第50話
四限目の授業が終わり、階段の踊り場で弥織から弁当を受け取ってから、屋上へと向かう。
もう屋上で直接渡してもらえれば良いんじゃないかと思うのだけれど、それは信也やスモモの手前、恥ずかしいらしい。ただ、彼らも俺の弁当が弥織によって作られているものだというのも知っている。というか、弁当のおかず類が全く同じなので、誰でも見ればわかるのだ。異なるのは弁当箱のサイズくらいである。
しかし、二人はその事をいじってくる気もないし、気付いていない風を装っている。楽しそうにからかってくるかと思っていたのだが、これは意外と言えば意外だった。
「なー、最近俺らが暇なんだけど」
「暇なんだけど」
信也とスモモが声を合わせて不満を言ってくる。信也の語尾を真似ているのは、おなじみのスモモだ。
「暇なのは良い事じゃないか」
俺からすれば、暇なのは羨ましい。
弥織の御蔭で随分と楽をさせてもらえる様になったが、結局珠理の面倒を見なければならない事には変わりないので、暇とは程遠い。俺には「暇だなー」と思いつつスマホで漫画を読む時間すらないのである。
「ちげーよ。お前らが四六時中一緒だから、俺がお前と遊べない」
「あたしはみーちゃんと遊べない」
だから暇なんだ、と二人は声を合せて付け足した。
俺と弥織は顔を見合わせて、同時に恥ずかしくなって目を逸らす。
「いや……まあ確かにそうだけど、別に二人っきりってわけじゃないし」
「そ、そう! 私達だけじゃなくて、珠理ちゃんもいるから」
なんだか慌てて言い訳をしてしまう俺達。一体誰に何の言い訳をしているのだろうか。
「それよ!」
スモモが前にずいっと出て言う。
「みーちゃんが珠理ちゃんのおかーさん役を引き受けてから、あたしは全然みーちゃんと遊べてないのよ⁉ 放課後も、土日も! 全部真田に取られてる!」
「俺だって、数少ない依紗樹と過ごす時間を伊宮に取られてるんだ!」
二人が国会議事堂の前に集まるデモ団体の様な雰囲気を纏って抗議をしてくる。
「お、俺に取られてるって……人聞きの悪い」
決して俺が取っているわけではなくて、その犯人は珠理だ。
俺は否定しつつ、弥織の表情をこっそりと確認する。
彼女も上目でこちらを丁度見ていて、目が合って慌てて互いに目を逸らした。
何だか気まずい雰囲気になってしまっている。こういうのはあんまり好きではない。
ただ、これはこれでちょうど良いタイミングだったのかもしれない。
俺は俺で、ちょっと弥織に頼り過ぎなのではないか、無理をさせているのではないかと心配になってきていたところでもあるのだ。弥織は俺の体調の為なのか珠理の為なのかわからないが、〝おかーさん〟を始めて以降、毎週末うちに来ている。朝から晩まで、である。これはきっと、かなりの負担を強いている様に思うのだ。
彼女は自分からおかーさん役を遠慮する事はしないだろうし、どこかで話さなければならないとは思っていた。
「俺は仕方ないとして……弥織はどうする? 別に無理して毎週末来なくてもいいぞ?」
俺がそう切り出すと、弥織はじぃっと責める様な視線を送ってくる。
「何回も言ってるけど、別に私は無理なんてしてないってば。珠理ちゃんと遊びたいから行ってるの」
いつも通りの返事が来てしまった。
俺がこういった事を切り出すと、弥織はいつも同じ返答をする。珠理の為だ、と。
「でもさー、それってみーちゃんも大変なんじゃないの? 子育てって大変だと思うし、さすがに全く疲れないって事はないと思うんだよね」
俺と二人だとここで終わってしまうが、今回はスモモの援護射撃が入った。
俺だと「珠理ちゃんの為」と言われると何も言い返せなくなってしまうが、こういう時にスモモの様なタイプの性格の子が身近にいると助かる。
「私は別に……大変だと思った事はないけど。依紗樹くんはもっと大変だったと思うし」
「いや、俺はもう当たり前の事だから、俺の事は気にしなくていいよ」
「……私が毎週来るの、もしかして迷惑だった?」
「そういうわけじゃなくてッ。むしろめちゃくちゃ助かってるから俺も心配なんだって」
話が平行線を辿る。
ダメだ。どうにも話がうまくいかない。俺が彼女が来るのを迷惑と思えるはずがなかった。有り難いが故に、彼女を疲れさせているのではないかと心配しているのだ。
「ふむ……なるほど、わかったぜ!」
そんな俺達のやり取りを見て、信也がぽんと手を叩いた。
「俺とスモモも珠理ちゃんの遊び相手に参加しよう! っていうか俺も遊びたい!」
「あ、それいい! あたしも遊びたーい! そしたらあたしらもみーちゃんと真田も過ごせるし、一石二鳥!」
「いやいや、待て待て、何でそうなる──」
俺がそう言って止めようとすると、信也とスモモががしっと俺の肩に腕を回して、ぐるりと体を後ろに回した。弥織に背を向ける形だ。
「いいから、これはお前らの為でもあるんだって」
「そーそー、あたしらだって考えてるの」
二人が声を潜めて話し出す。
「何がだよ」
「珠理ちゃんがずっと間にいたら、お前ら二人きりになれないだろ。ヘタレの依紗樹は自分から進んで二人きりになろうとはしないだろうしな」
ぐさりと刺突剣で突かれた様な一撃が俺を貫いた。
「べべ、別に……ただ、珠理の世話を手伝ってもらってるだけで」
「ほーら、あんたはすぐそうやってヘタレぶちかますでしょうが。あたしらが珠理ちゃんに慣れたら、二人でちょっと出掛けたりできるでしょ? 悪い事ばっかじゃないんだって」
「な、何も俺達がわざわざ二人で出掛ける必要性も──」
「あのね、あんたが毎日昼に食べてるそれは何?」
俺の手元にある弁当箱を見てスモモが厳しい目つきで言う。
それは無論、弥織が作ってくれているお弁当だった。
「あのみーちゃんが男子の為にここまでやってんの。あんたね、いい加減にしなさいよ。これを全部妹さんの為って言い切るのは無理があるでしょ。オンナの言い訳ってやつなのよ、察しなさいよ! あたしだってみーちゃんのお弁当なんて食べた事ないのに!」
「そうだそうだ! お前自分がどれだけ幸せな状況にあるか自覚しろ!」
なんだかヤッカミが入っている気がするのだけれど、気のせいだろうか。ただ、もしかすると珠理の為にとっても、これは良い事かもしれない。
遊び相手が俺と弥織だけでは、何事も一辺倒になりがちだ。
スモモや信也といった、俺と弥織とは違うタイプの人間と接する事で、得られるものもあるかもしれない。
「……三人でなに内緒話してるの?」
さすがに不審に思った弥織が、訝しむ様に目を細めてこちらを見ていた。
「い、いや! 別に! みーちゃんが今日も可愛いなって話してただけよね⁉」
スモモがまたよくわからない言い訳をする。
だからお前も他にもうちょっと言い訳のバリエーションを増やせよ。前と同じじゃないか。
「……それと、三人でこそこそ話をする事に何の関係があるの?」
弥織は相変わらず訝しむ表情のままだ。それも当たり前だとは思うが。
スモモが弥織に見えない様に、どんと信也の背中を叩く。バトンタッチといったところだろうが、信也もとんだバトンを渡されたものだ。憐れみすら感じる。
「え、えーっと……その、春の青空と伊宮の組み合わせが、まるで絵画の様に美しい組み合わせだから、高画質一眼レフで撮ってNFTで売ったら、きっと海外の資産家が数百万で落札しそうだなって、そんな話をしてたんだよな?」
信也が意味のわからない言い訳に更に意味のわからない言い訳を付け加えて、引き攣った笑みを浮かべた。
お前、もう思い浮かんだ事そのまま言ってるだけだろう。余計に拗れてるじゃないか。
ちなみに、NFTとは『デジタル上で自分が所有している』ということを証明する技術で、デジタルアートの売買がブロックチェーンを用いて使われている。春の青空と弥織の写真には芸術的価値があるので、それをデジタルアートとして売り出せば金になるのではないか、と信也は言っているのだ。無論、文脈の繋がりなどは皆無で、ただただ話がややこしくなっているだけである。
「どうして珠理ちゃんのお話から私とNFTに繋がるの?」
弥織の表情が更に険しくなる。
彼女の言い分も尤もだ。完全に疑惑を深めただけだった。
信也は申し訳なさそうな顔をして、弥織に見えない様に俺の背中をぱしっと叩いた。
さっきよりもっと最悪な形で俺にバトンが回ってきた。
「あー……えっと、二人とも色々言ってるけど、要するに珠理と一緒に遊ぶ事で、俺とか弥織とも一緒に過ごせるとか、そんな感じの事を言いたいんじゃないか?」
とりあえず、こいつら二人の言い訳をガン無視して話を戻す。
「ほら、前に弥織も言ってたじゃんか。ちょっと普通の高校生らしい想い出とは違うかもしれないけど、俺達なりの想い出を作りたいって。多分、それが言いたいだけなんじゃないかな」
弥織が過去に言ってくれた言葉を引用して、話してみた。
そこで、弥織もはっとした。彼女も自分の言葉を思い出したのだろう。
『依紗樹くんと珠理ちゃんと一緒に過ごして、一緒に遊んで……そしたらそれはきっと、私達だけの想い出になるよ』
彼女は以前、こう言ってくれた。
スモモや信也も色んな事を言っているが、根本的にはこれと近い発想で切り出したのではないかと思うのだ。
珠理の事も相まって、俺と弥織が二人で過ごす事が多くなった。しかし、その代わり俺や弥織は信也とスモモと過ごす時間が減ってしまった。彼らはそれが寂しかったのではないだろうか。
珠理が信也とスモモを受け入れるかどうかはわからないが、受け入れられなかったらその時はその時だ。
俺の言葉に納得したのか、弥織は顔を綻ばせて、頷いた。
「うん……そうだね。きっとそれも、すっごく素敵な想い出になると思う」
その時に見せた彼女の笑みはとても柔らかくて、慈愛に溢れていて。そこには俺の記憶の彼方にある母の面影があった気がした。
そんな彼女を見ていると、俺も自然と笑みを浮かべてしまう。
こうして、ゴールデンウイークのどれか一日に、信也とスモモも遊びに来る事が決まったのだった。
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