第8話「合コン」

 その合コンは、男女三人ずつの合計六人が集まった。

 会場は普通の居酒屋で色気もへったくれもない、ただの大学生の飲み会だ。


 小難しいメニューが並ぶイタリアンだったらどうしようと気負いしていたぼくは、胸を撫で下ろす。

 各々が酒を注文して、フードは小分けできるよう大皿のものを頼んだ。


 男はぼくと堤と大木というやつで、初対面だった。

 堤とはサークルの顔馴染みらしく、健康的な肌と肉体をしている。

 髪型も整髪剤でバッチリ決めており、いかにも遊び慣れている雰囲気だ。


 相性が悪いと一方的に感じたのは最初だけで、大木はそつなく注文や取り皿の配膳をこなし、話も盛り上げた。

 ぼくとは正反対な明るい人間だけれど、すごいヤツもいたもんだと感心する。


 女性の方は、これまた美人が揃っていた。

 女子大のジャズサークルに所属しており、全員楽器を嗜んでいるというから驚きだ。

 ぼくだけ取り柄のない暗い男じゃないかと僻むのも、無理はないと思う。


 乾杯をした後、それぞれ自己紹介をしていき、サークルやアルバイトや就職の話を一通りした。

 みな音楽やらスキーやらとずいぶん多趣味で、無趣味のぼくには付けいる隙がない。


「田辺君、全然話さない人だね。無口なの?」


 そう言ったのは、牧田まきたさんという女性だった。

 茶色のセミロングから、時折大きなピアスが揺れて見える。

 雪国の十一月だというのに、紫のセーターは肩が出ていた。


「いや、口下手なんだ。話せば面白いやつだよ」


 堤にフォローされて、いよいよ情けない。

 甘いはずのカルーアミルクが苦く感じるほどだ。


「田辺君は何してる人?」


「ぼくは文学専攻だよ」


 それから付け足すように、


「あと、絵を描いてるよ」


 と言った。

 やはり半分は嘘である。


 ぼくはたしかに元々、絵を描くのが好きだった。

 とはいっても、美大へ進学しようとか、芸術家になろうだなんて大層な考えを持っていたわけではない。


 手先が不器用で、粘土をこねても切り絵をやっても笑われる自分が、絵だけは人よりも得意だったという程度の話だ。


 あれは十歳くらいの頃だったと思う。

 緑がしたたる初夏の午前、太陽のもとにぼくはいた。

 その日は公園の風景を写生するという課外授業があったのだ。


 同級生はみな木々の陰影を、単なる黒の絵の具で塗りつぶしていたのに対し、ぼくは緑色をもとに影の色を作って、それを教師に褒められたことがある。


 その出来事があんまり嬉しくて、それから図画工作で絵を描くたびに誰よりも張り切った。

 同級生は自分の絵を評しては「すごい」と声を上げたし、コンクールに受賞して市長から表彰状をもらったこともある。


 しかし、それも中学に上がってからは自分よりも上手いヤツは掃いて捨てるほどいて、ぼくは早々に筆を折ったのだ。


 下手だと言われて恥を描く前に、土俵からそっと下りたのである。

 自分はいつもそうだ。

 恥をかくのを極端に恐れて、勝負をする前から尻尾を巻く。


「すごい、絵を描く人って尊敬するよ」


 本当かよ、と思う。


「ねえ、どんな絵を描くの?」


「風景画だよ。自然が好きなんだ」


「ふうん。それにしては肌、白いよね。外で描かないんだ?」


 痛いところを突かれた。

 社交的な人間は、往々にして観察眼が鋭いものだ。


「冬は寒くてさ」


 そんな幼稚な言い訳をする自分が、いよいよ馬鹿らしくなる。


 これだから合コンは嫌なのだ。

 堤の手前、逃げ出すこともできず、ぼくはグビグビ酒を呷って、早く時間が過ぎてくれと祈った。


 飲み会も佳境かきょうに入った時、席替えが行われた。

 ぼくは牧田さんと隣になる。


 暇を持て余して煙草をぷかぷか吸っていたぼくに、


「何飲んでるの?」


 彼女も酒に強いわけではないのか、すでに目が潤い、頬が赤らんでいた。


「カルーアミルク」


「女の子みたい」


 ぼくがむっとすると、


「うそ、怒んないで。ねえ、堤君とはどうやって知り合ったの?」


「大学の授業が同じでさ。気が付いたら話すようになってたよ」


 実際、彼との馴れ初めはあまりに自然だったので、うまく思い出せないのだ。

 学部が違うのに、いつの間にかぼくの隣には堤がいて、講義がどうの女がどうの話すようになった。


「男の友情ってそういうものなんだ」


「女性は違うの?」


「全然違うよ。ねえ、一本ちょうだい」


 手渡すと、彼女は慣れた様子で火を点ける。

 普段から吸っているのかもしれない。


 真っ赤な唇からたっぷり煙を吐き出してから、


「絵が好きならさ、個展なんかは行くの?」


 ふいに陽子さんの横顔が蘇る。


 ――絵はがきを買ってください。


 うるさい、自分で買え。暗い話なら、壁にでも話せ。

 ぼくの中から出ていってくれ。


「――田辺君ったら、もう酔っちゃったんだ」


 ぼうってしていたからだろう。

 頭を振って、


「牧田さんこそ顔真っ赤だよ」


「私は赤くなっても酔っていないの」


 ぼくは話を戻して、


「この前、美術館に行ったよ。好きな画家の展示をやっているんだ。印象派って呼ばれているフランスのさ」


「それって、クロード・モネ?」


「知ってるんだ、意外だね」


「馬鹿にしないでよ」


 彼女はくすぐったような笑い声で言った。

 気分を害したようには見えなかったけれど、ぼくは内省する。


 これまできらびやかな世界に憧れつつ、どうにも縁がなかった自分は、アルコールやセックスに享楽きょうらくする人間を見下している節があるのだ。


 典型的なコンプレックスだと自覚はある。

 しかし、矯正されないまま来てしまったので、それがふとした瞬間に、牧田さんのような人間に向かってポロっと出てしまうのだ。


 芸術というものは、そんなに高尚なのか。

 それに関心を持つぼくは、他人を馬鹿にできるほど高尚なのか。


 飲み会に馴染めないことよりも、そんな些細なことで人を下に見る自分の性根の方がよっぽど恥ずかしい。


「教養科目で美術の時間があってね。それで、モネとかゴッホが好きになったんだ」


「じゃあ、浮世絵うきよえはどう?」


「えっ? 大好きだよ。よく古臭いって言われるんだけどさ」


 そこで一拍空けて、


「でも、どうして?」


「モネもゴッホも、日本の浮世絵から影響を受けているんだよ。日本文化を取り入れた西洋芸術を『ジャポニズム』って言うんだけどさ」


「へえ。きっと、まだ習っていない部分だ」


「モネは浮世絵が好きで集めていたんだ。それが画風にも出ているから、比較を楽しむために日本の絵が隣に飾られているんだよね」


「モネの個展は今もやっているの? よかったら、いっしょに行かない?」


「えっ?」


「だって、一人で行くの恥ずかしいんだもん。他に付き合ってくれる人もいないしさ。田辺くんからしたら二度目になるだろうけど……。だめかな?」


「いいよ、行こう。僕も暇だしさ」


 するりと口から出たことを、ぼくは自分で意外だとは思わない。


 その真意は、途方もなく不純だ。

 まだ牧田さんと肉体関係を結ぶために了承した方が自然だと思うほどに。


 つまりぼくは、陽子さんとの思い出を上塗りして、記憶から払拭したいと思ったのだ。

 今後も気兼ねなく美術館へ行けるように、牧田さんという色の濃い絵の具で塗り潰すのだ。


 たとえ陽子さんが黒色だったとしても、乾いていれば白で覆い隠せる。

 ぼくは牧田さんの服装やメイクから、パープルやレッドという目が痛くなるような色彩を連想していたので、それがより彼女を魅力的に思わせた。


 濃ければ濃いほど、陽子さんを跡形もなく消し去ってしまえるから。

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