第2章 『2階 蒼天と間隙の牢獄』

 第1話 ➡︎狙われる

 「ぎゃああぁぁぁぁ!!!!」

「に、逃げろぉ!!!」

「馬鹿野郎!! 声を出すんじゃねえ!!」


 大勢の人が死んでいく。


 まるで重機にでも巻き込まれたかのように簡単に、体が引き千切ちぎられて。


 バキバキッ! グチャグチャッ!


 晴天の空と、広い荒野に不快な音が響く。


 両足だけが残された者、片腕が千切られた者、丸呑みされた者。腹を空かせた犬に、人間の形をしたケーキを与えたかのように、バクバクと食いちぎられていく。




 盲目の、巨大な空飛ぶワニの魔獣によって。




(一体どういうことなんだ……!!)


 シロナガスクジラほどあるその巨大な白いワニを前に、俺とフィンリィや、周りの100人近いウルファ族達も成す術はなかった。俯瞰ふかんして見れば、さながらクジラが小魚の群れを捕食する構図になっているだろう。まるで海を泳ぐように重力を無視して宙を泳ぎ、人を喰う。


 突然、辺りから音が消えた。


 全くの無音。静寂。


 目の前に繰り広げられている惨状は変わらず動いているのに、テレビを消音にしたみたいに音だけが消えた。音を察知してくるこの魔獣に対し、誰かがようやく音を消す血塊マテリアルを使用したようだ。


 俺とフィンリィは、音も無く食いちぎられていくウルファ族達を見ながらも、動きを止めた。血塊マテリアルによって音がなくなっても、少しでも存在を悟られたくない気持ちの表れだ。まだ生きているウルファ族達も、震えながらも同様に止まっている。


(震えが……止まらない……!)


 怪獣の横顔のドアップ。


 俺の目と鼻の先に、ワニの横顔がある。音を頼りにしているせいで退化した目のまぶたは閉じている。


 目の前で、人間を咀嚼そしゃくしている。音はしないが、巨大なあごが動く度に地面が揺れ、恐怖を煽られる。


 俺はフィンリィの腰に手を回し、細い腰をこちらに引き寄せる。フィンリィも僅かに震えている。


 心臓が苦しい。息もしたくない。


 そして、ワニの瞼が開いた。


 輝きの無い爬虫類の巨大な瞳。焦点は合っていない。だから目も合っていない。そもそも見えてないはずだ。


(大丈夫だ……見えてない……! 見えてないはずなんだ……!)


 汗が頬を流れる。その汗の動きすら、今は止まっていて欲しい。


 ——しかし。


 そんな想いも虚しく、明らかに俺の存在を認識して、ワニの魔獣は巨大な口を広げた。2列に生えた頑丈な牙に、血が滴っている。


 映画館のスクリーンの真ん前で無声映画を観ているような、奇妙な感覚。


 ゆっくりと、洞窟のような口の中がこちらに近付いてくる。


(喰われる……っ!!)




—*—*—*—*—*—*—*—*—

*—*—*—*—*—*—*—*—*


 ——約2時間前。




 「眩しっ」


 しばらく真っ暗の空間を通過し、アマルティアの天秤は止まった。差し込んできたのは真夏のような太陽の光、雲ひとつ無い青空。そして広大な茶色い荒野。ところどころに岩や小さな山が点在している。


「温度もだいぶ上がりましたね」


 確かに、28度くらいはありそうだ。空気もカラッとしているし、日本で言えばまさに真夏のそれだ。監獄時計のメニューを開くと、2階のゴールは南東の端。こことは反対側の端である。


 秘力不足のフラフラは治っていた。しかし、単純な暑さで少し歩くと汗が滲む。真夏に長袖の上下を着て手袋をしているんだから当然だが、肩の紋章や罪滅ぼしの刻印エクスピエイトを見られると厄介だ。罪滅ぼしの刻印エクスピエイトは脅しに使えそうでもあるが、命を狙われる材料にも成りかねない。


「フィンリィは脱いでもいいんだぞ? いや下心じゃなく」

「大丈夫です! 私は南の生まれなので、暑さには慣れてます!」


 元気をアピールするように両腕の力こぶを見せるようなポーズをするフィンリィ。いちいち動きが可愛いな。


「どわっ!」


 フィンリィに見惚れていると、何かに躓いて転んだ。


「大丈夫ですか?」

「ああ……何かに躓い——」


 足元を見ると、頭蓋骨が落ちていた。


「いぃ!?」


 よくよく見渡してみると、辺りは骸骨だらけだ。それも人骨。


「……ここって、2階に来てまだ5分と経ってない場所だよな……?」

「警戒する必要がありそうですね」


 辺りを見回すフィンリィ。霊視しているんだろう。


「ちなみに、その霊視っていうのはどのくらい遠くを見渡せるものなんだ?」

「人にりますが、私は大したこと無いので、集中してもあの岩の辺りでしょうか」


 フィンリィは1キロほど先の小さな山を指さした。


「見渡せる、というのも少し違います。視力も上がってはいますが、霊視は秘力だけを視るんです。霊視をしている時は建物とか、岩とか、そういう秘力を宿さないものが見えない代わりに、秘力の流れだけが視えるんです。使い手や集中具合によってその範囲が変わります」

「だから夜明けを目指す者オルトゥス達が血塊マテリアルを持ってるのが分かったりしたわけか……」


 サーモグラフィーの秘力版、ってところか。要は通常の視界と霊視の視界のモードを切り替えているような感じってわけだ。


「それで、周りに何かいるか?」

「いえ、何も」

「妙だな……例えば秘術の使えない人間でもわかるんだよな?」

「はい、秘力は生き物が持つ生命力のようなものですから」


 明らかに危険と言わんばかりの骸骨達だ。何も無いとは思えない。


「……! カナタさん!! !!」

「なに!?」


 真上を見上げると、何かが近づいてくる。


 小さい影。


(鳥……?)


 それはみるみる大きくなって近づいてくる。


(プテラノドン……?)


 遠くてわからなかったが、思った以上にデカい。


 しかも、俺たち目掛けて降りてくる。


「フィンリィ!」


 フィンリィを抱えて横にジャンプする。その直後、ドスゥン!! という音と共にその巨大な鳥は地面に激突した。


 土埃が舞う中、すぐに体勢を整えて迎撃の準備をする。槍は出せないが、俺には右腕の怪力がある。


「……?」


 しかし、そのまま怪鳥は動かなかった。両翼を広げれば5メートルほどある緑色の怪鳥だが、死んでいるようだ。


「落ちてきただけ……?」


 改めて空を見上げて目を凝らすと、3、4羽の影がグルグルと旋回している。


「仲間割れか……?」

「いえ、見てください。矢が刺さっています」


 言われて見てみると、確かに怪鳥の死骸に3本の矢が刺さっている。明らかに人の仕業だ。


 死骸を観察していると、またドスゥン!! という音と共に新たな怪鳥が落下した。


 そしてもう1羽。


 ドスゥン!!


 さらにもう1羽。


 ドスゥン!!


 空を舞う怪鳥が次々落ちてくる。


「おいおい……何が起きてんだ……?」


 フィンリィは辺りを注意深く観察する。


「……危ないっ!!」


 フィンリィが抱きつくように俺に突進し、二人で倒れ込んだ。その直後、俺が居た場所を射抜くように超高速の矢がビュンッ! と通り過ぎ、地面に斜めに突き刺さる。


「……誰だか知らねえが、狙いは魔獣だけじゃないようだな」

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