世界最後のパン職人
茶碗虫
本文
死に際して、私には、語らなければならないことがある。
隣町に、世界最後のパン職人がいた。生地からパンを作る術を知る最後の人間であった。彼の店には、世界最後のパンなるものを食べようとする人々が集まる。作り方を教わろうとする人間もいた。だが、職人は、誰にも教える気はないとして断っていた。記者である私は、その理由を探るよう頼まれた。
私はまずいくつかの策を考えた。そして、「親しくなる」という最も単純な方法を思いつき、実行することにした。1年を費やして、通い詰めた。毎日パンを買い、職人と話をした。しかし、1年経っても、彼の口は堅かった。「この手口で聞き出そうとしたヤツは山ほどいる」「君は三流だ」と言って、頑なに口を割ろうとしなかった。
次に、パン作りの過程を覗き見ることにした。彼の店の厨房に潜入すればよいと考えた。かなり強引な手段ではあったが、同時にかなり手っ取り早い方法でもあった。私は、パンを買った後、店の裏手に回って勝手口を探した。不法侵入というワードもちらついたが、パンの作り方というネタは、それを犯すほどの価値があると強引に納得していた。だが、勝手口はなかった。不幸中の幸いというヤツか、法を犯さずに済んだ。
それから、様々な策を試したが、職人はまったく動じなかった。そうしている間にも、職人はどんどん年をとっていく。寿命というタイムリミットも、お世辞にも長いとは言えない。加えて、時間が経つにつれて、私自身の個人的な好奇心も刺激されていく。「ここまで秘密を貫き通す理由」、「ここまで秘密を貫き通す方法」。口が堅い人物のバックグラウンドほどに売れるネタはない。
私は強硬手段に出ることにした。
夜な夜な、彼が店を閉めた後、私は彼を誘拐した。椅子に縛り付け、脅迫した。私の好奇心は、罪悪感などという空虚な概念には手が付けられないほどに増大していた。好奇心の後押しは、とても心強かった。だから私は、この手段を強気に実行することができた。
それでも、職人は黙っていた。私の脅迫には一切動じなかったのだ。これほど興味深い人物は、私の人生上、後にも先にも彼だけであったように思う。
だから私は、彼を殺した。脅迫にも屈さずに秘密を貫き通すための動機がどうしても知りたかった。だから私は、彼を殺した。それでも、最期まで、彼は黙っていた。
私はいつの間にか、私が本当に知りたかったものを、忘れていた。
かくして、世界から、パンの作り方とパンそのものが絶滅した。その代償に私が得たものは、「秘密を貫き通す方法」だけだった。
世界最後のパン職人 茶碗虫 @chawan-mushi
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