第52話 

 三人の食事を終えた頃だった。

 俺は洗い物をしながら、弥織と珠理の会話に耳を傾けていた。

 別に盗み聞くつもりはない。ただ、二人の会話を聞いている事が、最近の俺にとっての癒しになっていたのだ。


「ねえねえ珠理ちゃん、この中でどれか欲しいのある?」


 弥織がスマートフォンの画面を表示させて、何やら見せている。


「わー! クマさんのぬいぐるみ、たくさん! これ、おかーさんの?」


 珠理が感動の声を上げる。


「うん、そうだよ? たくさんあるでしょ。私、昔からぬいぐるみ集めるの好きだったの」


 どうやら弥織のぬいぐるみコレクションを珠理に見せているらしい。

 なにそれ、見たい。というか、弥織ってぬいぐるみ集めるのが好きだったのか。女の子らしくて可愛らしいな、と思わず頬が緩んだ。


「この中で、欲しいのあったらどれでも好きなのあげちゃう」

「えー、どれもかわいい」


 二人が肩を寄せ合いスマートフォンを覗き込んでいる姿は、もう親子にしか見えなくて。それをこうして眺めているだけで、何だか人生の成功者という気になれてくるから、不思議なものだった。


「どれどれ、俺にも見せてくれよ」


 洗い物を終えてから後ろから覗き込もうとすると、弥織がさっと画面を隠す。

 めちゃくちゃこちらが傷付く反応だ。


「やだ、だめ」

「ええ……なんでだよ」

「だって、これ私の部屋だもん。恥ずかしいよ……」

「何で珠理は良くて俺はダメなんだよ」


 何だか納得がいかない。

 というか、弥織の部屋とか見た過ぎる。


「そ、それを言うなら私だって依紗樹くんの部屋、見た事ないしッ」

「じゃあ、見る?」


 俺の返答に対して、弥織が「えッ⁉」と困惑の声を上げる。


「恥ずかしく、ないの?」

「まあ、別に。あんまり使ってないし」


 特に見られて困るものもないし、殆ど使ってすらいないのだから、見られても困るものはない。

 本棚には漫画と参考書くらいしかないし、自分の部屋のベッドなど長らく使用していない。たまに仮眠を取る時に使うが、最近ではその機会もなくなっていた。

 見られて困るものは、大体スマートフォンの中で完結している(そして大体シークレットページで見る様にしてる)ので安心だ。


「そ、そこはもうちょっと恥じらって欲しいんだけど……」


 もし俺が普通の高校生として生活している部屋だったならば、少しは恥ずかしかったかもしれない。

 ただ、基本的に自習以外で使用目的がない部屋など、見せたところで何も恥ずかしいものはない。これは、俺がこんな状況を強いられているからこその賜物であると言えよう。

 弥織は小さく溜め息を吐くと、俺にも見える様にスマートフォンの画面を向けてくれた。

 そこにはシンプルな薄ピンクのベッドと、その枕元を群雄割拠する状態のぬいぐるみ達が映っていた。珠理が「たくさんー!」と言ったのがよくわかる。本当にたくさんのぬいぐるみがそこの写真の中にはあった。


「……これ、寝返り打てなくないか?」

「寝返りなんて打たないもん。私、寝相いいから」


 何故か少し拗ねた様子の弥織であるが、どうやら恥ずかしいのだろう。それがどこか幼くて可愛らしかった。


「珠理、どれか欲しいのあるか? おかーさんがくれるらしいぞ」

「うーん……」


 珠理が画面をタップして拡大させつつ(この世代の子供達は自然とスマホやタブレットの扱い方を身に着けているから凄い)、一匹一匹吟味していく。

 ちなみに、うちにも子供用のタブレットが一台あって、それをそのまま与えている。支払いは無論、親父持ちである。


「これ!」


 暫く悩んだ末に珠理が選んだのは、白と黒でペアになっているクマのぬいぐるみだった。


「うん、いいよー。じゃあ、今度二匹とも持ってくるね」


 弥織がそう言うと、ふるふると珠理が首を横に振って黒いクマを指差した。


「こっちだけ」

「黒い方だけでいいの?」

「うん。おかーさんと、おそろいがいい」


 弥織の疑問に、珠理は満面笑顔でそう言った。

 その言葉に、一瞬弥織の方が固まっていた。彼女とて予期していなかった提案だったのだろう。

 珠理の言った言葉を咀嚼して理解できたのか、弥織の顔がみるみるうちに綻んでいく。柔らかくて嬉しそうで、まるで零れ落ちてしまいそうな笑顔だ。


「うん……おかーさんとお揃いにしようね。これからも、たくさんお揃いにしよ?」

「うん! おかーさんとおそろい!」


 珠理の返事が嬉しくて堪らなかったのか、弥織はぎゅーっと珠理を抱き締めていた。

 その時に見せていた彼女の笑みは、まさしく母のそれである様に思える。珠理も嬉しそうに弥織に抱き付いていた。


 ──俺はお揃いがいいなんて言われた事ないんだけどなぁ。


 そんな二人を眺めつつ、俺は小さく嘆息する。

〝おかーさん〟への嫉妬なんて、この光景を見ていれば全て消し飛んでしまう。弥織には勝てなくていいや、とさえ思ってしまうのだから不思議だった。

 きっとこんな感覚が味わえる高校生も、俺達くらいだ。

 ここでも弥織の言う『私達だけの想い出』が積み重ねられている気がして、何だか嬉しかった。

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