第61話

 三人が泣き止むまでは暫く時間が掛かった。その中で一番長く泣いていたのは、何故か弥織だった。

 珠理からは「おかーさんいつまで泣いてるの? おなかいたい?」と余計な心配までされてしまっていて、何だか面白かった。

 それから紅茶を淹れて、弥織が作ったマカロンを三人で食べた。珠理はまだ紅茶は飲めないので、牛乳だ。

 フランボワーズマカロンとチョコマカロンの二種類を作ってくれていて、そのどちらもがお店で出されているものよりも美味しいと感じた。そう言うと大袈裟だと言われてしまったが、俺は割と本音でそう言っていた。

 珠理は甘さがあるチョコマカロンの方が好きらしかったが、俺は甘さが控えめで良い香りがするフランボワーズマカロンの方が好みではあった。このあたりは年代の違いだろうか。

 このマカロンは、昨日家に帰ってからわざわざ作ってくれたらしい。全く、彼女の珠理への溺愛っぷりは少し度が過ぎる。


「珠理ちゃん、マカロン美味しい?」

「おいしい! おかーさんのマカロン大好き!」


 むしゃむしゃとマカロンを頬張り続けるので、「あんまり食べ過ぎると夕飯食べれなくなるぞ」と釘を刺しておく。


「たべれるもん」

「いや、前もお前お菓子食べ過ぎて夕飯食べれなくなったろ」

「たべれるもん!」


 以前も俺の知らない間にお菓子を勝手に食べてしまい、夕飯が殆ど手につかなかった時があった。

 子供はお菓子を食べる分量の調整ができないので(大人でもできないが)、こちらが見てやらないといけないのだ。


「今日はおかーさんが夕飯作ってくれるんだぞ? それ食べれなくて良いのか?」

「やだー!」

「そんな事言ったって、お前な」

「もう、二人とも。また喧嘩しないでよ」


 俺と珠理が若干ヒートアップしそうだったのを察したのか、間に入る。


「夕飯も食べなきゃいけないから、おやつはこれくらいにしとこっか? 残りは夕飯後に食べよ?」


 弥織にそう言われると、珠理は素直に「うん」と頷く。

 ちょっと、弥織に従順過ぎないか、我が妹よ。

 弥織が珠理の口元についたマカロンの粉を拭ってやっていて、珠理はそれをくすぐったそうにしている。そこにはどう見ても親子にしか見えない様な光景があった。

 弥織は柔和な微笑を浮かべていて、そんな彼女を見ているだけでこちらも幸せになってくる。


 ──将来子供ができたら、さぞかし甘やかすんだろうなぁ。


 そんな事をふと考えてしまい、何を考えているんだ俺は、と冷静さを取り戻す。

 今、その〝将来〟に自分が横にいる事を前提で考えてしまっていた。まだ付き合っていないのに、気が早すぎる。


 ──あ、そっか。俺達、まだ付き合ってすらいないのか。


 何だかこの一か月あまりに距離が近過ぎて、そこすら曖昧になっていた。

 付き合うとか付き合わないとか、そんなものすら超えてしまっているかの様な感覚だ。

 だが、先日の国営公園でのやり取りや、今日の水族館でのやり取り、そしてさっきの珠理とのやり取りを経たからこそ、思う。

 このまま曖昧な〝おかーさん〟役と〝おとーさん〟役だけで終わらせていてはいけない。

 もう俺にとって弥織は、仲の良いクラスメイトでもなく、学校一の美少女でもない。ずっと傍にいて欲しい人で、傍に居てくれないと困る人だ。


 ──あれ、そういや水族館で、傍に居てくれなきゃ困るって言っちゃわなかったっけ?


 思い出すと恥ずかしくなってくる。半分告白している様なものではないか。その後に手も繋いでしまっているし。


 ──結構、曖昧なまま進んじゃってるよな。


 割と告白じみた事を言っていて、手も繋いでいる。

 でも、俺達は決して付き合ってはいない。その間に〝おとーさん〟と〝おかーさん〟というものがあって、それが俺達の関係を曖昧にしてしまっていたのは事実だ。


 ──このままじゃ、ダメだよな。


 弥織の笑顔をぼんやりと見て、ふとそう思うのだった。


「あ、依紗樹くん」

「は、はい⁉」


 ちょうど彼女の事を考えていた時にいきなり名前を呼ばれたので、声が裏返ってしまった。


「……どうしたの?」

「い、いや、何でもない。それで、どうかした?」

「あ、うん。桃ちゃんから連絡が来て、ゴールデンウイークいつ行けばいいかって」

「あー……そういやさっき信也からも似たような連絡来てたな」


 珠理の事もあって、完全に返信を放置していた。

 そもそも今日学校に行って話す予定だったから、彼らとて困ったのだろう。


「んー……じゃあ、明日にすっか?」


 弥織は今晩泊まるし、明日もここにいるつもりだろう。

 それならば、明日の方が段取りも取りやすい。


「うん、それで大丈夫だよ」


 明日もここにいるつもりだし、と弥織。予想通りだった。


「じゃあ、そう信也に送っておくか」

「私も桃ちゃんに送っておくね」


 そんなやり取りをしてから、俺達は互いのスマホでそれぞれ信也とスモモにメッセージを送る。

 一応四人のグループチャットもあるのだが、なんだかそこに連絡するのは恥ずかしかったのだ。如何にも一緒にいて話しました、みたいな感じになってしまうではないか。いや、朝から一緒にいるのだけれども。


「あのな、珠理」

「んー?」

「明日だけど、おとーさんとおかーさんの友達が遊びに来てくれる事になったぞ」

「おとーさんとおかーさんのともだち……」


 俺がそう言うと、珠理はちょっと複雑そうだった。

 いきなり俺と弥織の友達と言われても、見ず知らずの人はさすがにハードルが高かっただろうか。

 珠理が、不安そうに弥織を見る。


「二人とも良い人だから、きっとたくさん遊んでもらえるよ?」

「……うん!」


 弥織が優しくそう言うと、珠理は破顔一笑で頷いた。

 あれ? 俺が言うと不安そうな顔してたのに、弥織が言うと満面の笑顔なわけ? これ、もう完全に信用問題でも俺負けてない?


 ──この五年間の苦労は一体……。


 あまりのおかーさんパワーの強さに、俺は絶望を感じざるを得なかった。

 余談だが、マカロンを食べた後は三人でトランプをして遊んだ。

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