第24話 思春期の二人
来て早々に弥織が不機嫌になってしまったのでどうなる事かと思ったが、珠理と会ったらすぐにいつも通りの笑顔を見せていた。もちろん、俺に対しても昨日まで通りだ。
一体どうしてあのやり取りで彼女が不機嫌になってしまったのかは謎であるが、とりあえずほっとする。
珠理は弥織の持ってきたアクアビーズにすぐに虜になっていた。アクアビーズは、『かどっこ暮らし』というキャラ物の作品のもので、女の子にとっつきやすかったというのも大きい。彼女はかどっこ暮らしのぬいぐるみをいくつか持っているのだ。
調べてみると、アクアビーズは女児向けの玩具の中でも『保護者が最も与えてよかったと思う玩具ベスト五』に入っているメジャーアイテムだそうだ。何でも、集中力を養う上でも重要な玩具なのだと言う。
確かに、小さな頃からこうした細かい作業に親しんでいると、将来的に手先が器用になりそうだ。加えて、机に向かうという習慣もつけられるので、勉強する体質にもなりやすいらしい。
また、アクアビーズにハマる子は二時間くらい作業に熱中してくれるので、親の育児負担も軽減できるのだとか。子供と親、どちらにも実益がある玩具なのだ。
──すげえな、アクアビーズ。
少し調べただけで、アクアビーズの凄さがどんどん出てくる。
唯一リスクを挙げるとすれば、ビーズを飲み込んでしまうというものが挙げられるが、珠理はもうそこまで幼い年齢でもない。そのあたりの心配はせずとも大丈夫だろう。
良い玩具を持ってきてくれたものだ、と弥織には感謝しかない。
二人がアクアビーズで遊んでいる間、俺は家事に勤しむ。
と言っても、昨日の間にかなりやってしまったので、今日はあまりやる事がない。洗濯物は昨日したばかりだし、風呂を掃除して、後は寝室の布団を干したりする程度か。今日は俺もゆっくりとできそうだ。これも〝おかーさん〟の御蔭である。
「珠理、楽しいか?」
家事がひと段落したので居間にいる二人のところに赴き、未だアクアビーズに虜な妹に訊いてみる。
「うん、楽しい! おかーさんすごくじょうず!」
「おかーさんは手先が器用で何でもできるからなー」
割と本音でそう思ってるのだが、弥織からは「無理に褒めなくていいよ」と苦言を呈されてしまった。
「おとーさんも一緒にやろ?」
「……え、俺も?」
〝おかーさん〟が帰ったら妹からの呼ばれ方は『おにーちゃん』に戻るのに、いつの間にかまた『おとーさん』になっている。この使い分け、本人は迷わないのだろうか。俺は慣れていないので、いつも返事にワンテンポ遅れてしまうのだけれど。
そんな事を思いつつも、反論すらせずに受け入れている俺も俺である。
「俺は手先が不器用だからなぁ」
ちまちまビーズを指先で持っていたら、床に散らばらしてしまう自信しかない。
「このペンにビーズを乗せてシートに置いていくだけだから、依紗樹くんでもできると思うよ?」
弥織は、先端に大きめの穴が空いたペンを俺に渡して言った。
「なにこれ」
「ビーズペン……って言うみたい」
彼女は取り扱い説明書を見て答えた。そのまんまの名前だ。
「これってそもそもどうやって遊ぶの?」
ペンを渡されたところで、遊び方がわからない。
そもそもアクアビーズが何なのかもよくわかっていない俺であった。
「えっとね、このキャラクターシートの上にビーズを並べていくの」
弥織はビーズペンとやらを持つと、珠理に教えるのと同じ様に丁寧に説明してくれた。
言ってしまえば、トレイの上にキャラクターシートを敷いて、そのシートに合うビーズを乗せていくだけのものだった。それも、ビーズは付属のビーズペンを使えば落とす事もないので、簡単に乗せられる。ビーズをキャラクターシートの上に乗せ終えたら、最後は霧吹きで水を掛けて、ビーズ同士が固まれば完成だ。
「おお、凄い! 俺でも作れた!」
彼女に言われた通りにやっていったら、数分で完成した。ちょっと嬉しい。
幼児用の玩具なのだから、高校生ならできて当たり前だ。ただ、あまりこういった工作じみた事をしない俺にとっては、結構新鮮である。
「おとーさん、すごい!」
「さすがおとーさんだねっ」
珠理と〝おかーさん〟は、大人げなく喜ぶ俺と一緒になって喜んでくれていた。何という優しい子達なんだ。
ちなみに弥織と珠理の手元を見てみると、既に自分達で色や配置を考えてオリジナルの絵柄をアクアビーズで作る、という遊びに移行している様だった。もはやキャラクターシートなど必要ないという事である。しかもめちゃくちゃ色鮮やかで複雑なものを二人して作っていやがった。
俺の中に芽生えた僅かながらの自信がガラガラと崩れ去ったのは言うまでもない。
──あー、なるほど。絵を描くのとニュアンスが近いのか。
二人の作っているオリジナルのアクアビーズを見て、弥織が先程『お絵描きが好きみたいだし、アクアビーズも好きそう』と言っていたのを思い出した。
絵を描く想像力があれば、どの色のビーズをどこに配置すればどうなる、という完成図が見えてくる。ビーズを使うか色鉛筆を使うかの違いだけで、根本にあるのは絵を描くのと同じだ。それでいてそこに手先を使う作業が加わるので、お絵描きとは別物の遊びとなる。
彼女は彼女で、珠理の事を考えて玩具を選んできてくれた様だ。その心意気が何よりも嬉しい。
「……ありがとう」
「え? いきなりどうしたの?」
何となく御礼が言いたくなったので言うと、彼女はきょとんとして俺を見ていた。
「いや、なんか珠理の事考えてくれてるからさ」
「そんな大それた事してないよ。私が遊んでたもの持ってきただけだから」
謙虚な弥織は微苦笑を浮かべてそう言った。
妹の性格や好みを考えた上で遊び道具を持ってきてくれた事に対して礼を言ったのだが、もしかすると彼女は無意識でそれをやっていたのかもしれない。自然と他人を思い遣る事ができる子なのだろう。
──ほんとに良い子なんだな。
そう思って弥織を見ると、彼女もこちらを見ていて、自然と視線が重なる。
きっと学校だったなら、慌てて二人して視線を逸らしていただろう。だが、自分の家だからというのもあるのか、妙に心がリラックスしていて、自然と口元が緩む。それは彼女も同じな様で、目尻を下げていた。
どこかくすぐったい空気が居間に流れていて、ちょっとだけむず痒いけれど、それが心地良い。
弥織も同じ様な気持ちを味わってくれているのだろうか? いや、味わっていて欲しい──そんな欲が出てくるから、人間という生き物の欲深さは恐ろしいものだった。
そんな俺達を見て、珠理は首を傾げてこう言った。
「……おとーさんとおかーさん、ししゅんき?」
五歳児の無邪気な一言に、思春期真っ只中の俺達が、顔を赤くして咳き込んだのは言うまでもない。
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