第23話 少し不機嫌な〝おかーさん〟

 翌日の日曜日──約束通り〝おかーさん〟はやってきた。


「こ、こんにちは」


 インターフォンが鳴ったので玄関を出ると、門扉の前に緊張した面持ちの弥織がいた。

 帰り際の会話を覚えているのだろう。俺と顔を合わせるのが、どこか恥ずかしそうだった。

 ちなみに昨日、弥織を送ってから家に帰ると、珠理から『おにーちゃん、何でずっと笑ってるの?』と突っ込まれてしまった。適当に誤魔化していると、『ししゅんき?』と更に手痛い突っ込みを受けた。

 だから、どこでそんな言葉を覚えたんだと言いたい。もしかしてあの保育士木島夏海、何か変な言葉でも教えてるんじゃないだろうか。他に心当たりがない。


「こんにちは……っていうか、まだおはようの時間じゃないか?」


 俺はちらりと腕時計を見た。

 まだ時計の短針は一〇と十一の間だ。思ったより早い時間に来たので、俺も少し驚いた程だった。


「あ、そうかも……もしかして、早く来過ぎたかな?」


 おずおずと弥織が不安そうに訊いてくる。こちらに迷惑を掛けているのではと思った様だ。

 もちろん、昨日の時点で午前中に来る旨の連絡は貰っていたので、迷惑という事はない。ただ、せっかくの日曜日なのだし、ゆっくり寝ればいいものを、とは思うのだった。俺が彼女の立場だったら昼以降に来る。


「いや、うちは全然。朝に珠理が見てる番組があるから、その時間に叩き起こされるんだ」

「そうなんだ。昨日、あれから珠理ちゃんどうだった?」

「ご飯食べて風呂入れたらすぐに寝たよ。その御蔭で朝早くから元気でさ」


 老体にはきついよ、と肩を竦めてみせると、「まだ若いでしょ」と軽くツッコミを入れられてしまった。

 昨日、珠理は弥織と遊んだせいで疲れてしまったのか、寝るのも早かった。そして、寝るのが早かったという事は、その分朝起きるのも普段より早くなるという事である。

 加えて、〝おかーさん〟が来る事もわかっているので、朝からテンションが高かった。心身共に疲れている俺にとっては、ちょっと辛いものがある。

 その御蔭で朝の時点で既に俺は疲労困憊。惰眠を貪りたいなぁと思わされるのだった。


「あれ、なんか持ってきたの?」


 門扉を開けるまでわからなかったが、彼女は紙袋を持っていたのだ。


「あ、うん。何か遊べそうなものないかなって思って、昨日お祖母ちゃんに頼んで、私が小さい頃に遊んでたものとか色々出してもらったの」

「へえ、どんなのがあるんだ?」


 学校一の美少女こと伊宮弥織が小さな頃に遊んでいたものか。それは気になる。


「えっと……今日持ってきたのは、アクアビーズと絵本かな」

「アクアビーズか! 全然俺の発想になかった」


 女の子らしい発想といえば女の子らしい発想だ。男の子ならレゴとかトミカとかに走るのだけれど、女の子はそういう方面にいくのか。

 これも俺一人では浮かばなかった事だった。彼女の存在に感謝する他ない。


「アクアビーズは結構女の子に人気なんだよ? 一人で熱中できるし、私も小さな頃ずっと一人でやってたんだって。珠理ちゃん、お絵描きが好きみたいだし、アクアビーズも好きなんじゃないかなって思って」

「いや、助かるよ……俺、そういうのほんと苦手でさ」


 妹が手先を使う遊びを好みそうなのはわかっているのだが、兄貴の俺は手先が不器用なので、どうにも避けてしまっていた。


「あー……あの絵だと、ね?」

「絵が下手なのと不器用なのは関係ないと思います」


 そこだけは反論しておきたい。いや、絵が下手な上に不器用だから、何の反論にもなっていないのはわかっているけども。


「おままごとセットもあったんだけど……いる? いるなら今度持って来るよ」


 おままごとセットも持って来ようと思ったそうだが、思ったより大きかったので今回は断念したそうだ。

 絵本数冊とアクアビーズセットだけでも結構な量なので、これ以上は難しいと判断したらしい。


「あ、待てよ? おままごとセットならうちにも確かあったな。木島先生にお勧めされて」


 それを買い与えてから暫くはそのおままごとセットで遊んでくれていたので、助かったのを覚えている。最近は一人でおままごとに飽きたのか、あまりやっていない様子だ。

 弥織はその話を聞くと、何故かじぃっと複雑そうな顔をして俺を見た。


「え、なに?」

「ううん、何も。よくその木島先生って人が出てくるなって思っただけ」

「……? まあ、珠理のクラス担任だし、相談もしやすいからな。大体その人に言われた玩具を買う様にしてるよ」


 うちにある女児向け玩具は、基本的に木島夏海先生のお勧めのものだ。俺一人ではさっぱりわからないので、保育園で珠理を看ていて好きそうな玩具を木島先生がピックアップしてくれて、それを言われるがままに買い与えている。

 値段も安めのものをチョイスしてくれるので、俺としては非常に助かっていた。如何に珠理に一人で遊んでもらい、俺の時間を作るかが土日は特に重要なのである。

 しかし、弥織は俺のそんな説明を聞いても表情を変えず、少し不機嫌そうな節すらある。


「……その先生、若いんでしょ」

「え、何でわかったの?」

 

 木島先生は確か二十二とか三だとか聞いた記憶がある。

 彼女の年齢のヒントになりそうな事は言っていなかったはずだが、どうしてわかったのだろうか。


「……知らない」


 純粋に疑問に思ったから訊いただけなのに、弥織はぷいっと顔を背けた。

 そのままつんとして俺の横を通り過ぎ、先に玄関へと向かう。


「あ、おい……」

「お邪魔します」


 彼女は俺の方を振り返る事なくそう言い、玄関に入っていく。その声は普段よりも幾分か冷たい気がした。


「え……何で? 俺、何か変な事言った?」


 学校一の美少女、さっぱりわからない。

 俺は頭を掻いて、慌てて彼女の後を追うのだった。

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