第47話
「あ、依紗樹くん。そこ、途中の計算式間違ってる」
「え? あ、ほんとだ。サンキュ」
弥織に指摘されて式を見直すと、確かに計算式を間違えていた。消しゴムで途中式を書き直して、正しい答えを導き出して行く。
危なかった。このまま計算を続けていたら、この先の全てを間違う羽目になっていたところだ。
「依紗樹くんって、たまにケアレスミスするよね」
「ああ、確かにな……なんか急いじゃうんだよな」
俺の悪い癖だった。
解けると思ったら突っ走ってしまって、簡単なところで間違えてしまう。詰めが甘い証拠だ。
「まあ、私もたまにやっちゃう時あるから、あんまり人の事言えないんだけどね」
「いや、でも助かったよ。ありがとう」
「どういたしまして」
そんなやり取りをして、俺達は再度ローテーブルに広げられたノートと向き合う。
俺達が勉強している間、珠理は大人しく弥織の横で着せ替えプクプクシールで遊んでいる。遊んでいるという表現が正しいのかはわからないが、シールを貼ったり剥がしたりして、イラストの女の子の服を着替えさせていた。
弥織が買ったものだからか、早速気に入っている様だ。
──っていうか、あの伊宮弥織が俺の家で一緒に勉強してるって凄いよな。
そう、さっきから当たり前の様に勉強をしているが、ここは俺の家の居間だ。
うちにご飯を作りに来た日、弥織はそのまま一緒に勉強していく事が多い。珠理も弥織がいると普段より大人しいので、俺も勉強に集中ができて助かっている。
というより、弥織の膝の上に座ったり、横に並んでお絵描きをしたりと、傍にいるだけで珠理は嬉しい様だ。
「おかーさん、見て! 可愛く貼れた!」
「あ、ほんとだっ。可愛い~! 珠理ちゃん、センスあるね」
「えへへ、ほんと? おかーさんもやってみて!」
「うん。じゃあ、私は横のミーナちゃんに、この和服を着せちゃおっと」
弥織は言いつつシャーペンを置いて、珠理の着せ替えシールに付き合う。
こうして一緒に勉強する合間に、彼女は珠理の相手もしてくれるのだ。これは既に勉強ができる彼女だからこそできる芸当である。
というか、弥織はもともと色んな事を同時で頑張ってきたからか、マルチタスクが得意なのだ。頭の切り替えが早いというか、器用というか。俺ではきっと、どちらも手つかずになって苛立ってしまうだろう。
弥織は早速ミーナちゃんとやらに和服シール、足には下駄、手には巾着袋のシールを貼り付けてコーディネートしていく。男子が絶対に遊ばないであろう遊びなので、それを見ているのは俺も面白かった。
こういう遊びを小さい頃からしているから、女の子はファッションセンスに優れていたり、男の子よりも大人びた性格になったりするのかもしれない。
「ふふっ……何だか、不思議だね」
珠理がまた自分の着せ替えに夢中になっているところを眺めながら、弥織は小さく笑って言う。
「何が?」
「ん? 何だか最近、ずっと依紗樹くんと一緒にいるなって思って」
「……まあ、席も隣になったしな」
「あ、そっか。それでかな」
そう言って、俺達は微笑を交わす。
そう、先日席替えが早々にあって、弥織とは何と席まで隣になってしまったのだ。俺は窓際の一番後ろ、弥織がその隣である。
ただ、こうなってくると、登校も一緒、クラスも一緒、席も隣、昼休みも一緒で、下校・夜も一緒、となってくる。弥織がうちに来るのは週三日程度だが、それでも一緒に過ごす時間は圧倒的に多い。
というか、最近では一緒にいるのが当たり前になってきていた。今では、彼女が隣にいない方が不自然に思えてならない。
「あ、ねえ」
「うん?」
「もうすぐゴールデンウイークだけど、どこか行ったりするの?」
言われて、カレンダーを見てみる。
気付けば、今週末からもうゴールデンウイークだ。とは言っても、今年のゴールデンウイークは短い。
「んー、特に何も。いつも通りじゃないかな。弥織は?」
「私も特に予定なし、かな」
そこで沈黙。
弥織はどこか恥ずかしそうにもじもじしている。何か言い出したいけれど、言い出せないという雰囲気。
これは、俺から切り出した方が良いのだろうか。
「じゃあ……ゴールデンウイークも、うち来る?」
勇気を出して、訊いてみる。
すると、弥織は少しだけ顔を赤らめて、こちらを上目で見ると……こくり、と頷いた。そこで、俺も思わず頬が緩む。きっと、情けないほどに。
「珠理、喜べ。〝おかーさん〟がゴールデンウイークも遊んでくれるってさ」
俺はその緩んだ頬を隠す為に珠理に話し掛けると、彼女は「わぁ、やったぁ!」と素直に喜んでいた。
彼女がゴールデンウイークが何か分かっているのかは定かではないが、弥織が来る事そのものが嬉しいのだろう。
連休に珠理の洋服を買いに行ってもいいかもしれない。そんな事を考えていると──
「おかーさん、おとまり!」
保育園児、爆弾発言をする。
「えっ⁉ お、お泊りって、外泊⁉ そ、それは……」
慌てて彼女が俺を見るが、ぶんぶん首を横に振る。
さすがにまずい。親のいない男の家に、園児がいると言えども女子高生が泊まるのは色々まずい。いや、今もほぼ夜までいるじゃないかという話だけれども、泊るとなれば話が違ってくる。
だって、弥織がお風呂に入ったり、パジャマ姿になったりするのだろう⁉ それはまずい! さすがに! いや、見たいけど! 色々俺が大変そうだ。
「しゅ、珠理……あのな、さすがにおかーさんでもできない事が──」
「おかーさんとおとまりしたいぃー!」
ああ、なんて事だ。滅多にわがままを言わなかった子が、弥織を前にすると我儘を発動してしまう。
そして、俺は心の何処かで、珠理の我儘を応援してしまうのであった。
「おかーさん……だめ?」
そして、捨てられた子犬の様な目で弥織を見て訊く。
珠理のその目を見て泣きそうになっているのは弥織である。そう、この目で珠理から頼み事をされると、弥織は断れないのだ。
「えっと……泊っていいか、訊いてみる、ね?」
そして、弥織は珠理にそう答えてしまうのだった。
──ナイスだ、珠理! よくやったぞ!
心から俺が喜んでしまったのは、言うまでもない。
そして、お祖母ちゃんにすぐにメッセージで訊いてみたそうだが、これまたすぐに了承の返事がきたそうだ。
かくして、弥織のお泊りイベントというものがゴールデンウイークで発生した。
決まるまでは待ち望んでいたはずなのだが、実際に決まってしまうと、楽しみよりも緊張が上回ってくる。
──いや、珠理の為に泊まるだけだから。俺の為じゃないから。
そんな風に自分を言い聞かせるのだった。
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