第4話 真田珠理(妹)の願い

「んで? 妹第一なシスコン野郎が学校一の美少女に告白? どういう風の吹き回しだ?」


 周囲に学校の生徒も少なくなってきた事もあって、信也が本題だと言わんばかりにメスを入れてきた。


「シスコン言うな」


 ここまで妹第一な生活をしていて全く否定できる要素がない気がするが、否定するだけ否定しておこう。確かに妹は大切だが、シスコンとは少し違う。


「お前に恋愛なんかしてる時間ねーだろ。そんな時間があるなら俺と遊べ!」


 何故か別のところに喰いつく信也であるが、そこには敢えて触れまい。少なくとも、恋愛できる時間があるなら信也よりも恋愛を優先したい。

 人生でたった三年しかない高校生活なのに、恋愛すらしていないというのはあまりに寂しいではないか。もしかすると、そういった気持ちがあるから、俺は伊宮さんを遠くから見て片思いしている気になっていたのかもしれない。よく言う『恋に恋している』という状態だ。

 学校一の美少女は、その気持ちを満たすには打って付けの存在だった。


「いや、まあ……実はこれも珠理しゅり絡みなんだ」

「珠理ちゃん絡み? なんで珠理ちゃんと伊宮弥織いみやみおりが結びつくんだ? 妹で鯛を釣る作戦か?」

「違うわ! そんな失礼な事するか!」


 俺は唾を飛ばさん勢いで否定する。

 さすがにそれは伊宮さんにも失礼が過ぎる。それに、大切な妹をそんな事には使いたくはなかった。


「んー……っていうか、そもそも告白もしてなくてさ。実際に俺が言い間違えたのが一番悪かったんだけど」

「はあ?」


 信也が疑問のあまり、九〇度くらい首を傾ける。もはや折れる寸前ではないかと心配になる程だった。


「いや、まあこれは説明した方が早いか」


 俺は嘆息すると、信也にこうなった経緯を説明した。

 それは、つい数日前の話だ。俺はいつもの通り、保育園に珠理を迎えに行って、帰りにスーパーに寄った。

 あまり料理は得意な方ではないので、なるべく簡単で手間がかからなそうなものをと思って商品棚を見ていると、手を繋いでいた珠理が俺の手を何度か引いたのだ。


『どうした?』


 俺が訊くと、珠理は同じ商品棚の反対側にいた女性を指差した。

 その女性こそ、俺が昨日言い間違いとは言えとんでもないお願いをしてしまった人物、伊宮弥織だったのだ。彼女は制服姿で、俺と同じく学校帰りにそのままスーパーに寄った様だった。

 伊宮さんは調味料コーナーでいくつかの調味料を見比べていて、こちらには気付いている気配はない。


 ──伊宮さんも料理するのかな。てか、どうしよう?


 学校一の美少女とまさかスーパーで鉢合わせるとは思っていなかったので、どうしたものか、と俺は焦った。

 一応は同じクラスだし、何か声を掛けた方がいいのだろうか。でもいきなり馴れ馴れしくすれば気持ち悪がられるのではないか──そんな疑問と迷いが俺の頭の中で交錯する。


『あの女の人がどうかしたか?』


 声を掛けるかどうかは置いておいて、とりあえず伊宮さんを指差した意図を珠理に訊いた。

 すると、彼女は唐突にこう呟いたのだ。


『……おかーさん』


 俺が『は?』と首を傾げたのは言うまでもない。

 その刹那、伊宮弥織がふとこちらを見て、俺達の存在に気付いた。

 彼女は──珠理がいたからだと思うが──優しい微笑みを浮かべて、会釈をしてくれた。そして、何かの調味料を買い物かごに入れたかと思うと、珠理に小さく手を振ってから、そのまま売り場を去って行った。

 伊宮さんとのやり取りは、そこで終わった。普段から教室内でもう少しやり取りをしていれば、一言二言話したのかもしれないが、交流がないクラスメイトとスーパーでばったり会えばこんなものだろう。彼女からすれば、気まずいひと時だったのかもしれない。

 それから買い物を済ませて家に帰ると、珠理がたとたとと俺のところまできていうのだ。


『おかーさんに会いたい』


 妹の面倒はこの五年間しっかりと見ていたつもりだったが、初めて言われた事にさすがに俺も驚きを隠せなかった。

 珠理が母親に会いたいと言った事など、これまでなかったのだ。彼女にとって母親がいない事──むしろ彼女の中では父親すらいないのではないかと思うが──は当たり前で、そこに疑問を持つ事もなかった。

 もしかすると、保育園で母親に関する何かがあったのかもしれないが、保育士さんからはそういった話は聞かされていない。

 保育士さんも、うちの家庭環境はある程度わかっているので、珠理に関してはかなり協力的だ。何か少しでも問題があれば、些細な事でも教えてくれる。今はシングルマザーが多いせいか、父親や母親などのワードもなるべく出さない様にしているとも言っていた。もしそのあたりで何かあればこちらに事情を説明するだろうと思うのだ。

 まあ、それでも園児の言う事である。たまたま『おかーさん』と言ってみただけなのかもしれないと流しても問題はないだろう。

 だが、珠理は基本的に口数がとても少ない子だ。いつも「うー」とか「うーん」とか「ううん」といった感じで、俺の言葉に対して返事をする事が多い。妹は妹で俺に気遣っているのか、我儘など言った事がないし、空気を読んで俺に迷惑を掛けないように振舞う賢さも併せ持っていた。自分の要望など殆ど言わない子だったのだ。

 そんな妹が、『おかーさんに会いたい』とはっきり言った。これを、どうしても俺は流す事はできなかったのだ。そこに彼女の強い意思を感じたからである。

 それに対して『うちにお母さんはいないんだよ』と言ったら、妹は首を横に振った。そして、こう言ったのだ。


『今日すーぱーに、おかーさんいたもん。おかーさんに会いたいな』


 正直、困惑した。彼女の言う〝おかーさん〟がクラスメイトの伊宮弥織を指している事は明らかだったからだ。

 しかも、それから彼女はほぼ毎日『おかーさんに会いたい』と言う様になった。俺と遊んでいても、その表情がどこか寂しげだと感じる様になってしまったのである。


「それで、さ……本物の母さんに会わせてやる事はできないけど、珠理が『おかーさん』って言った人なら、何とか会わせてやれるかなって」


 俺は信也への説明を、そう締め括って終えた。


「もしかして、それでお前、伊宮弥織にお願いしたのか?」


 なんて妹想いなんだ、と信也が涙ぐみながら訊いてくる。


「ああ。そのつもり

「だった?」

「それが……間違えて、『俺のお母さんになってくれ』って言っちまった」


 そこで、涙ぐんでいた信也が盛大にズッコケた。


「何でそうなるんだよ! 今俺めちゃくちゃ感動して泣いてたんだけど⁉ 台無しだろ! 俺の涙を返せよ!」

「緊張して言い間違えたんだよ! ただでさえ伊宮弥織を呼び出した時点でこっちは心臓バックバクなんだぞ⁉ それで言った事もない様な事言うんだから、言葉すっ飛ばしちまう事だってあるだろ⁉」

「ねーよ! てか大事なところ飛ばし過ぎじゃね⁉ 普通そんな間違いするか⁉」


 信也の的確な指摘に、もはやぐうの音も出ない俺である。自分でも何であんな言い間違いをしたのかわからない。


「それで……伊宮は何て?」

「あなたの趣味は否定しないけど私にはそんな趣味はないから無理ですごめんなさい、別のお母さんを探して下さい的な事をまくし立てる感じで言われて逃げられました……」

「だよなぁ」


 彼女の立場になって考えれば当然である。

 学校のクラスメイトから、いきなり『俺のお母さんになって』と言われたらドン引きだろう。むしろこれを言いふらされていないだけまだマシだ。


「まー、でも理由はわかったよ。お前が伊宮を呼び出すっていう不可解な行動を採ったのも、その後お前が弁解しようとするのも、伊宮の反応も、それを見て勘違いするクラスの連中も」


 納得だ、と信也は大きな溜め息を吐いた。


「わかってくれる奴が一人でもいて、俺は今泣きたいくらい嬉しいよ……」


 信也がいなかったら別の涙を流していたと思う。赤色の、自らの鮮血で染まった涙を。


「わかってくれる奴が一人でいいのか?」

「え?」


 思わず信也を見ると、彼はにやりと口角を上げた。


「まー、お前に非があるのは間違いないけど、誤解があったのも間違いないだろ? 親友のお前が可愛い妹の為に一肌脱ごうってんだ。俺も弁解の機会を作るくらいならしてやんぜ」

「おお⁉ 信也、お前まさか神か⁉」

「俺も前から何かお前にしてやれる事はないかって考えてたんだ。妹や子育てについてはさっぱりわからんが、これくらいなら俺でもできるからな。任せろ!」


 我が悪友が屈託のない笑みを浮かべて、親指を立てて見せた。

 彼がこんな風に言ってくれるとは思っていなかった。おそらく、本当に毎日忙殺されている俺を憐れに思ってくれていたのかもしれない。嬉しい限りだった。

 信也は「だが」と表情を引き締めて続けた。


「弁解を聞いてどう思うかは伊宮次第だから俺にはどうしようもないぞ。あの子がどう思うかはあの子次第だ」

「そりゃそうだ。そこは伊宮さんの領分だからな」

「でも、弁明する機会くらいはあっていいんじゃないか? 妹の為なんだからさ」


 普段はバカしかしない悪友だとは思っていたのだが、今俺の味方はこいつしかいない気がしてきた。ひとりでも友達がいて良かった。


「と、いうわけで明日の総菜パン代でどうだ?」

「金取るのかよ」


 前言撤回。がっかりにも程がある。


「当たり前だろ! 世の中無料より怖いものはないんだぜ? 無料で貰えるそこらのおっさんが作った総菜と、店で買う総菜、お前はどっちを信用する? 金を支払う方じゃないか?」

「まあ、それは確かに……」

「というわけで、契約成立だ」


 何だかうまい事言いくるめられている気がしないでもない。ただ、何とか弁明する機会は作ってくれるとの事を約束を取り付けて、信也とはそこで別れた。

 重かった心が少しだけ軽くなったのを感じながら、俺は珠理が待つ保育園へと向かうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る