弥織の夢現(ゆめうつつ)

Episode.1

 目の前で、好きな男の子が眠っていた。

 いや、今となっては『恋人』と言う方が正確なのかもしれない。ほんのついさっき、私達は互いの想いを伝え合って、新たな関係になったのだから。

 でも、の彼を恋人と呼んでもいいのだろうか──? 私はふと彼と自分の間にいるもう一人の存在を見て、そう自問した。

 私と彼の間には、ひとりの小さな女の子がいる。彼の妹で、今はの珠理ちゃんだ。

 私達は真ん中に珠理ちゃんを挟んで、まるで家族みたいに川の字で横になっている。

 記憶にある限り、私はこうして川の字で寝た事がなかったので、少し照れ臭い。もしかしたら、大昔にお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの間では眠った事があるかもしれないけれど、少なくともそれは、私が求めていた〝川の字〟ではなかったはずだ。

 珠理ちゃんはむにゃむにゃ言いながら私に抱き着いて、控え目な寝息を立てていた。その寝顔があまりに可愛くて、思わず私は彼女をギュッと抱き締める。

 珠理ちゃんがこうしている時、私は〝おかーさん〟になって、彼が〝おとーさん〟になる……それが何となくこの一か月間でできた慣習おままごとだった。

 高校二年生にもなっておままごとをするとは思っていなかったけれど、このおままごとは、私と彼にたくさんの事を教えてくれたように思う。

 何より、この擬似家族生活おままごとがあったが故に、私達は距離を縮められた。そして同時に、擬似家族生活おままごと

があった、ある一定以上に距離を縮めるのが難しくなってしまった、とも言える。

 この関係おままごとは私達にとって必要不可欠なものであったし、必要不可欠であったからこそ、大切にしたかった。それはきっと、私にとっても彼にとっても同じだっただろう。

 そして、このおままごと……いや、珠理ちゃんがいてくれたからこそ私と彼は出会い、そして仲を育めたのだと思う。それは間違いない事実だった。

 少しヤキモキした時期もあったし、難しいなと悩んだ時期もあった。でも、ようやく……私と彼は、新しい関係になれたのだと思う。

 そして今、その彼は私よりも先に寝入ってしまって、スースーと寝息を立てていた。


 ──何で先に寝ちゃうかなぁ。


 私は心の中でひとり不満を漏らす。何だか自分だけがどきどきしているようで、ちょっと納得ができなかった。

 思わずその無防備な頬っぺたを突いて起こしたくなってしまうが、すんでの所で我慢する。彼にとって、今日という一日はとても大変なものだったはずだ。そして明日もきっと、大変な一日になるだろう。休ませてあげないのは可哀想だ。

 無論、疲れているのは私も同じなのだけれど、私は疲れよりもドキドキと高揚感が勝ってしまって、未だ寝付けなかった。いや、寝付けないというより、眠りたくない、というのが本音なのかもしれない。

 今日はあまりにも夢みたいな一日だった。今眠ってしまうとこれが夢だったのではないかと思わされてしまいそうで、怖かったのだ。それに、彼の寝顔をこうして眺めていられるのは、きっと私だけの特権に違いない。それならば、じっくり見てやろう。


 ──あっ。唇のところにうっすらとほくろがあるんだ。


 ふと彼の唇へと視線がいって、今まで気付かなかった事を発見する。人の唇など凝視する機会などなかなかないのだから、それも仕方ない。いや、彼の唇だからこそ、だろうか。普段なら恥ずかしくてしっかり見れない部位だ。

 そして、そこはほんのついさっき、何度も自分の唇と重ねた部位でもある。を思い出すと、思わず顔に熱が籠った。初めてのキスだったのに、たくさんしてしまって自分がはしたなく思えてしまったのだ。


 ──まさか、こんな関係になっちゃうなんてね。


 何だか可笑しくなって、思わず笑ってしまう。最初の頃を思い浮かべると、想像もできなくて自分でも驚くばかりだ。

 彼は気付いていないだろうけど、最初はずっとだけだった。彼はそれまで一度たりとも気付かず、私に見られていただけだったのだ。そして、この事は今後も彼に教えてやるつもりはない。私だけの永遠の秘密だ。

 でも、もしかしたら──将来、珠理ちゃんが恋の話ができる年齢になったなら、その時は彼女にだけは話してしまうかもしれない。それはそれで、少し楽しみだった。


 ──依紗樹くんの事を意識し始めたのは、いつからだっけ……?


 少しずつうつらうつらと微睡まどろみが思考を覆ってくる中で、私は彼との出会い……いや、彼と接点を持ち始めた頃へと記憶を遡っていく。

 まだ恋を、そして家族を知らなかったあの時の私。きっとあの時の私に今のこの光景を見せたら、腰を抜かしてしまうかもしれない。

 それだけ、この一か月、いや、は色々な事があったのだ。

 彼の知らない、私だけの物語。それは決して物語と言える程のものでもないけれど、今に繋がる長い序章だったのだろう。

 私はその序章を、微睡の中で思い返していく。今が夢ではない事を、しっかりと噛み締めながら。

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