第16話 ➡︎思い出す

 ——それから、10分ぐらい経っただろうか。




 涙もなんとか収まって、フィンリィが精神不変の原理プラセボについて説明してくれた場所に戻ってきていた。フィンリィの下手くそな絵が、風で薄れている。


 森の中を歩いている間も、森の外に出て泣き止んでからも、二人共黙ったままだった。何を話しても、どうにも嘘くさいような、心のどこかの傷に触れてしまうような、そんな気がしたからだ。なんだかわからないものに、なんだかわからないまま、ただただどうしようもなく敗北した。そんな気がしたからだ。


「カナタさんの監獄時計、止まってますね」


 その沈黙を優しく破るように、不意にフィンリィがそう言った。話題はなんでも良かったのだろう。空はずっと朝焼けなもんだから、時間の感覚がどうにも掴みにくい。


「本当だ。さっき倒れた時かな。はは……案外もろいんだな。ちょっと外してくれるか?」


 左腕だけでは外せないし操作もできない。失くしてみてわかるが、自分で外そうという気すら起きない。


 フィンリィに外してもらい、どうにか操作してみると、メニューは動いた。それを試した惰性だせいで、ローゼスの名前を調べてみる。




【名前】

ローゼス・ザカリアス


【主な罪】

殺人、強盗


【詳細】

王都ガルガン区の宝物庫に保管された、最上位魔族”稚児しい月アドウェル”の両腕を手に入れる為、王宮騎士団に入団。4年の歳月をかけ護衛の任に就いて盗み出し、その場で自身の両腕を切断後、稚児しい月アドウェルの腕を移植。その場にいた王宮騎士団3名を殺害後、王都ガルガン区を半壊させ、死傷者10万名に及ぶ事件を起こした。王宮騎士団団長リアムによって捕えられる。




 レイナードの言っていた通りだ。レイナードもこれを見ていたのかもしれない。


 俺は空を見上げた。


 朝焼けの空は何も変わらない。


 さっきまでの激動の全てが嘘のように静かだ。


 レイナードは死んだ。モヒカンも死んだ。右腕は失くした。他の夜明けを目指す者オルトゥス達も、あの槍の雨では助からない。酷い有様ありさまだ。


「今……12時半です。この絵を描いていた1時間前と、随分変わってしまいましたね……」


 フィンリィは地面の絵を見ながら伏し目がちにそう言った。フルートに優しく息を吹いた、ピアニッシモの声。


 俺は独り言のように呟いた。


「さっき……槍が降ってきた時、走馬灯みたいに昔のことを思い出したんだ」


 俺の力無い声を、近くに居るのに、フィンリィは一言も聞き漏らさないように耳を澄ませていた。


「俺には幼馴染が居てな。そいつは俺と違って大金持ちで、優秀で何でも出来て、優しくてさ。貧乏で、何もかも失敗して、クズな俺とは正反対だった。ゲーム……って言ってもわからないか。オモチャとか、何でも貸してくれて、そのくせ貸したことも忘れちまう懐のデカい奴さ」


 俺は森と反対方向に歩き出した。


「どこ行くんですか? まだじっとしていた方がいいですよ」


 俺は構わず歩いた。




「俺は借金が3んだ」




 聞き漏らさないようにフィンリィが付いてくる。オレンジのポニーテールと、赤いマントが申し訳なさそうに揺れている。


「幼馴染にも1億以上借りてた。それなのに、久しぶりに俺と会うと、いつも楽しそうだった。会うたび決まって『調子はどうだ? ちゃんと金は全部返せたかよ』って訊いてくる。全部も何も、お前にも借りてんだろって言うと、『あぁそうだっけ』って笑ってんだよ、変な奴だろ?」


 フィンリィは声も出さず、「そうだね」と言ってるみたいに微笑んだ。


「ある時、また事業に失敗して3000万近く必要になったんだ。悩んだ末に金を貸して欲しいって頼んだら、呆気なく貸してくれて、俺は拍子抜けしたのと同時に、不思議に思ったから訊いたんだ。なんでお前はそんなに金を貸してくれるんだ、返ってくる保証なんてないぞ、って。そしたらなんて言ったと思う?」


 この世界の通貨は金貨だとか銀貨だから、何万と言われてもピンと来ないだろう。それでもフィンリィは黙って聞いていた。俺も懺悔ざんげのように呟いた。


「『別に返ってこなくてもいいけど、あえて言うなら投資かな。お前なら何かしてくれるんじゃないかって。期待してるよ』って言うんだ。今までなんにも成功しないで、何者にもなれてない俺を。俺自身が、俺自身の価値を感じてなかったのにさ。期待してるって言うんだよ、俺なんかを。その言葉がやけに胸に刺さったんだ。その時俺は、絶対全部返してやるって思ったよ。こいつが期待してくれた俺を、こいつの中にいる期待すべき俺を、存在させたいって思った。『お前の見る目は間違いなかったな!』って、いつか言ってやりたかったんだ。それから死に物狂いで金を稼いで、666万になったんだ。俺は借金王なんて呼ばれてたけど、むしろ返済王なんだよ。それが3億だろうと、10億だろうと関係ない。俺を信じてくれた恩は忘れない。つまりさ、何が言いたいかって言うとな、」


 俺の心に湧いてくるのは、後悔や悲しみだけじゃない。俺の内から沸々ふつふつと湧き上がるもの。それは——


 気付けばダダの店が見えてきた。そう、ここに用がある。




「俺は借りは必ず返すってことだ!! それが恩でもあだでもな!!」


 

 ——それは、怒りだ。

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