第8話・あなた以外の全人類を滅ぼして私は故郷に帰る

「あっやっと帰ってきたトーコちゃん、もう……どこ行ってたの?」

 至福の時間はすぐに終わり、そろそろ夕方から夜に変わるかという時間帯で帰宅した私を、リジュが玄関で出迎えた。

「ほら、卒業アルバムのこのページにね、みんなから一言もらったの。トーコちゃんも書いて? 私も書いてあげるから」

 満面の笑みでアルバムを広げて見せたリジュ。

 成績優秀で人目を惹く容姿を持つこいつは私と違い、名も顔も知らない学友(がくゆう)達から『卒業しても遊ぼうね!』『三年間楽しかったよー! ありがと!』等々多くのコメントを寄せられていた。

「あーうん」

「それとこれ、卒業祝い。お花と、ハンカチ。トーコちゃんにはとってもお世話になったから…………っ」

 靴を脱いで家に上がり、リジュに少し近づいたところで、視線は鋭く声音は低くなった。

「どこ、行ってたの?」

「浮世のとこ」

「そうだよね、この匂いは……間違いない。何話してたのかな? 卒業おめでとうって?」

「結婚しようって」

「…………結婚………………?」

 手から――アルバムが滑り落ち、重量相応の音が響いた。

「おい、大丈夫か? 足に怪我は」

「結婚。夫婦となること。社会的に承認されて男性が夫として女性が妻として両性が結合すること――だっけ?」

「ああ、ええと……まぁ、そんな感じ?」

 間抜けな話だが、この時私はもう既に忘れていた――リジュが地球を滅ぼしに来たなんていう事実を。だってそんな素振りも発言も行動も一切しないまま、五年以上一緒にいたんだから。

「ん、んんん?」

 リジュが人差し指と親指を合わせた瞬間、まるで同化したかのごとく、私の口もぴっちりととじられ、開口を封じられる。

「んんんん!!! んんん! んんんんんんー!!!」

「ええとまずは中身の入ってない空の鍋をオタマでくるくるして……」

(なんの作法だ!)

 伝われば僥倖ぎょうこうと思い、つっこみは忘れない。

「それでええと……包丁で滅多刺しにして首を切り落として鞄に入れて浮世さんに会いに行ってお腹を裂いて中に誰もいませんよ……?」

(なにいってんの? まだそこまで行ってないから! 中に誰かいるなんて誰も言ってないから!)

 ダメだ。そんな完全に教科書通りのマニュアル人間になっちゃダメだ……!

「でもこんなことしたらトーコちゃん死んじゃう……」

(そうそう! 死んじゃうから!)

「でも……あの漫画では、次のコマで主人公の怪我全部治ってたし……」

「んー!!!! んんんんん!!! んんん!!」

(それギャグ漫画だから! 漫画での地球人教育が裏目に出てる!)

 ちくしょう。この日ほど、我が家のジャンルに不足ない完璧なラインナップの本棚を恨んだことはない。

「あーそうだったそうだった。思い出したよー、私、この星を滅ぼしに来てたんだった」

(ことのついでで人類の最重要事項思い出してんじゃねーよ! つか私も私で忘れてたしバカー!)

 そう。バカだった。リジュがいる日常が当たり前になってしまっていた。もう少し頭が回れば、浮世との関係を隠して上手く立ち回っていたかもしれないのに……。

「ねぇトーコちゃん、トーコちゃんが私のものにならないんだったら……」

 あなたを殺して私も死ぬ、とか言うんじゃないだろうな……。

「あなた以外の全人類を滅ぼして私は故郷に帰る」

(独りぼっちにするな!)

「トーコちゃんには不死の呪いを掛ける」

(たった一つの救いを絶つな!)

「本気だよ? もし、やめてほしいなら、わかるよね?」

 途端に――口が開けるようになった。

「ぷはぁっ!」

「わ・か・る・よ・ね?」

「…………」

「お返事は?」

「…………わかったよ。ちょっと待っとけ」

 選択肢は他になかった。

 女子中学生の淡い初恋と、全人類の命、天秤にかければどちらが重要かくらいはわかってしまった。こういう時こそもっとバカになれたら良かったのに。

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