第14話 二度目(三度目?)の歎願
当たり前ではあるが、その日も放課後がやってきた。
今日ほど放課後が待ち遠しいと思った事はない。無論、今朝あった俺と伊宮さんとのやり取りについて、信也やスモモには話していない。これ以上何かチャチャを入れられては堪らないと思ったからだ。
ちなみに、朝ふたりが謎に結託して妙な気を遣い始めた事について、信也とスモモに問い詰めてみたが、「はて、何の事やら」「だってあたしら日直だったしねー」とシラを切り通しやがった。どういった狙いであんな事をしたのかわからないが、せめてこっちにも一言言っておいて欲しい。俺からすれば、大混乱だったのだ。
それはさておき、放課後だ。
伊宮さんが先に教室を出たのを確認してから、俺も教室を出た。信也が一緒に帰ろうと言ってきたが、今日は用事があると言って断っている。
そして、ここ数日何度も登った屋上への階段を登っていく。まさかこんなにも放課後に屋上に行く事になるとは思ってもいなかった。しかもその全てが、あの伊宮弥織と会う為である。信じられないにも程があった。
おなじみの錆びた鉄扉を開けると、今日も夕陽が空に広がっていた。過ぎ去る春を知らせる様な、綺麗な夕焼けが目に入ってくる。
そんな夕焼けを背景に、少女が立っていた。伊宮弥織だ。
「それで、相談って……?」
何だか、初めて彼女を屋上に呼び出した時を彷彿とさせる光景だ。だが、今度は変な言い間違いなどしない。
深呼吸をしてから、しっかりと彼女を見据えた。彼女も同じく、緊張した面持ちでじっと俺を見ていた。
もう一度息を吐いてから、話を切り出す。
「昨日家に帰ってからさ、もう一度考え直したんだけど」
「うん……」
「やっぱり珠理のお母さん役、伊宮さんにお願いしたい。いや、伊宮さんじゃないとダメだと思った」
今度は言い間違いをせずに、しっかりと言葉を言い切った。
「どうして? だって、私……昨日も言った通り、『お母さん』の想い出もないし、答えを知らないんだよ?」
彼女は気まずそうに視線を逸らす。
そこには申し訳なさが漂っていた。やはり、スモモの言っていた通り、彼女は相当迷っていたのだ。
俺は腹を括って、その問いに対して用意していた答えを口に出す。
「ああ……知らないから、伊宮さんに頼みたいんだ」
そう言うと、伊宮さんは「え?」と驚いてこちらを見た。
「多分なんだけど……知らないからこそ、珠理の気持ちが一番わかるんじゃないかなって思ったんだ」
声が震えていないかどうかが心配な程、緊張していた。まるで、愛の告白でもする様な緊張。どうしてこんなにアガってしまっているのか、自分でもわからない。
高鳴る心臓を押さえ付けながら、言葉を紡いだ。
「俺はさ……珠理が生まれるまでは母さんがいたからさ。生まれてからそれまでの間は普通の家庭だったし、母親がどんなだったかも知ってる。むしろ、五歳の頃にも当たり前に母親がいたから、その時に母さんがいないっていう気持ちが、俺にはわからないんだ」
「真田くん……」
「だから、どんな気持ちで珠理が『お母さんに会いたい』って言ったのか、わかってやれなくて。でも……もしかしたら、伊宮さんなら、その気持ちわかるんじゃないかなって、思ってさ」
伊宮さんは俯いたまま俺の話を聞いてくれていた。
否定するでもなく、頷くでもなく、ただ黙って聞いている。拒絶はされていないと判断し、俺は話を続けた。
「あいつ、五歳のくせにすっげー大人でさ、『母親』って言葉の意味とか、概念とか、うちにそういう人がいないって事とか……全部わかってたんだ。その上で昨日、『おかーさんと遊んでみたい』って言ってて」
それから俺は必死に彼女に訴えかけた。
おそらく珠理は、一般的な母親の正解を求めていない事。ただ寂しいんじゃないかと思う事。その寂しさを、俺では埋めてやれない事。そして……その答えは、『伊宮さんが小さな頃にお母さんからしてほしかった事』なのではないかという推論。
昨日考えた事を、しっかりと彼女に伝えた。
「もちろん、これは俺の勝手な言い分だし、我儘だし……むしろ、自己満足に近いものだからさ、無理強いはしないけど、もし可能だったら、お願いしたい」
俺は最後まで言ってから、頭を下げた。
「そういう頼み方は、ずるいと思う……」
少し咎める様な声で、彼女は言った。
彼女の言う通りだ。俺の言った事は、人の温情に付け込むようなやり方なのかもしれない。
ただ、これは俺の素直な気持ちで、思っている事だった。
それに、口に出してしまった事は今更戻せない。俺はただ頭を下げたまま「ごめん」と言う他なかった。
「……なんて。嘘だよ」
少し明るい声が返ってきて、俺は思わず顔を上げた。
そこには、恥ずかしそうにはにかむ伊宮さんがいた。
「ほんと言うとね、昨日からずっと悩んでたの。これでいいのかな、断ってよかったのかなって……多分私がそうして悩んでたのに桃ちゃんも気付いてて」
だから朝もあんな事したんだと思う、と伊宮さんは付け足した。
「えっと……じゃあ、やってくれるのか?」
信じられない、という思いで彼女をまじまじと見る。
彼女は一度視線を逸らしてからもう一度俺を見ると、こくりと頷いた。
「私にそんな大役が務まるのかわからないけど……頑張ってみる」
「ありがとう!」
俺は感動のあまり、伊宮さんの手を両手でがしっと握った。
「ひゃ⁉」
伊宮さんが変な声を上げた。
しかし、今の俺にとっては大した問題ではない。
「なんかさ、伊宮さんから『おかーさんの匂いがする』ってあいつ言ってて……多分、伊宮さんじゃないとダメだと思ってたんだ。だから、何としてもしてもらいたいって思ってて、それで──」
「わ、わかったから! ちゃんとお母さん役頑張るから……! だから、その、手ッ、手……ッ!」
伊宮さんが顔を真っ赤にしてあたふたしている。
なんでそんなに慌てているのかと思って手を見ると、確かにがっつりと彼女の手を握り込んでしまっていた。
「ああ、ごめん。嬉しくてつい」
伊宮さんの手を離すと、彼女は顔を赤らめたままほっと息を吐いた。
「もう……展開早すぎて、心臓停まるかと思ったよ……」
「え? 展開って、何の?」
「~~~──な、なんでもない、なんでもないから!」
目をぎゅっとつぶって、首をぶんぶん横に振って何かを否定する。
展開って、何の展開だろうか。
「えっと……まあ、伊宮さんには時間と労働力を提供してもらう事になるから、それなりの対価もちゃんと払うつもりだからさ。なんか欲しいものとかあったら言って欲しい」
あくまでも高校生の経済力で可能な範囲で、と慌てて付け足した。
ヴェトンのバッグやら何やらを強請られたら堪ったものではない。そういうブランド物は好まなそうだけど。
「えっと……じゃあ、駅前に新しくできたクレープ屋さんに行きたいな」
「え、毎日クレープ食べるの?」
あれって五〇〇円くらいしなかったっけか。
さすがに五〇〇円を毎日は……いや、俺の食費を削れば何とかならなくもないか。
「毎日あんなの食べたら太っちゃうよ」
伊宮さんがくすっと笑って「たまにでいいよ」と付け加えた。
「伊宮さんって、そういうの気にするんだな」
「え?」
「太らないのかと思ってた」
伊宮さんは見るからに華奢だし、ちゃんと食べているのかと不安になるほど細い。
「そんな事ないってば。食べれば食べた分だけちゃんと太るよ。女の子と糖分の戦いは大変なんだから」
彼女は困り顔でそう言うと、少し首を傾げた。
「そっか。えっと……じゃあ、今日この後行く? 珠理の迎えまで今日は少し時間あるからさ」
今日は授業が六限だったので、少し時間の余裕がある。一時間くらいならそのクレープ屋とやらに寄っても平気だろう。
「うん! じゃあ、早速ご馳走になっちゃおうかな」
伊宮さんが顔を綻ばせて、元気よく頷いた。
その時に見せた笑顔は、これまで見た彼女の中で、一番可愛くて──心をぎゅっと握り締められたかの様な、不思議な感覚を味わった。
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