第二部

第46話 

 初めて手のひらを重ねた日から、俺と弥織の距離は少し近付いた様に思う。

 何となく目が合う回数が普段から増えたり、これまでより体が触れ合うのを躊躇しなくなった。でも、意図せず手が触れ合うと、互いに緊張してしまうし、何だか変な空気になってしまう事もあるので、距離感としては正直俺もよくわからない。

 ただ、あれ以来手は繋いでいない。珠理を挟んで三人で手を繋ぐという事はほぼ毎日しているが、二人でとなると、あの国営公園のベンチから入場ゲートまでの間だけだ。

 あの日が幻だったのではないか、と思う事もある。でも、俺達の間にある何とも言えないむず痒さが、夢ではない事を教えてくれていた。

 それに、弥織が一緒に珠理の世話を背負ってくれていると思うと、それだけで俺の負担は減った。肉体的にというより、精神的に楽になったのだ。

 例えば、万が一俺が寝込んだり、何か用事が入ってしまったりしても、弥織がいれば何とかしてくれる。実際にまだそういった状況になった事はないが、彼女がいてくれるだけで、俺の気持ちには随分と余裕ができていた。

 彼女の御蔭で少しずつ『無理をしなくても良い』状況を作れていっている気がするのだ。まるで今まで一人で持っていたものを、彼女が一緒に支えてくれているみたいに。

 無論、これは俺が今まで一人で持っていたものを、彼女に預けている状況でもある。弥織が疲れてしまわない様、無理をさせてしまわない様には気を配らなければならなかった。

 曰く、「私は自分の限界を知ってるから大丈夫だよ」との事だが、結構彼女は人の為なら無理をしてしまう性格だと勝手に思っている。多少疲れていたり、体調が悪かったりしても、珠理の為なら無理をしてしまいそうだ。そこのあたりは俺が気を配ってやらなければならないだろう。

 ただ、現時点では彼女がいてくれる御蔭で、本当に助かっている。苦労を共有してくれる人がいるだけで、こうも変わってくるのかと思うくらいだ。それだけ俺の生活は彼女が〝おかーさん〟を引き受けてくれる前と比べて、楽になっていた。

 そして、それは俺の負担が減るという部分だけでは留まらない。珠理がより楽しく過ごす為にも、弥織の存在は大きくなっているのだ。

 例えば、それは学校帰りなんかによく現れる。

 

「このプクプクシールなんかがいいかな……」


 珠理を迎えに行く前に、俺と弥織は駅前の百円ショップに寄っていた。そこのシール売り場で弥織は珠理が好みそうな遊び道具を見てくれるのだ。

 今彼女は女の子の着せ替えシールを見ていた。もちろん、俺はこれまでこんなところシール売り場に足を運んだ事などなかった。

 

「プクプクシール?」

「うん。着せ替えシールの一つなんだけど、シールの中にクッションみたいな柔らかいのが入ってるの。手触りが気持ちいいんだよ」


 弥織に商品を渡され、外包の上から押してみる。確かにぷにぷにしていて、気持ちが良かった。

 着せ替えシールというのは、大体四等身くらいの女の子のイラストの上に、服のシールを貼り付けるというものだ。女の子が描かれたシール台の上に、その子の体型やポーズに合う様に作られた服やアクセサリー、靴や靴下、帽子のシールを貼り付ける。色々な種類の服があって、それを自分好みに着せ替えてコーディネートするのだという。

 元となる女の子も種類がたくさんあるが、服の種類もたくさんある。ガーリー系やコスプレ、ギャル系など脱帽するばかりである。

 弥織曰く、女の子がファッションセンスを磨くのに必要な遊びらしい。

 

「こんな玩具があるなんて知らなかったよ……前のアクアビーズもそうだったけど」

「依紗樹くん、小さい頃女の子と全然遊んだ事ないでしょ?」


 弥織が呆れた様にわざとらしい溜め息を吐いて、ほぼ断言する様に訊いてくる。

 

「うぐ……ど、どうしてそれを……ッ」


 ぐさりと胸に突き刺さる。

 彼女の言う通り、俺は男連中と駆けっこやボール遊び、ごっこ遊びに夢中で女の子と遊んだ事など殆どなかった。幼少期から女の子と遊ぶ経験をもっていないせいか、小学生の頃も女の子と遊んだ事などない。そして中学、高校といきなり珠理の世話をさせられるに至っているのだ。そんな男に妹の世話をさせるなど、無理難題にもほどがある。

 

「だって、保育園の先生に言われた玩具しか買ってあげてないんだもん。シール類も全然家になかったし、お洋服の数も少なかったし……ちょっと〝おかーさん〟としては、このまま見過ごせないよ」

「うう……面目ない……なにせ、本当にわからないからさ……」


 おかーさんの指摘に、ぐうの音も出ない俺である。

 保育園は制服があるので、平日に着せる服に困る事はない。休日も外に出る事は殆どないし、園児の服の良し悪しなど俺にわかるはずがない。かなりテキトーな見立てで服を買っていたのであるが、弥織曰く『全然可愛くない』との事だ。この痛烈なまでの批判に、俺の心からは鮮血が噴き出したものだ。

 

「まあ、依紗樹くんにそういうのは期待してなかったけどね」

「酷いな。これから頑張るから期待してくれよ」

「う~ん、難しいんじゃないかなぁ」


 弥織はほぼ断言し、くすくす笑う。

 全く、もうちょっと優しい言い方があってもよくないか。

 

「そういうのは私がやるからさ。依紗樹くん、こういうシール買うのも恥ずかしいでしょ?」

「はい……恥ずかしいです」


 素直に答えると、やっぱり、と呆れられてしまった。

 実際こうしたシール買いに付き合ってくれるのは本当に有り難かった。さすがに高校生男児の俺が一人でファンシーなお着換えシールを買うのは恥ずかし過ぎる。というか、それこそ変な性癖を疑われそうだ。


「あ、そうだ。今度、珠理ちゃんのお洋服買いに行かない?」

「ん? ああ、いいよ。てか、むしろ一緒に行ってくれて助かるよ……」


 ふと自分が五歳児の頃を思い出してみるが、服だのコーディネートだの気にした記憶が一切ない。中学になるまで服なんて親が買ってきたものを着るだけだった。

 やはり、このあたりは女の子の助力が必要不可欠だと改めて自覚する。俺なんぞが服を買いに行っても良し悪しなどわかるはずがないのだ。

 

「ただ本人が欲しがる服を買い与えるのもダメなんだよ?」

「え、そうなの?」


 てっきり本人が欲しい、可愛い、という服を買ってあげるとばかり思っていた。

 気にするところは値段だけかと思っていたが、そうでもないらしい。


「うん。完全に任せちゃうと、自分の好みで選んじゃうから、同じ色で同じ系統の服ばかりになっちゃうの」

「なるほど!」

「……私がそうだったから」

「な、なるほど……」


 まさかの実体験だった。

 今は何でもこなす様に見える弥織も、小さな頃にはそんな間違いを犯していたと思うと、何だか可愛らしかった。

 

「珠理ちゃんの好みの傾向を知る為にも、色んな種類の着せ替えシール買っちゃおっと」


 弥織はワクワクした様子で、プクプクシールの売り場に屈んで吟味していく。

 彼女が昔に買っていた頃のものより種類が充実しているらしく、それを見ているだけでも楽しい様だ。その横顔を眺めているだけで、どうしてか俺もワクワクした気持ちになってくるから不思議だった。

 結構な量のシールを買ったけども、値段としては大した事はない。シールなので単価が安く、財布に優しい玩具だ。

 ただ、俺では良し悪しがわからないので、プクプクシールの選別に関しては弥織に全部任せる事にした。

 なんだかんだシールを選んでいる彼女の姿がとても楽しそうだったので、その姿を見ていたい、とい本音もある。無論、それは俺の心の中だけに秘めている事なのであるけども。

 あとは……こうして彼女と過ごす時間が増えて行くのは、嬉しい。本能的にそう感じ取っている自分がいた。

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