第39話・取り返しのつかないバカ

「ようやく来たか、我が妻よ……」

「大丈夫か……?」

うぬが来てくれたのじゃ、何も問題はあるまいて」

 トーコちゃんに抱かれたと同時に、今まで決して閉じることのなかった瞳が、落ちることのなかった意識が落ちた。

 まだほんの少し余裕があるように見えたけれど、緊張の糸が切れたんだろうか。

 相思相愛、お似合いの、素敵な二人。

 震える手で浮世さんを抱きかかえながら、トーコちゃんは私を見る。

「リジュ……これは一体……」

 トーコちゃんに……このスプラッタはちょっと刺激的過ぎたかな?

「来ちゃったんだね、トーコちゃん」

「それ……鴫頼か……?」

 ひどい有様だから本当にわからなかったのか、それとも信じたくないから聞いたのかは、わからない。

「待ってくれ、リジュ」

 眠る浮世さんを、隣にいた女性――誰だろう。でも浮世さんよりも強そうな存在――に預け、トーコちゃんは果敢にも、私と彼女を遮るような場所に位置した。

「こいつを、殺さないでくれ」

「くくくっ……だってさ」

 甘ったる過ぎるトーコちゃんの発言には、たとえ彼女でなくとも笑いそうになってしまう。

 でも、そっか、、トーコちゃん。

「無理だよ」

「生まれて初めてできた……友達なんだ」

「トーコちゃん、看過できることと、できないことがあるの」

「自分でもバカだなって思う。だけど、お前に対する謝罪も浮世に対する贖罪も終わってないだろ? だから」

「だめだよ、ここでちゃんと殺す」

 そうだよね、怖いよね、トーコちゃん。

 いつか言ってくれた『お前なんてすごんでも怖くない』なんて、やっぱり嘘だったんだね。

 考えれば当たり前だけど。

 うふふ……優しいなぁ。

 普通こんな、こんな存在と繋がろうなんて、誰も思わないよ。

 しかも損得を抜きにして。

「頼む……こいつを止めてくれ久慈川。私が悪かったよ。本当はこんなはずじゃなかったんだ。こんなつもりじゃなかったんだよ」

「黙って」

 彼女が調子に乗って口を動かしたせいで、トーコちゃんのおかげで少しだけ芽生えていた情状酌量の余地が消える。

 ここでちゃんと、終わらせる。

 私達のエゴで始まったこのふざけた喜劇は、しっかり私達で終わらせる。

「あっははっは、ダメだったかぁ、失敗しちゃったよ、あーあ。私の人生もこんなもんか」

「喋るな鴫頼。お前は生きて、償う。それだけだ」

「ねぇ久慈川。私はね、お前を友達なんて思ったこと、ただの一度もないよ」

「っ…………」

「君の弱点は美少女や金でなく、友達だ。だから君に初めて声を掛けた。利用するためにね。あっはっは。私が初めて声を掛けた日を覚えているかい? 君のあの嬉しそうな戸惑いの顔…………ほんと、笑えるよ」

「それでも……私は」

「君はほだされやすいねぇ。まぁ十六年生きて初めて友達ができればそりゃ嬉しいか。それでも、友達ごっこはここで終わりだ」

「……ごっこじゃない」

「……なんて?」

「ごっこじゃない。お前がどう思おうと……私にとっては……どんな最低の糞野郎でも、私にとっては友達だ」

「……あははは。君はもう本当に……取り返しのつかないバカだな」

「そうだ、バカだ。だけど……だから……」

「さっさと殺せよリジュ。もうこのバカに付き合うのも飽き飽きだ」

「リジュ、頼む。初めて出来た友達なんだ」

「初めて出来た大切な人を傷つけられたの。許せない」

 それにこれは、トーコちゃんの思っているような殊勝な存在じゃない。

 これから先も、他を傷つけ続ける。もう、そういう生き方しかできない。

 でも、トーコちゃんがこうやって姉の命乞いをしてくれているのは、なんだか――彼女の命とリンクしてしまった――私の記憶をなくさないでと頼まれているようで……嬉しい。

 そう、私、こんな幸せな気持ちで、二人への『好き』を終われるんだ。

「トーコちゃん」

「なんだ?」

「私を……信用してくれないかな?」

「……どうすればいい?」

「この人と、二人きりで話がしたいの。殺すか否かは、それで決定する」

「それで? 私は?」

「浮世さんを連れて、先に地球に戻ってて?」

「……すぐに、お前も帰ってくるんだよな」

「うん」

「鴫頼も、問答無用で殺すわけじゃないんだよな?」

「うん」

「……わかった」

 トーコちゃんは瀕死の元友人を、慈悲深くみつめ、そして、浮世さんのもとへ移動した。

 その足取りに迷いはなく、名前も知らない存在に何かを告げると、ふわり、宙に浮く。

「早く帰ってこいよ」

「うん」

 それだけ言って、私に背を向けて、去って行くトーコちゃん。きっと今、振り向きたくて仕方がないんだろうなぁ。

「お前が思ってる以上に、久慈川は嘘に敏感だよ。かなり鋭い。たぶんあいつは、お前が帰ってこないことも……わかってたんじゃないかな。でもその原因が私とまでは、気づいてないみたいだけど」

「いいの。これでもしも……またいつか、あの夢のような日々を、夢で見ることができたら」

 小さな小さな地球に向かって、どんどんどんどん離れていくトーコちゃんと浮世さん。

 私は、手を振ることもなく、ただそれを、しばらく眺めて。

 走馬燈のように、楽しかった日々が流れて。

「さようなら、浮世さん、トーコちゃん」

 姉の、息の根を――。

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