1-9 スプーンより重いもの

 何かがおかしい。次々と挨拶をしに訪れる兵士たちの態度がどうも変だ。皆、リアナーレの前に跪き、慰問への謝意を口にする。

 挨拶に訪れた側が、宿舎のエントランスに置かれた椅子に座って待つという状況も、非常に不自然だ。


 リアナーレは兵士らの部屋へ自ら挨拶に回ると訴えたのだが、フォードに力強く却下された。


 リアナーレだった時には許されていたことが、リアナになった途端に制限されるとは。これが既婚女性と未婚女性の扱いの差か。


「聖女様、どうかしました?」

「皆、やたらと畏まっているのは何故?」


 純粋な疑問に、隣に控えて立つエルドはさらりと答える。


「そりゃあ畏まりますよ。聖女様に無礼を働くわけにはいきませんから」

「私には無礼を働きまくりだったってわけね」

「何か言いました?」

「いや、何でもない」


 リアナーレもアストレイ公爵家の人間で、隊長という役職に就いていたはずなのだが、恭しく扱われたことは一度もない。


 顔を合わせれば冗談を言う。夜通し酒を飲んで語り合うこともあった。出征先では外で雑魚寝をすることもしばしば。

 それが当たり前で、リアナーレ自身も気にしていなかった。命がけで戦う仲間に、上下関係は不要だと思っていた。


「リアナーレ隊長はどのような人だったの?」


 自分が部下にどう思われていたのか、本音を聞く良い機会だ。リアナーレは聖女様になったつもりで尋ねる。


 エルドは自身の腰あたりを見つめた後、視線を遠く、吹き抜けになった天井に置いた。何を思い浮かべたのか、彼は口元を緩ませる。


「剣を殴るための武器だと思っている人でしたね」

「だって、刃こぼれしたら鈍器にしかならないでしょ」

「そう! それ! 隊長の持論、知ってるんすね」


 エルドは指をさし、声を上げて笑った。所用から戻ってきたフォードが気づき、数十歩離れた先からこちらを睨んでいる。


「挨拶は済んだのか」

「はい、大方は。そんなに険しい顔をしないでくださいよー」

「やはり私が付けば良かった。失礼はありませんでしたか?」

「ええ、大丈夫。もっと砕けてもらっても良いくらい」


 リアナーレは立ち上がり、凝り固まった首を回す。骨がボキボキと鳴り、エルドはまた笑った。


「ほら。フォード様の生真面目なやり方では、聖女様は退屈されるんすよ」

「う……。リアナ様は確か市井の出でしたね。気が回らなくて申し訳ありません」


 フォードは聖女様に向かってコウベを垂れる。


 貴族としての気品に溢れ、礼儀を重んじる彼が、どうしてガサツなリアナーレに惚れたのか。不思議でならない。


 美麗な容姿と、大人の余裕に溢れた雰囲気から、彼は社交界の華だと実兄から聞いたことがある。

 とうに結婚適齢期を過ぎたというのに、未だ独り身。婚約者もいないというから、令嬢たちは虎視眈々とその座を狙っていることだろう。


「あ、これって」


 リアナーレはエルドが帯刀する剣に手をかけた。見覚えのある柄。これは今回リアナーレが戦地に持っていった剣だ。エルドが回収してくれていたのか。


「聖女様?! 危ないのでおやめ下さい!」


 フォードの制止を無視して、リアナーレは慣れた手付きで鞘から剣を抜いた。

 刃こぼれした刀身は最早使い物にならないが、汚れは綺麗に拭われている。そういえば、死んだら形見に剣をやるという話をエルドにしたことがあったけ。


 リアナーレはその場で剣を一振りした。考えなしに振り回したわけではない。周囲に当たらないような軌道と範囲で、軽く一筋振ったのだ。


「うわっ、重っ」


 体の踏ん張りがきかず、リアナーレは倒れそうになる。


 視界の端で、フォードの顔がさっと青ざめた。赤くなったり、青くなったり、忙しない男だ。刀身に振り回され、たかが数歩よろめいただけだというのに。


「あ〜、やば……」


 エルドも珍しく、顔を引きつらせている。リアナーレがその理由に気づいたのは、鮮やかなアイスブルーが視界に飛び込んで来た時だった。


「セヴィリオ……様」

「リアナ、怪我はない?」


 見ていたなら、どこも怪我していないことなど分かるだろうに。颯爽と現れた男は、リアナーレから剣を奪い、放るようにしてエルドに戻した。


「このくらい、大丈夫だから」

「もう絶対剣は握らないで」


 心配せずとも、握りたくても握ることができない。スプーンより重たい物を持ったことがないのではと思うほど、リアナの体は非力だった。


 剣を振るう感覚は残っていても、身体がついてこない。この体ではリアナーレ時代のように、力任せに戦うことは出来ないと思い知った。


「もう二度と長剣は握りません」


 ナイフならいけるかな。物騒なことを考えているリアナーレの手をとり、セヴィリオは軽く口づけた。


「約束だからね」

「はい……」


 不意打ちすぎる。周りの目があるのに、なんて恥ずかしいことをするのだ。

 動揺しながら、リアナーレは昔も彼と約束をしたことがあったと思いだした。将来を誓う、幼い約束。きっと、セヴィリオはもう忘れているだろう。


「どうしてこちらへ?」

「君を迎えに来た」

「一人で帰れるのに」

「そうはいかない。リアナを狙う男がどこにいるか分からない」


 用事はもう済んだよね? セヴィリオは静かに佇むフォードとエルドを、眉間に皺を寄せて見回す。妻は返してもらうと言わんばかりの顔だ。


「この二人は悪くないから。モントレイ伯爵、エルド、お邪魔しました。ルーラ、帰りましょ」

「はっ、はい!」


 リアナーレはセヴィリオの手を払い、ルーラを従えて歩き出す。

 セヴィリオはすぐに追ってくるかと思ったが、残された軍人二人にひと声かけた。

 

「国の為に命をかけてくれたこと、感謝する。数日は体を休めるよう、出征した者たちに伝えてくれ」


 明日は嵐にでも見舞われるのだろうか。彼の口から発せられたのは、それほど意外な言葉だった。

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