1-8 知らずにいたこと

「こうして直接お会いするのは初めてですね? 改めまして、フォード=モントレイと申します。先程は恥ずかしいところをお見せしました」

「いえ、彼の非情さは目に余るところがあったので」


 王宮内だというのに、リアナーレはドレスの裾をたくし上げ、大股で歩いていた。質素なドレスにしてもらったが、それでも非常に歩きづらい。

 エスコートもなしにずんずん進む聖女様を目の当たりにし、フォードは笑い声を漏らす。


「失礼。大人しい方と思っておりましたが、勇ましいところは亡き戦女神によく似ていらっしゃる」


 リアナーレはギクリとして、一歩後ろを小走りについてくるルーラに耳打ちをした。


「やらかしたかな」

「先程の行いは、リアナ様にしては少し勇敢すぎたかもしれません……この方とは元より大した面識がないので、大丈夫だとは思いますが」


 リアナーレはわざとらしく「ほほほ」と笑って誤魔化し、話題のすり替えを試みる。


「それにしても、セヴィー。じゃない、セヴィリオ様は何故、あそこまで戦女神を嫌うのでしょうね」

「総帥は誰に対しても冷たいですが、リアナーレ嬢に対しては顕著ですね。彼女に剣で挑んでも勝てないからでしょう」


 そうかもしれない。


 リアナーレも、薄々感じていたことだ。セヴィリオとの関係が悪化し始めた時期からしても、嫉妬が原因の可能性は高い。


 本気で剣を交えたら、セヴィリオはリアナーレに勝てなかっただろう。嘆くことではない。何せ、シャレイアン王国軍でリアナーレに勝る者は誰もいなかったのだから。


「器の小さい男」


 不敬罪だ、とは誰も言わなかった。それどころか、フォードは小刻みに頷いて肯定を示す。

 

「本当に。彼女の死についても、昨日のうちには早馬が着いていただろうに。私が知ったのはつい先程だ」

「もしかしたら、一人で泣いていたのかもしれませんよ」


 皮肉めいた冗談だ。

 自分で言っておきながら、リアナーレは虚しくなる。


 ない。絶対にない。死地へ送り込むことを決めたのは、総帥である彼ではないか。

 その意味ではフォードが言ったように、彼がリアナーレを殺したのだ。





「うわっ、堅物フォード様がついに女性を!?」


 短い距離にも拘わらず馬車に揺られ、王宮の向かいに位置する宿舎に到着する。

 丁度、馬小屋から出てきた若い男は、女連れのフォードを見るなり茶化した。

 

「エルド!」


 赤毛にくりくりとした緑の目。少し横着そうな彼は、リアナーレの腹心の部下だった。


 フォードが彼の軽口を叱るより先に、リアナーレは駆け出す。

 あれほど転ばないドレスを所望したのに、裾を靴の踵で踏んで、呆気なく体勢を崩した。


「えーっと? どちら様っすか?」


 戦帰りで薄汚れたエルドは、瞬きを繰り返しながら、転びかけた聖女様に手を差し出す。


 初対面で名前を呼ぶという過ちを犯すのは、実のところ本日二度目だ。

 貴族であるモントレイ伯爵のことならまだしも、一介の軍人の名前を聖女様が把握しているのはおかしいだろう。


「リアナ様は、王国軍の熱心なファンで、軍の皆様のことをよくご存知なのです。本日は旦那様のお許しが出て、労いに参りました」


 顔を引きつらせるばかりのリアナーレに、ルーラが助け舟を出した。


 苦しい言い訳だが、エルドは『聖女』への興味が勝ったらしい。彼は玩具を買い与えられた子どものように目を輝かせる。


「聖女様!?」

「い、一応……」

「うわ〜、綺麗な方だ。始めまして、エルド=トラレスです。名前、知っていてくれて嬉しいな」


 リアナーレは違和感を覚えながらも、差し出された男の手を握る。

 彼は相手が聖女様であることをお構いなしに、握った手を勢いよく上下に振った。


「お前は、もう少し敬意を払った振る舞いと言葉遣いをしなさい」


 フォードは母親のごとくタシナめるが、エルドはそれしきのことで反省する男ではない。


「えぇ。だって、同い年くらいじゃないっすか。総帥の嫁さん連れ回してるフォード様よりましっすよ」


 エルドは庶民上がりだ。生意気で礼儀正しさに欠けるところはあれど、愛嬌のおかげで多少のことは許されている。


 リアナーレにとっては、彼が入隊した時から、天塩にかけて育てた可愛い部下だ。

 いつもと変わらぬ様子を見て、生きて帰してやることができて良かったと安堵する。


「生きてたのね。無事で良かった」

「俺は比較的安全なところを任されていましたから」


 エルドの顔から笑顔が消え、代わりに悔しさが滲む。

 彼に頼んだのは沼地を挟み、足を取られた敵を矢で狙い撃つ小隊の指揮だった。敵陣に殴り込みの奇襲をかけたリアナーレの部隊に比べたら、死の危険が低いのは明らかだ。


「リアナーレ嬢の遺品は?」


 ゆっくりと歩み寄ってきたフォードは、エルドに確認をする。


「髪と、ペンダントだけ」

「後ほど私が、アストレイ家へ持って行こう」

「くすねないで下さいね」


 若造の悪戯っぽい言葉に、堅物指揮官は片方の眉をぴくりと動かした。


「そのような真似、この私がするわけないだろう」

「だってフォード様、隊長のこと好きでしたよね?」

「なっ」


 真面目でお堅いフォードの顔は、瞬く間に赤く染まっていく。どうやら、好きだったというのは本当のことらしい。

 

「知らなかった……」

「私も初耳です!」


 呆然とするリアナーレの横で、ルーラは興奮を隠しきれていない。恐らく、明日には王宮中のメイドに噂が広まっていることだろう。

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