分けされた通路を歩いて行き、墓前に立つ。
母さんは用意してきた花を石の花瓶に入れ、ぼくはタオルで墓石を隅々まで拭いた。
墓石の前段には、父さんの生前の写真が飾られている。
姉の成人式の時に撮影したものだ。
娘の成人に無邪気に笑う父は、既に癌を患っていた。
子どものぼくには分からないけれど、きっと親からすれば子の成人は特別な意味があるのだろう。
だからこそ、父は自分が成人するまで生きられないことを嘆いたのだ。
父さんの泣き顔を、その時、ぼくははじめて見た。
息子が父親の泣きじゃくる姿を呆然と眺めている光景なんて、そうそうないだろう。
父さんがあの時、泣いて謝るのではなく、自分の人生に満足をしてぼくの将来を激励してくれたら、四年も尾を引くことはなかったはずだ。
恨むわけではないけれど、父の泣き言は図らずもぼくに呪いをかけた。
泣かなくていいのに。
謝らなくていいのに。
ぼくは父さんと母さんが、ぼくを産んでくれただけで嬉しいのに。
今日は来れなかった姉夫婦とその子どもたちの分まで線香を上げ、鈴を鳴らした。
これは故人を供養するものではなく、残された遺族を慰める音色だと思う。
清澄な響きがぼくの心に染み渡って、けれどちっとも晴れやかな気持ちにはなれなかった。
まあ、そう簡単な話ではないのだ。
鈴を鳴らすだけで悲しみを癒やせるなら、何も大学になんて行かずに、ただ墓前で鈴を叩いていればいいのだから。
お母さんは、もうずいぶんと前に夫の死を受け容れているように見えた。
愛し合った夫婦と、血を分けた親子とでは、ひょっとすると死別の意味合いが異なるのかもしれない。
ぼくは母さんの強さを改めて尊敬する。
そこで思うのが、陽子さんのことだ。
喫茶店でお見舞いに付き合ってほしいと言われてから、数日が経っている。
その
ぼくは父を喪い、だけど母がいてくれた。
しかし、陽子さんはどうだ?
すでに父親とは離別しており、これから母の臨終を見届けることが決まっている。
改めて、牧田さんに叱ってもらったことを感謝した。
そして、陽子さんの苦痛を想像してため息がこぼれた。
陽子さんには、ぼくにとってのお母さんのような、支えが必要だ。
ぼくは今、自分の中で湧き上がる考えに恐れをなしている。
しかし、今日だけは目を逸らしたくない。
そうだ。
ぼくは陽子さんの傍にいて、喪失の道を歩くのを支えようと考え始めているのだ。
無責任、無謀、一過性、気まぐれ。
次々と、その考えに対する感想が浮かんでくる。
どれもろくでもない言葉だ。
前も考えたけれど、ぼくが陽子さんに近づく理由が肉体関係のためだったら、まだ話は単純だったに違いない。
しかし、自分はもっと精神的なものをあの女性に求めているのだ。
それは、牧田さんで自慰行為をしても陽子さんではしないことが物語っている。
ろうそくの火を消して、ぼくと母さんは車に乗り込んだ。
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