第34話・美しいほどに甘い

 対流圏を超えた辺りで考える。

 どうしてあの最悪の存在について、私は忘れることができていたのか。思い出してしまえばそれは本当に、不思議でしょうがなくて、自分の不甲斐なさに辟易とするばかりだけど、もうそんな雑念で速度を落としている余裕もない。

 成層圏を超えた辺りで考える。

 あの時、私がなぜ親に捨てられたのかを。当時は全く理解できなかったけれど、しかしそれが、あねの仕業であるなら、あれが黒幕であるなら、少しは得心のいくものもある。

 中間圏を超えた辺りで考える。

 けれどそれ自体は結果オーライで、捨てられたおかげでトーコちゃんと出会えて、わからなかったおかげでトーコちゃんと暮らせた。そして、浮世さんに抱きしめてもらえた。だから、実は彼女に対して、憎しみのみを持てないことも確かだった。

 熱圏を超えた辺りで考える。

 姉はできることが限られていた。だから、唯一持っている記憶操作を使い、あらゆる人間を操作した。

 あのとき使っていた十字架はお母さんの封印術、そして暗闇の転送術はお父さんのものだ。彼女は、他人を頼らなければ基本的になにもできない。

 たちが悪いのは、頼っているという意識は全くなく、上位の存在である自分が使ってやってる、くらいの感覚しかないところだろう。

 外気圏を超えた辺りで考える。

 私は今後、どのように行動をするべきなのか。当然、第一の目的は浮世さんを奪還することなのだけど、しかしその際、アレが浮世さんを人質にし、全人類を滅ぼせと命じるのは、もはや明らかだった。

(うーん……滅ぼすのも、ありなんだよね)

 だってトーコちゃんも浮世さんもいるなら、私はそれ以上いらない。地球には、その二つしか価値がない。

 そんな、たったの二つしか価値のない――地球を救う価値があるのだろうか。いや――。

 違う、ここで考えるべきは、姉と、彼女の選択だ。浮世さんは、もしかしたら自分に、人質としての価値を無くそうとしているのかもしれない。

 アレを挑発するようなことをわざと言って、自分を消そうとしているのかもしれない。彼女は地球の神様だから……トーコちゃんの、許嫁だから。

 私がトーコちゃんと浮世さん以外の人間を消したとき、きっとトーコちゃんは悲しむから、そうならないように、浮世さんは行動している――かもしれない。

 仮定の話だ。なにもわからない。なにも決まらない。どうしようか。もういっそのことこの宇宙ごと吹き飛ばしてみようか。流石にできないか。私の破壊よりも、宇宙の拡散の方が……たぶん、早いし。


×


 そろそろ自宅だ。久しぶりにみる我が家の門構えは特筆することもない。変わっていない。一人娘を追放したあの瞬間から。

「……誰?」

 一歩、庭先に踏み込むと、怪訝そうな――母の声がした。

「お母さん……久しぶり」

「おかあ、さん? ……何を、気持ちの悪いことを言わないで」

「っ……」

 瞬間、察した。

 なるほど、彼女は、アレは、姉は、両親から私の記憶を消したのか。なるほどなるほど。ははぁー徹底してる。流石。帰る場所もなくしたの。

 私にとって、トーコちゃんと浮世さんをかけがえのない存在にするために。

(地球なんか……あんなものの為に……よくやるなぁ)

 関心と興ざめ。熱狂と平静。なんだか姉の、ばかばかしい趣味の為、遠路はるばる里帰りをして、好きな人の許嫁を助けるというイベントに、どこかちょっと、嫌気がさしてしまった。

 萎えてしまった。

 でも、確かにもう飽き飽きなんだけど、それでもまだ、浮世さんを取り戻したがっている自分がいる。

 んー……。よくわからなくなってきた。

 でも、姉が浮世さんの生殺与奪の権を握っていると考えただけで頭に来る。

 これってもしかして、とりあえず今は、今だけは、トーコちゃんのことはおいといて、浮世さんのためだけってことにしておいた方が、動きやすいのかな……。

 今だけは。今だけは。


 ×


 私はトーコちゃんが好き。私はトーコちゃんを愛している。私はトーコちゃんの為に全人類を殺せるし、全宇宙を相手取れる。

 じゃあ。浮世さんは?

 浮世さんはライバル。浮世さんはお邪魔虫。浮世さんはいつも上から目線で、わかったようなことを言って、私よりも強いくせに武力行使をしないくせに、何を気遣ってか姉に反撃していない。つまり浮世さんは甘い。浮世さんは私が殻に閉じこもると、いつも助けに来てくれた。

 つまり浮世さんは、甘い。

 とてつもなく甘い。美しいほどに甘い。甘美。私に対しても、トーコちゃんに対しても、自分を脅かす者に対しても。

 そしてそれはたぶん、実力から来る自負なんかじゃ、ない。私では想像もできないような過去があって、それを乗り越えて、今も生き続けているからこその甘さだ。

 強靭な、甘さ。

 うふふ。そう考えたら浮世さんがここで殺されちゃうのは、残念だけど妥当な感じもする。だってそんな、傲慢な甘さを持っていたら誰だって寝首をかかれるものでしょう?

 なによ浮世さんのためって。そんなのありえない。バカげてる。撤回撤回。

 だから、私のとるべき行動は、浮世さんを見殺しにして、まぁあれもなんだか腹が立つから殺して、地球に帰って、トーコちゃんには『残念だけど助けられなかったよ、ごめんね』と嘘をついて、『良いんだそれでも。お前が帰ってきてくれたなら』と頭をなでてもらって、許嫁を失ったトーコちゃんを寝取って、そしてトーコちゃんが天寿を全うするまで一緒に生きて、トーコちゃんが死んじゃったら一緒に天国に行って、生まれ変わったら私もついて行って、永遠に、延々と、いつまでも、そうやって。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る