脱学校的人間(新編集版)〈16〉

 全ての人間が何らかの形で経由することになっている学校の、その具体的な経由プロセスについて少し見ていくことにしよう。

 全ての人間が学校を経由する社会において、ある一定の年齢すなわち「学齢期」になると、子どもたちは「入学」という形式で、それまで生活していた身近な世界、たとえば家庭や近隣地域から「外」に出て、「学校という新しい世界の中」へと入っていく。その新しい世界の中で「子どもたちは家庭を離れ、新しい友だちに出会う機会が与えられる」(※1)のだというように、これまた一般には何らの疑問もなく考えられていると言える。

 その考えに従えば、「新しい友だちとの出会い」とは子どもたちにとって、それまで出会ってきた「身近な人たち」とは違う、今までになかった未知の驚きと可能性を秘めたものであるかのように思われてくる。しかしそのような新しい出会いの機会といったものが、むしろ「ある特定された規定にもとづく限定的な行動様式もしくは関係様式に、子どもたちの生活環境が一元化されていく契機あるいは過程となっている」のだとすれば、どうなのであろうか?そのような「特定の様式に規定・限定された出会い」に、はたしてどのような驚きや可能性があるのだろうか?そしてそれはそもそも「新しい」のだろうか?


 子どもたちが学校という新しい世界空間の中に入っていくことについて内田樹は、「学校という限定された空間に、自分と同じような年齢で、なおかつ近接した知的関心を持つ、数百人数千という多数の人たちが同時に存在するという条件が整っていることによって、もし何らかの問題・疑問・障害が生じたりしたときには、個々ではその対処に困難を覚える場合にも、いかにすべきかという目鼻がつく」(※2)ものなのだ、と言っている。

 たしかにそれはそれで「目鼻はつく」というところもあるのだろう。ただしそれは、まさしくその「限定された条件の範囲内」で、という話になるはずではあるのだが。とはいえ一方で、「それ以外の条件が存在しうる可能性」は、実際のところここにはいっさいないのだろう。逆にその限定された条件がいっさい存在しないところに彼らが個々に放り込まれたとしたら、再び彼らは相変わらず「どうしたらいいのかわからないまま」でいることだろう。

 そしてここで改めて先の疑問が頭をもたげる。「自分と同じような人たちとの出会い」に、一体どんな驚きがあるだろうか?「どうしたらいいのかがわかりきっている空間」に、一体どんな新しさがあるのだろうか?

 そのような、本来「結果としてある」ようなものがはじめから折り込み済みで制度設計されていることに、まさしく学校というところが一体どのような意味を持った空間であるのかが証拠づけられているように思える。要するに学校とはまさにそのような、あらかじめ折り込み済みの結果を、制度的にさかのぼる過程として設計された空間なのだということである。


 内田は「学校は子どもたちを『外界』から隔離し、保護することをその本質的な責務とする。学校と『外の社会』の間には、子どもたちを外から守る『壁』がなくてはならず、ゆえに学校は本質的に『温室』でなければならない」(※3)とも言っている。

 学校を「外界」すなわち実社会とは別世界のものとして規定するということは、むしろそれを反転させて、実社会もまた学校とは別世界のものとして意味づけているということにもなる。「別世界としての実社会の意味」が、「別世界としての学校の価値」を規定する。このような意味づけは、しかしどちらか一方だけでは成り立たない。要するに「互いの意味と価値」をめぐって、学校と実社会は全くのところ「共犯関係」にあるのだ。それらは実はむしろ一体となって、「一つの世界」を形成しているのである。

 「壁の向こう側の世界」がなければ、「壁のこちら側の世界」もない。こちら側のどのような特性も、向こう側の特性に対比させなくては、それぞれのどのような特性をも、こちら側においても向こう側においても主張することはけっしてできない。「ある一つの世界に対して見出される別世界」とは、「自身の世界が持つ意味と価値が成り立つために、相手側の世界に依存せざるをえない世界」であり、そのような「もう一つの世界との一体性」は、その意味と価値を介して、互いとの間に維持され続けているのである。

 また、学校が「期間限定の場」であるということは、その限定された隔離と保護の期間を経過した後には、今度は学校からの「無期限の追放と断絶」が待っている。そしてそのようなことも学校の価値を規定するものとなっているのだ。「限定」という稀少性が、学校の価値をより高めているわけである。そしてその限定期間を過ぎてしまうと、誰ももう二度とその中には戻ることができないのだ。門は固く閉ざされており、追放者はその「中の世界」から、永久に冷たく拒絶され続けることになるわけである。


〈つづく〉

 

◎引用・参照

※1 イリッチ「脱学校の社会」

※2 内田樹「街場の教育論」

※3 内田樹「街場の教育論」


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