3-4 酔っ払いにご用心

 戦女神の死は、未だ公にされていない。普通、指揮官クラスが殉職すれば国葬をもって弔われるはずだが、国民に伝えられたのは勝利の知らせのみである。

 シャレイアン王国軍の象徴とも言える存在を失くしたことを、表明したくないのだ。


 今や王宮内でかん口令が敷かれていること。持ち帰ることが困難だった亡骸は、見晴らしの良い丘に埋葬したということは、エルドから聞いた。

 この国のどこかに自分の骸が埋まっているというのは、どうにも不思議なことだとリアナーレは思う。


「肌寒いね」

「ええ、冬がもうすぐそこまで来てる」


 再び広場に戻った二人は、噴水の傍にあるベンチに座っていた。リアナーレが吐き出した息は白く霞んで溶けていく。あと数か月もしないうちに、街は白銀の世界へと変わる。


「少し待っていて」


 セヴィリオは買ったばかりの剣を残し、人波に消える。ちらりとどこかに目線をやったのは、隠れてついてきている護衛への合図だろう。

 リアナーレは薄っすらと、エルドの気配を感じとっていた。


「はい、どうぞ」

「温葡萄酒……」

「さっき見かけたんだ」


 彼は数分と経たないうちに、木製の器を手に戻って来た。 

 渡された器の中には、濃い紫の液体と、干したオレンジ、独特な香りを放つ細長い香辛料がたっぷりと入っている。この辺りの地域では、冬の市場でよく売られる飲み物だ。


 リアナーレはありがたく受け取り、一口、二口と温もりを味わった。体の芯が熱を持ち、ふわりと宙に浮いたように感じる。


「あれ、なんか変な感じ」

「酔ったの?」

「酔う? 葡萄酒で?」


 戦女神は酒豪だった。葡萄酒など水に等しい。もっと強い酒でも、飲み比べて男連中に負けたことがない。

 故に葡萄酒、しかも子どもにも与えられるような、温めた状態で酔うなど考えたことすらなかった。


「顔が赤いよ。そういえば、酒に弱いと言っていたような……」

「そんなぁ」


 通りで聖女様の晩餐には酒が出されないわけだ。

 一杯飲みきらぬうちに、リアナーレの世界はぐるぐると回り始めた。目眩は気持ち悪いが、気分はやけに高揚して、自らセヴィリオの胸に頭を預ける。


「リ、リアナ!? 大丈夫?」

「んーっ、たぶん。眠いかも」


 セヴィリオは葡萄酒の器を取り上げ、地面に置く。公衆の面前だというのに、二人はそのまま触れ合っていた。


 飲み物に頼るよりも、最初からこうして温め合えば良かったのだと、リアナーレは彼の腕の中で目を閉じる。顔を胸に擦りよせると、セヴィリオはごくりと喉を鳴らした。


「きゃあああああっ!」


 女性の甲高い叫び声が、耳に飛び込んでくる。

 リアナーレは反射的に起き上がり、声のした方へふらふら駆け出そうとした。


「待って、リアナ」

「助けないと!」


 セヴィリオは酔っぱらいの体を抱いて引き留め、ベンチに座るよう促す。


「僕が行く」

「私! 私も行く!」

「すぐ戻るから、そこで大人しくしていて」


 彼はそう言い残すと、聖女様を置き去りにしてどこかへ行ってしまった。

 どこかの恋人が狙われたのだろうか。人々が収穫を祝い、喜びを分かち合う日にまで罪を犯すとは、けしからん奴らだ。


「酔っぱらってなければ、私が華麗に解決したのに~」


 思考がまとまらない。悔しさに、地面に置かれたままの葡萄酒を一気に飲み干す。愚行だ。すっかり冷めて温くなったそれは、リアナーレを夢の世界へと誘った。





「ん、んんん……」


 体が揺れている。酔った時のふわふわとした意識の揺れではなく、振動のせいで体が動く。悪路を走る馬車に乗った時の揺れ方だ。


「んん?」


 リアナーレはゆっくりと瞼を持ち上げる。ベンチに寝そべったはずなのに、何故か荷馬車の中に寝かされていた。


 両腕は背中側で拘束されており、足首にもロープが巻かれている。口には布を巻かれ、声を上げることもできない。

 体の周りには、泥のついた人参やカブなどが、無造作に転がっている。


 リアナーレはようやく、自分が窮地に陥っていることに気づく。酔っぱらって無防備に寝ているところを、何者かに連れ去られたのだ。


 恋人たちを狙った犯行か。もしや、酔うところから誘拐するところまで全て、犯人の思惑通りだったのではないだろうか。


 リアナーレは恐怖でなく、情けなさに目が潤んだ。

 泣きそうになったのは一瞬で、すぐに考えを改める。どこの誰だか知らないが、犯人は確実に油断している。そこを叩いて、名誉挽回だ。元戦女神を舐めてもらっては困る。


「んんん、んんんんんん!!!!!」


 拘束を逃れようと力を入れたが、太く頑丈な紐が柔らかな肌に食い込むだけだった。

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