最終話・そんな人生だった


 船の乗り心地は最悪だった。

 意外と揺れる。

 だが渡り終えるのは存外時間は掛からず、神判の順番もすぐに訪れた。

「やーっと来たっすねぇ、久慈川氏~」

「えっと……誰?」

「いや~こんな可愛くてびっくりするでしょうけど、ウチが閻魔大王っす」

 妙に豪奢なキセルを吹かしながら、閻魔大王は言う。

 大王なのに女? とかはまぁ言わないでおこう。

「久慈川氏なら特別に、外崎とのさき様と呼んでもいいっすよ?」

「いや、わけわからないんで大丈夫です」

「あっはっは~相変わらずつれないっすねぇ~」

 いやに私のことを知ったような口ぶりだったが、まぁ事前に私の生前に関して調べていたんだろう。

「さてさて~つもる話もあるんすけど、まずは行ってもらわないとならない場所があるんすよね~」

「天国ですか? 地獄ですか?」

「それはお楽しみということで。ささ、案内人はあそこにいる人っす。どうぞついていってくださいっす」

 言われて指が示す方を見ると、ベレー帽を被って瓶底眼鏡を掛けた女がいた。

 天国なのか地獄なのかくらいさっさと教えてほしかったが、ここのルールならば仕方ない。従おう。楽しみになんか、できるわけもないけれど。

「漫画、読んでますか?」

 側にいくと、女は開口一番にそんなことを訊いた。

 この問診も振り分けに必要な作業なのだろうか。

「はい? 漫画、ですか。……いえ、最近は読んでないですね、子供のころは読んでましたが」

「それは駄目ですねぇ。大人にこそ必要なんですよ漫画は」

「はぁ」

 呆れたような目で私を見ると、彼女が歩き出したためついていく。

 おかしな案内人もいたものだ。

「さて、あなたのお部屋はここです」

「部屋?」

 辿り着いた場所は、左右で蝋燭が揺れるふすま

 薄暗く、細かいディテールはわからない。

「ええ。あなたの行く場所は天国でも地獄でもありませんから」

「じゃあどこだって言うんですか?」

「えーとですね、あなたにはこれから神様として、日本を、ひいては地球を守護していただくこととなりました」

「………………はぁ?」

「あなたのせいで神の御席に空きが出ることになりましてねぇ。まぁ責任問題というやつです」

「こんな一般小市民が神様をどうこうできるわけが」

「いやいや……それができてしまったんですよ。にしても久慈川さん、だいぶ昔のようになってきましたね」

「えっ?」

 にたりと、瓶底眼鏡の奥で笑みを浮かべられ、少し恥ずかしくなる。

 どいつもこいつも勝手に人を調べやがって。

「いいことですよ。ここの姿は心の有り様を写します。随分若返ったでしょう?」

「た、確かに」

 まぁ私も一人の女だから、先程までの疲れ切った五十手前の身体を引きずるよりかは、高校生くらいの、今くらいの身体の方がいい。

「では。行ってらっしゃい。たまにお掃除に向かうので、そのときはどうぞよろしく」

「……」

「行こう? トーコちゃん」

「…………ああ」

 漠然とした恐怖に絡め取られ動かなくなった足が、銀髪少女の放つ言葉で軽くなった。

 一歩、進む。

 襖を開け踏み入ると、古い木の板の上に降り立った。

 薄暗いが、様々なものが落ちているのがよくわかる。雑誌やら、ガスコンロやら、やかんやら、妙に生活感がある空間だ。

 光が薄く差し込んでいたため、そちらに向かって歩く。

 外から見ると、ここが随分と古い神社だということがわかった。

 つまり先程までいたのはお堂の中だ。

 そして。

 色の剥がれた鳥居の下に、一人の美女がいた。

 あるいは――

「久しいのぅ」

 ――一匹の、狐がいた。

「元気にしておったか? 綯子」

 まただ。また脳が、胸が痛む。しかも今度はより強く、深く。

「誰だ、あんた」

「ふふ、よいよい。問答は無用じゃ」

 狐の耳をつけた巨乳のロリっ娘はゆっくりと私に近づき、「ほれ、しゃがむのじゃ」と言いつける。

 まるで当たり前かのように、私は従った。

「今まで……本当によく頑張ったのう。記憶のない苦しみと、よく闘った。力になれず……本当にすまない」

「なにを、言ってるんだ? なんで、あんたが……泣いて」

「じゃがもうそんな日々もしまいじゃ。綯子、最後に言わせてくれ」

 彼女は私の頭を撫でた。緊張も、警戒も、全てが落ち着くような、そんな温かさだった。

うぬを、愛しておる」

 拒む隙もなく――彼女の唇は、私の唇に触れていた。

 ファーストキス……?

 どうして疑問符が浮かんだのかはわからないが、とにかく、私のファーストキスと共に、様々なものが溢れ込む。

 暖かくて、懐かしくて、どうしようもなく涙が溢れ出てしまいそうな――力。

 言い様のない強烈な力。今なら全てを支配できてしまいそうな、そんな、全能感に酔い痴れてしまいそうな程の、力。

 そして物語。

 一匹の狐が、壮絶な大火の中、森を駆け回り、動物を、そして近隣の村々に住む大勢の人間を救い、一人、孤独に力尽き、神として認められる物語。

 そして感情。

 一人の、さえない女を好きになって、どうしようもなくなるような感情。地球の外からやってきた少女を、娘のように愛した感情。

 そして――記憶。

 彼女……浮世が、久慈川綯子と出会った。記憶。

 そして久慈川綯子――私を取り巻き、嵐のように通り過ぎていった日々。そうだ、私は……ずっと会いたかったんだ。浮世に。リジュに。外崎に。誌記に。アルテミスさんに。…………鴫頼に。

 記憶には、より強く存在感を放つ、一枚の手紙があった。

 それは私に宛てられた、懺悔のような文章だった。


×


 気が付くと、私は神社の階段に座っていた。

 そして膝の上に、一匹の狐がちょこんと乗っている。

 頭を撫でると嬉しそうに、更に身体をすり寄せた。

 隣にいるリジュと一瞬見合い、笑った。

 涙が溢れたけど、それでも笑った。


「大丈夫だよ」


 狐を抱きかかえる。

 重さも、温かさも――暖かさも、全てが愛おしい。


「なにがあろうと、私だって浮世を愛してる」


 私は死んだ。

 あんな無様に、どうしようもなく死んだ。

 そう、確かに死んだが――意外と悪くない。

 そう思えた――そんな人生だった。


「これからはずっと、お前の嫁も娘も……ずっと、ずっと一緒だよ」

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綯交世界は今日も百合ゆりッ!? 燈外町 猶 @Toutoma

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