第3話 ➡︎殴る

 「へー、記憶を失くしてるのは確かなようねー。この塔に入るまでにまた軽く何かやらかしてるようだけど」


 リリィの言葉を聞き流しつつ、少しの間腕輪の文字を眺めて考えた。


 そして、いくつか解ったことがある。


 ひとつめ。

 この0.1年という異常に短い懲役年数について。

 それは恐らくこの数字は”記憶”に依拠して設定されているということ。でなければ世界が違うとはいえ、投獄されたにしては少なすぎる。すなわち、これが短いからといってこの体の持ち主が極悪人じゃありませんでした、とはならないわけだ。


 ふたつめ。

 ならば俺が記憶の中で犯した罪とはなんなのかということ。

 それは恐らく”あのパンツ”が原因ということ。仮に元の世界の罪が引き継がれるとしても、喧嘩も万引きもしたことはない。借金は腐るほどしたが、思い当たるものがない。

 そして同時に、やはりあのパンツのケモ耳美少女は実在したことを意味する。


 みっつめ。

 それならもう少しよく観察しておけばよかったということ。


 よっつめ。

 なぜ刻印の文字が読め、彼女達と言葉が通じるのかについて。これは少し面白い話だ。


 それは、この体の持ち主が”知っていた”からだ。


 刻印の文字も彼女達の言葉ももちろん日本語ではなく、”エルドア語”という言語だ。しかし、日本語を読んでいるのと同じ感覚で理解できる。

 例えば、記憶喪失になった人が日本語を話せるのはなぜだろうか。

 それは喪失している記憶の領域が違うからだ。記憶喪失になっても歩き方や自転車の乗り方なんかは、確か手続き記憶と言って忘れにくいと聞いたことがある。恐らくそのたぐいで、言語や体の動かし方は覚えているんだ。さっき走り出した時の体の軽さは筋肉量だけの問題ではなく、体の動かし方を知っていたから、というわけだ。


 そして驚いたことに、俺はさっきからいたのだ。

 そんなバカな、という話だが、普段の会話の中で「どれが日本語でどれが英語か」や「どれが和製英語か」をいちいち認識していないようなもので、意識しないとエルドア語と日本語の境がわからなくなっている。帰国子女が英語だけネイティブな発音になるのに似てるだろうか。


 ファンタジーのアニメや小説も、例えば「バカ」を英語版で「baka」とは言わず、それに近しい意味合いの「fool」に変換している。つまりそういった創作物は「ファンタジー世界の出来事の日本語版」を観ていると思えば、多少の言葉の違和感は納得できなくもない。まあこんなファンタジー世界の出来事を脳科学的に理解しようなどという方がおかしな話なのかもしれないが。


 チラリと、赤髪の大男の罪滅ぼしの刻印エクスピエイトを見た。懲役30年か。なるほど、悪人ヅラに違わぬなかなかの悪党だ。


「なにをすりゃ贖罪になるってんだ!!」


 赤髪の男が無駄に大きな声で尋ねる。この手の頭の悪そうな奴はなぜ大きい声を出したがるんだか。


「うるさいわねー、ツバ飛ばさないでよ。いまその辺を説明した看守長のお言葉を読み上げるから聞いてなさい。一度しか読まないからちゃんと聞きなさいよー?」


 リリィは少し姿勢を正した。


 そして、今までよりはっきりとした口調で読み上げ始める。




「愚かなる者達へ。

正義と秩序を乱し、神をも恐れぬ悪行の数々をもって、諸君は此処にいる。

今、の言葉が人の耳に届いていることを残念に思う。


本来ならば、償える罪など無い。諸君が奪った物が帰ることはない。

しかし、れでも贖罪の機会を与えた。れは”唯一王”アルゼルの温情である。


その方法とは、悪を打ち倒す事。すなわち魔獣、及び罪人へ罰を与える事である。

罪滅ぼしの刻印エクスピエイトは与えた罰の大きさを感知し、減刑されていく。与えた罰が大きい程、打ち倒す悪が巨悪である程、その量は大きくなると云う事である。


尚、罪滅ぼしの刻印エクスピエイトに一度設定された懲役が変わる事は無い為、存分にくれて構わない。


塔は全5階。各階には一定以下の懲役でなければ上がれない仕組みになっている。最上階の屋上には竜巻を越えられる橋が在り、其処から外に出られる。塔とその周辺は”聖域”であり、"不可逆性物質"が満ちているため、それ以外に出る方法は無い。


出口は最上階に在る。出たければ出ればいい。朽ち果てるのもいいだろう。其れが諸君らに与えられた最後の選択である。


看守長 ディクトス」




 リリィはそこまで一気に読み上げて、ふぅと息を漏らした。


 俺は呆然としていた。


 ええと、なんだって? 魔獣? 殺し合い? 思ってた監獄と違うんですが。それは監獄ではなく魔獣が出てくるダンジョンであり、バトルロイヤルの脱出ゲームであるのではないでしょうか。ファミレスの「実物とは異なります」の写真より思ってたのと違うんですが。


「ええと……つまり、魔獣やら他の囚人に罰という名の攻撃をして、与えたダメージ量によって経験値が貰えるソシャゲーの討伐イベントみたいに減刑されていくって事ですか?」

「なにを言ってるかよくわからないわ」

「つまり、こういう事だろ?」


 男が立ち上がりこっちを見る。なんか嫌な予感がするからとりあえず座ってくれ、いや座ってください。だってその顔、こんな事言い出しそうだろ?


「俺が今こいつを殺せば、コイツの罪の分だけ俺の罪が減る、ってぇわけだな?」


 ほら言った。まんまと言った。


「そうよー」

「もう始めてもいいんだよな?」

「もちろん。でも出来れば外でやってよね」


 やっぱりそう来ましたね。なんかわかったよね。だって君に睨まれてから、頭の中で戦闘BGMが流れたもの。


「待て待て! ほら見ろ! 俺の懲役は0.1だ! こんなの殺したってなんの足しにもならないぞ! 経験値0.1のスライムだ!」

「どのくらい減るのかなんて、やってみないとわからねぇなっ!」


 大振りの右ストレートが飛んでくる。が、反射的にしゃがんでかわす。


(やっぱり体が覚えてる……!)


 そう思ったのも束の間、懐で屈んでいる俺に対してそのまま突っ込むように膝蹴りをかましてきた。喧嘩慣れしてやがる。俺は吹き飛んで壁に打ち付けられるが、


(……? あんま痛くないな)


 どうやら体が覚えてるに加えて、身体能力や防御力的なものも向上してるのも確からしい。相手の動きも心なしか0.75倍速ぐらいのスピードに見える。男は勢いに乗ってそのまま前蹴りを飛ばしてくるが、


(よし、殴ってみよう)


 半身になって前蹴りを躱し、カウンターで放った右ストレートが正確にあごを振り抜く。きっとはたから見たら格ゲーのキャラのような華麗な動きだっただろう。


 男は脳が揺れたのか、一気に力が抜けて人形のようにバタン! と地面に顔面から叩きつけられた。さながら煽りまくっていた格闘家が試合開始直後KOでマットに沈んだサマそのものである。


(初めて人を殴った……殴った方も痛いと聞いていたが全く痛くない。もしかして俺、結構強い?)


 喧嘩もした事がない人間が、こんな動きできるはずはない。例えば体操選手を見て、その動きをやっている自分をイメージするのは簡単だが、実際に出来るわけじゃない。しかし、それがイメージ通り出来る。そんな感覚だった。


 ふと右手に目をやると、罪滅ぼしの刻印エクスピエイトが僅かに赤く発光した。


 数字が変化していく。




      懲役 0.1年       残り 0年




 えーと、はい、お疲れ様でした。クリアしました。

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