第13話 いつもと異なる朝

 朝起きて、珠理を保育園まで連れて行って、その足で登校する──高校生になってからおなじみのルーティンである。

 登校中に信也と会って、そのままバカ話をしながら学校へと向かった。これもいつも通りの朝だ。

 だが、その日の朝はいつもと違う事が起こった。


「いよっ、おはよー二人とも!」


 そんな挨拶と共に、俺の背中にばしんという強い衝撃が走る。


「いってぇッ! って、スモモ⁉」


 振り返ると、ショートボブのくりくりした瞳が印象的な女の子・鈴田桃音すずたももねことスモモがいた。なんと、彼女が俺達に声を掛けてきたのだ。

 登校中に彼女から声を掛けてきた事は、これまでの高校生活ではなかった事だった。


「誰かと思えばスモモかよ。てっきり俺の事が好きな女の子が朝からスキンシップをしてきたのかと思ったじゃねえか」


 信也が殴られた後頭部を擦りながら──俺は背中、信也は後頭部に打撃を受けた様だ──呆れた様に言う。

 後頭部を殴られたのに、余裕があるところがこの男の社交性の高さを物語っていた。俺の様に動じていない様がかっこいい。


「スキンシップも兼ねて、もっとおもっきし殴っていい?」

「すみませんやめて下さい」


 スモモが拳を握ったところで、信也が頭を下げて謝った。全然かっこよくなかった。

 男二人のところに明るい女の子が入っただけで、なんだかいつもより騒がしい朝になった。もしかすると、昨日の事で彼女も気を遣ってくれているのかもしれない。

 しかし、だからと言って、特段伊宮さんの事について触れてくるわけではない。そこからは、林間学校がどうのとか、中間テストがどうのとか、そんな当たり障りのない事を三人で話していた。


 ──あー、なんか俺、今初めて高校生っぽい朝過ごしてるかも。


 スモモと信也のアホなやり取りを眺めつつ、ふとそんな事を思う。

 中高通して、女の子と一緒に登校するなどもちろん初めての事であった。基本的にいつも珠理の事が頭の片隅にあったので、こんな普通の高校生らしい朝を過ごせただけで、ちょっと感慨深くなってしまう。

 だが、変わった事はそれだけではなかった。いつもと何かが変わると、他の事も変わる。バタフライエフェクトというやつだろうか。この日は、いつもの朝と異なる事がもう一つあったのだ。


「みーちゃん! おっはよー!」


 スモモが前方に黒髪の女子高生の後ろ姿を見つけたかと思うと、大きめな声で挨拶をした。

 無論、その女子高生とは伊宮弥織である。


「あ、桃ちゃんおは──」


 伊宮さんが振り返って挨拶をしようとした時である。

 彼女が挨拶をしようとする対象の横には、昨日屋上で若干気まずい話をした俺と信也。

 彼女は俺達を見て、目を大きくして固まった。


「……よう」


 そして、途端に声が小さくなる。目も逸らされてしまった。

 まあ、そうなるのも仕方ない。というか、これは声を掛けたスモモが悪い。俺も彼女も被害者だ。

 しかし、今朝のスモモは止まらない。


「ほら、みーちゃん。挨拶はあたしにだけかなー?」


 からかいを含んだ表情を作ると、スモモが俺の方を顎でしゃくって言う。


「えっと……おはよう、真田くん」


 恥ずかしそうに上目でこちらをちらりと見ると、遠慮がちに俺にも挨拶をしてくれる。

 それだけで胸がどきんと高鳴ってしまった。


「お、おはよう」


 俺もどぎまぎとした様子で挨拶を返すと、伊宮さんは俺にぺこりと頭を下げる。

 待ってくれ、何で俺が伊宮さんと挨拶してるんだ、これはどういう状況なんだ。疑問符で頭が一杯になってしまった。

 というか、なんで挨拶だけでこんなにドキドキしてるんだ、俺は。


「あれ、伊宮。俺には挨拶なしなの? 悲しいな~」


 信也が不満そうなブーイング顔を作って言った。


「あ! ま、間谷くんも、おはよう」


 伊宮さんが慌てて付け足して挨拶をする。


「信也は〝も〟なんだってさ。オマケよ、オマケ」

「そうなの⁉ 俺オマケなの⁉」

「ち、違うから! 桃ちゃん、変な事言わないでよ!」


 スモモがあらぬ疑いを投げかけて、それに信也が悪ノリをして、伊宮さんが慌てて否定する。

 そんな騒がしい挨拶を終えると、俺達はそのまま流れで一緒に登校する事になった。昨日は割と気まずい感じで会話が終わったはずだったのだけれど、どういう状況なのだろうか、これは。

 ただ、実質的に俺と伊宮さんが変に気まずい感じなのは変わらない。彼女も戸惑っている感じだし、下を向いてしまっている。

 結局俺と彼女は殆ど会話には参加せず、信也とスモモが話している事に相槌を打つ事で精一杯だった。

 周囲の人からの視線も痛い。昨日には『伊宮弥織に振られてストーカー化しつつある』と言われていた男こと俺(泣いていい?)が翌日には伊宮さんと一緒に登校しているのである。周囲も混乱や戸惑いを隠せていないし、何なら俺が一番混乱している自信があった。

 気まずい気持ちを誤魔化しながら、視線を色んなところに移して登校する。

 その時、ふと横を見ると、伊宮さんもちょうどこちらをちらりと見たタイミングで、思わず目が合ってしまった。俺達が互いに慌てて視線を逸らしたのは言うまでもない。


「あ、今日俺とスモモ、日直じゃなかったっけ」


 昇降口に着いて上履きに履き替えた時、信也が言った。


「あ、そうだった! あたしら職員室寄っていくから、二人先に教室いっておいてー」

「え⁉ 桃ちゃん、ちょっと待っ──」

「じゃあみーちゃん、また後でね~」


 伊宮さんの呼びかけは虚しく、信也とスモモはそのまま職員室がある方角──即ち俺達の教室とは真逆の方向──へと向かっていく。というか、あからさまに伊宮さんの呼びかけを無視してたぞ、今。

 彼女が俺の横で、俯きながら上履きに履き替えていた時、俺は二人の背中をちらりと見る。すると、二人で俺達の動向を確認する様に、こちらをくるっと振り向いた。

 俺と目が合うと、二人は『あ、やべ』という顔をしてから、スモモは片目を瞑ってみせ、信也は親指を立てた。


 ──やっぱりこいつら、仕組んでやがったのか。


 スモモが声を掛けてきて、伊宮さんにも挨拶した時点で何か変だと思っていた。

 この二人、何をどう思ったのか、変な気を利かせてきやがった。

 迷惑だな、と思わなかったわけではない。昨日あの状況で会話が終わっているのに二人きりにされて、どうしろというのだ。


「じゃあ……教室、行くか」

「う、うん」


 取り残された俺達は、互いに気まずい空気の中、教室を目指すのだった。

 教室までの道中は、二人並んで歩いているが、もちろん無言である。話せる空気ではないし、周囲の人達からの視線が凄く痛い。ストーカーなりかけ男と何で一緒に登校してるんだ、という視線が四方八方から送られてきているのだ。泣きたい。

 ただ、状況的には最悪だけれど、ある意味これは好機ではないだろうか。昨日考えていた事──即ち、もう一度彼女に話を持ちかける場を設ける事に関して、これほど好都合な事はない。

 俺はそう思って、勇気を振り絞る。


「あ、あの! 伊宮さん」

「は、はい!」


 俺が呼び掛けると、伊宮さんがびくっとして背筋を伸ばした。

 そして、昨日と同様に何故か敬語である。だから、何でいきなり敬語になるのだ。余計こちらも緊張してしまう。


「あの、さ……ちょっとまた相談があるんだけど、時間あるかな。そんなに時間は取らせないから」


 半分ダメ元だった。もう話す事はないと言われても仕方ないとも思っていた。

 しかし──


「……うん、いいよ」


 彼女は俺の予想を裏切り、こくりと頷いた。

 予想していなかっただけに、自分から持ち掛けておいて、「え⁉」と吃驚きっきょうの声を上げてしまった。


「放課後に、また屋上でいい?」


 確認する様に、上目で彼女がちらりと俺を見る。


「あ、ああ……ありがとう。じゃあ、それで」

「うん。また放課後にね」


 伊宮さんはそうとだけ言うと、小走りで逃げる様に教室へと先に行ってしまった。


 ──え? どゆ事?


 思ったよりすんなり受け入れられて、俺の方が状況に追いついていけていない。てっきり、ここからまた粘らなければならないと思っていたのだけれど。

 でも、よかった。とりあえず、もう一回話は聞いてもらえそうだ。

 話が少しだけ進展して、俺は安堵の息を吐くのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る