第28話・慈悲深いだなんて思わない。ただのお人好し。

「久しぶりじゃの」

「遅かったですね」

 ひどく疲れている表情の浮世さんがいた。

 いつも綺麗に、清廉に整っていた着物も、ところどころほつれ、汚れている場所もある。

 けれど、それなのに、どこか――余裕のある笑み。

「いろいろやらねばならぬ事があってのぅ。じゃが、うぬの相手はわらわの仕事じゃ」

「…………そういう、ことですか」

 浮世さんがここにこない理由について、いくつか考えていた。例えば、もうトーコちゃんや私の世話をすることに疲れた、とか。私に勝てる目算が見えないから諦めた、とか。

 どれも現実的じゃないからもやもやしていたけど、ようやくわかった。

 この人は――このお人好し狐女神様は――私にとって有害な、私に一矢報いそうな神を、相手取ってくれていたのだ。

 一人や二人ではない。

 だから……私の元にはあんな、弱い神しかこなかったんだ。

 慈悲深いだなんて思わない。ただのお人好し。

『汝は妾の娘じゃからのぅ』

 ふと、共に暮らしていたとき、何度か耳にした言葉を思い出す。

 母、か。

 この人が私の本当の母だったら、どれだけ良かっただろう。あぁでも、こんないい人に育てられたら、こんな私にはなってないか。こんな私になってなければ、トーコちゃんにも会えなかったんだもんなぁ。

「妾は、妾の日常を取り戻す為に戦う。汝にも理由があるなら、それに全力を懸けて抗うのじゃ」

 トーコちゃんがこの人を選んだ理由が、痛いほどわかる。

 私だってトーコちゃんの立場だったら、間違いなくこの存在を選ぶだろう。

 でも、だからって、それが……私の負ける理由には、ならない。


 ×


 結論から言えば、私の完敗。既に詰み。

 私が一回行動すれば浮世さんが百回行動できるような能力格差。

 そうか、私たちみたいな宇宙人がどれだけ地球を侵略しようとも、こういう……並外れた神がいるから、幾度も失敗してきたんだ。

 鍛え上げた能力も、作り上げた世界も、張り巡らせた戦略も、全てを凌駕され、破壊され、看破される。

 そして――とことん気にくわないのが。

「どうして……私に攻撃を当てないんですか?」

「そりゃ汝よ、児童虐待になってしまうじゃろ」

「ふざけないでっ!」

 ただの一撃も、私には触れていない事実。

 終わらせてしまえばいいのに。どうせ私みたいな存在は、デコピンでもすれば消し飛ばせるだろうに。どうして生き長らえさせるのだろう。

 さっさと。

「さっさと終わらせてよ!」

 もうダメなんだ。こんな……支離滅裂なことをしている時点で、私はもうどうしようもないんだ。

 ヒールのせいにはしていた。だけどそんなことは些末事で。きっかけを作られたというだけのことで。

 私は力を抑えることができない。欲望を抑えることができない。私は結局……宇宙人なんだ。この星に――適応できない。

「わからんのぅ」

「なにが、ですか……?」

「何を終わらせる必要がある」

「……私を……終わらせない限り……この地球上に存在する異常は……終わりません」

「はんっ!」

 浮世さんは心底馬鹿馬鹿しそうに、くだらなそうに笑うと、私に歩み寄ってくる。

「汝が異常? ……面白くもないのぅ。それは悲観か? 自惚うぬぼれか? この地球上に、否、日本に場所を限っても、どれだけの異常があると思う。妾はそんな、程度の知れた異常を異常とは呼ばん、そんなものは只の、個性じゃ」

 つま先が触れそうな程、距離がなくなった。私を見上げるその瞳は、いつもと変わらない――優しいソレだった。

「汝は、何かの事情があってどこかからここに来た。綯子に惚れた。妾と過ごした。他の者にも出会った。凄い能力を持っておる。冷ややかな性格を持っておる。高い学習能力を持っておる。じゃがの、妾から言わせれば汝などまだまだ大馬鹿者うつけじゃ」

 手を握られる。いやに温かい。トーコちゃんもそうだけど……ここの人たちは、なんでこんなに温かいのだろう。

「惑わされるな。綯子は汝の側におる。もちろん妾もじゃ」

「でも、浮世さん……私……」

「案ずるな。子のさぽーとをするのも、親の仕事じゃろうて」

 力が抜ける。膝が落ちる。顔が、浮世さんの胸部に埋まる。ああ、なんて良い香り。ずるいなぁトーコちゃんは。こんなに素敵な人を、独り占めにしようなんて。

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