脱学校的人間(新編集版)〈29〉
学校は、誰もがそこにおいて学び、そこを経由して社会に送り出されていくものであるように、期間も空間も限定されたものとして設定された「場」である。その学校は子どもを、年齢に応じて区切られた一定の集団へとひとまとめにする。言い換えると学校は、それまでバラバラに生まれバラバラに生活していた「誰かの子ども」を、ある年齢に至った一定のタイミングで区切り取り、「子どもたち、もしくは児童・生徒」と呼ばれる一定の「社会的・一般的な人間集団」として回収するのである(※1)。
ところでこのような「回収作業」に対して、次のような疑問が湧かないだろうか?
「…特定の年齢に到っての入学は、なぜ他の年齢であってはならないのか?また学年別になぜ同一の年齢が区切られて、上へ上へと押しだされているのか?…」(※2)
あらためて考えてみると、「一定の年齢にならなければ教育されない」というのは、「一定の年齢から一定の年齢までの一定の期間のみにおいて教育される」ということ以上に、何だか不条理な話であるようにも感じられてくる。しかしこれこそが実は、子どもたちを「それ自体として存在するかのように見出している、倒錯的な視点」が生み出している不条理であるのに他ならないのである。言い換えればこの不条理とは、「意図して生み出されたもの」なのであり、その不条理の与える「印象効果をあらかじめ織り込んだ上で」生み出されたものなのだ。とするとこれは不条理とすら言えないだろう、もはや端的に欺瞞であり、茶番なのだ。
「子どもは一定の年齢から一定の年齢までの一定の期間のみにおいて教育される」という一般的な教育の前提に対して、「子どもが子どもたちと呼ばれる年齢においてなされる教育の、その一定の期間とは、はたして本当にそれにふさわしい時期なのか?」という率直な疑問を呈する考え方もある。
たとえばフロムは、「六歳から十八歳までの年齢は、一般に考えられているほど学習に適した年齢ではない」(※3)と言っている。
「…もちろん、読み、書き、算数および言葉を学ぶにはもっともよい年齢だが、歴史、哲学、宗教、文学、心理学などの理解が、この若い年齢では限られていることは疑いえないことであり、じっさい、これらの課目が大学で教えられる二十歳前後でさえ、理想的ではない。多くのばあいこういう分野の問題を真に理解するには、大学生の年齢でもっている経験よりも、多くの生活経験をもつべきなのだ。多くのひとびとにとって、三十歳か四十歳のほうが高校生や大学生の年齢にくらべて、記憶するよりも理解するという意味で学ぶのにはるかに適しており、多くのばあい、一般的興味は嵐のような青年時代よりも、年長の年齢のほうが多いのだ。…」(※4)
そして彼は、教育が「子どもたちだけのもの」であることに疑問を投げかける。
「…どうして社会は、子どもたちの教育にたいしてだけ責任を感じ、あらゆる年齢のすべての成人の教育にたいして責任を感じないのだろうか?…」(※5)
教育を受けることがあたかも「子どもたちの特権」であるかのような印象を与える、現行の教育のあり方に疑義を唱えているという点においては、フロムの議論もあるいはイリッチの考えに通じているかのように思えてくるところはある。
しかし、イリッチにおいてはそのような「教育の領域を拡大・延長する」ということに対して、むしろ「社会全体あるいは全年代を貫いての学校化」につながるような事態の根深さを見出しているのである。
「…もう学校に通わなくともよくなった人は誰もいない。学校は、誰に対しても最後のドアを閉ざす前に、まず第一に彼にもう一度のチャンス----矯正的教育、成人教育、および補習教育のチャンス----を与えるのである。…」(※6)
生涯教育や社会人教育、あるいは学校の多年代化などというのは、結局のところ「人間の未熟を延長するだけ」の話であり、「そのような未熟な大人を、生徒として子どもたち化しておくだけのことだ」というわけである。そしてその未熟さから成熟へと至る、あらかじめプログラムされた過程は、やはり相変わらず「学校においてのみ実現できる」と考えられているという意味では、「人間の未熟さの延長・拡大は、学校化をより強固にするだけのことだ」というイリッチの主張が、フロムのそれとは明らかに異なるものであるのがわかるだろう。
あるいはフロムの考えがもし実際に適用された場合、むしろそこでは「そもそも教育が意図していたこと」は十分に果たされえないとは言えないだろうか。「そもそもの教育の意図」において「子どもたちが理解するべきこと」というのは、フロムの言うようなこととは異なるのではないだろうか。
〈つづく〉
◎引用・参照
※1 イリッチ「脱学校の社会」
※2 山本哲士「学校の幻想 教育の幻想」
※3 フロム「正気の社会」
※4 フロム「正気の社会」加藤・佐瀬訳
※5 フロム「正気の社会」加藤・佐瀬訳
※6 イリッチ「脱学校の社会」東・小澤訳
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