第35話・わかった?

「やぁ」

 母(だった存在)からはロクな情報をもらえず、とりあえず、彼女がよく訪ねていたきれいな星を回っていると、やがて月に辿り着いた。

(なんだ、道中だったんだ。実家なんかに帰らなければよかった)

 そんな風に思ったけれど、帰るよう指示をされていたのだからしょうがない。

「ちょっと見ないうちに見違えたな。覚悟はできたって感じか?」

 彼女は普通の――おそらく学校でトーコちゃんにも向けていたであろう――笑顔で言った。

 けれど、もうそんなことは正直、どうでもよくて。こいつのことなんか、心底どうでもよくて。

 私は、この瞬間、一つの確信にひどく動揺していた。

 無数の十字架に体を貫かれ、瞼を持ち上げることも許されず、もはや呼吸すらまともにできていないくせに――それでもなお、口角を少し上げている浮世さんをみて、ほんの少しの興奮と――味わったことのない怒りを覚えていたからだ。

(……あーあ。認めたくなかったなぁ)

 私は、トーコちゃんが好き。だけど、浮世さんも、好き。

(あーあ……わかんないよ、もう)

 大切なものが一つだけだった時は、トーコちゃんだけだった時は、行動も理念もシンプルで良かった。

 なのに、それが二つになったとたん私は、ぐちゃぐちゃになる。

 一が二になっただけで、これほど多くの矛盾が発生して、これほど多くの葛藤が芽生えて、これほど多くのしがらみに縛られるなんて。

(どうしよう)

 自覚したところで無暗に動くわけにもいかず、一応姉からの言葉を待った。彼女がああやって生きているということは、まだ交渉を目論んでいるだろうし。

「一応言っておくけど、こいつ、あと一本で完全に死ぬから」

「…………」

 馬鹿だなー。とだけ。

 この程度で浮世さんが死ぬわけもない。その程度の知識で、その程度の能力で、稚拙な全能感に浸れるのだからうらやましい。

 こっちはこんなに万能なのに……好きな人同士がくっつこうとしてるのに。

「今ここで、地球人の魂を全部、あの世、だっけか? 天国? 地獄? まぁどこでもいいけど、地球外に追いやれ。そうすりゃこいつは開放してやる」

「……わかった」

 あまりじらしても仕方がないだろうし。

 私はとりあえず、たぶん私以外の人間じゃ捉えられない速度で浮世さんの体に刺さっていた十字架を引き抜き、それを使って彼女の右腕を地面ごと突き刺す。

 同じ行程で左脚。

 同じ行程で左腕。

 同じ行程で右脚。

「交渉っていうのはね、同じ次元にいる者同士で初めて成立するんだよ。わかった?」

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