記憶屋さん
茶碗虫
本文
僕には面白い記憶があります。
僕の住む町のはずれには、とても古い神社がありました。具体的な歴史こそ知りませんが、歴史があるということ自体だけが有名でした。その神社は、普段ならだれも訪れないような森の奥にありました。独りぼっちだった僕にとって、そこはとても都合のいい楽園でした。
ある日、いつものように神社に行くと、見知らぬおじさんがいました。ブルーシートを敷いて、何やらDVDディスクの山のようなものを両脇において座っている男性でした。年齢は、40歳くらいでしょうか。若くもなければ、年寄りでもないといった印象でした。
おじさんは僕を見ると、「いらっしゃい」と言いました。
「えっ、これ、お店なの?」と、僕は必然的な返事をしました。
「そうだよ。どうだい、君も見ていくといい」
おじさんはニコニコしてそう言いました。特に断る理由もうなずく理由もなかったので、僕は黙って山のように置かれたDVDディスクに目をやりました。よく見てみると、DVDディスクのケース1つ1つに、なにやら付箋が貼ってありました。しかし、小学生だった僕にとって、付箋に書かれた難しい漢字を正確に読み取るのは不可能に近いことでした。
「これは何?」
その質問を待ってましたとばかりに、男性は笑顔で答えました。
「これはね、おじさんの記憶たちさ。これは『初めて旭山動物園に行った時の記憶』、こっちは『ニュージーランド旅行の記憶』、こいつは『彼女との遊園地デートの時の記憶』さ。興味があるものはタダにしてやるから、持っていくといい」
当時の僕にとっては難解な言葉だらけでしたが、なにか大変なことに加担しようとしているということだけはわかりました。ところが、生意気なことに、その大変なことんい加担したがる好奇心だけは持ち合わせていました。
「じゃあ、コレ!」
「おっ、センスあるな、坊主」
おじさんから1枚のDVDディスクのケースを受け取ると、いつもと同じ帰り道を、いつもより軽い足取りでたどりました。
深夜になって、家族がみんな寝た後に、僕はこっそりリビングに戻りました。当然、テレビと、DVDプレーヤーを使うためです。そして僕は、『初めて友だちを作った時の記憶』という名のDVDを再生しました。
30分ほどの観賞は、あっという間に終わりました。深夜に一人、見入ってしまいました。小学生だったおじさんが、勇気を出して、同じクラスの友だちの輪に入れてもらうという内容の動画でした。見終わった後、僕には勇気が湧いてきました。今となってはとても明るいおじさんにも、今の僕と同じような時期があったということを知れたからです。友だちを作るうえでの1つ目の大きな壁を超えることができたかのように感じました。その夜は、その興奮のせいで、なかなか寝付けませんでした。
翌日の放課後も、神社に行きました。おじさんは、まるで一晩をそこで明かしたかのように、前日とまったく同じ場所に座っていました。
僕と目が合ったおじさんは、得意げな顔でこう言いました。
「おっ、どうだった坊主。ちゃんと見てきたか?」
つられて僕も笑顔になって、
「うん、すごかった」
と言いました。
それからは毎日毎日、違う内容のDVDディスクをもらっては、深夜に一人それを再生するという生活を2ヵ月ほど続けました。しだいに僕たちは、歳の離れた友だちになっていきました。加えていつの日か僕は、『ディスクの作り方の記憶』をおじさんからもらうという約束もしました。
♦
町には富豪がいました。お金を余るほど持っており、欲しいものはすべてお金で手に入れることができる男がいました。
富豪は、古い神社に目をつけていました。広大な森をわがものにしようとしていたからです。
ある日神社の視察に来た富豪は、記憶屋さんを見つけました。
「おいあんた、ここで何をしているんだい?」
富豪はニヤニヤしながら話しかけました。
「俺は今までの自分の記憶を売っているのさ。何か欲しいものでも見つけたのか?」
富豪は少し驚いた表情を見せました。
「あんたが、あんたの記憶を?……なるほど」
富豪は辺りを少し見まわして、誰もいないことを確認すると、小声で言いました。
「悪いがあんた、ここをどくことはできねえかい?金ならいくらでも出せるから」
記憶屋さんは首を横に振りました。
「……すまねえな。1人、常連さんがいるんだ。ここにいないと、会えなくなっちまう。代わりに、俺の記憶ならいくらでも売ってやるよ」
富豪にとってそれは予想外の答えだったのか、少し黙ってしまいました。しかし、富豪は何かを思いついたかのようにニヤニヤと笑顔を浮かべ、こう言いました。
「じゃあ、あんたの記憶を全部買う。あんたの記憶、今あるもの、すべてだ」
♦
その日もいつも通りに神社に向かっていました。寒くなりつつあったこともあって、神社につく頃にはすっかり暗くなっていました。
僕が神社に着いたとき、記憶屋さんはいつもと同じ場所にいました。ただ、少しだけ、雰囲気がいつもと違うような気がしました。今まで僕が彼を見かける際には、ブルーシートの上で、必ず正座をしていました。ところがその日、彼はあぐらをかいていました。ほんの些細な違いですが、嫌な予感がしました。
嫌な予感ほど、信憑性の高いものはありません。
記憶屋さんは、お札を食べていました。
「おじさん!何やってるの!」
状況を理解する余裕などありませんでしたが、僕はとりあえず駆け寄って、止めに入ろうとしました。記憶屋さんはうつろな目をしていました。僕の目をまっすぐ見てくれなくなりました。お札にかみついたまま、人のものとは思えない声を発していました。僕はなんだか怖くなって、おじさんの肩をゆさぶるのをやめました。
「おじさん!どうしたの?何があったの?」
僕はただ、必死に問いかけました。
「おじさん!ねえ!おじさん!」
そして僕は、彼の手元に大量の札束があることと、逆に大量にあったはずのDVDディスクの山が無くなっているいることに気づきました。さらに視線を落とすと、札束の山の下のほうに、1枚だけ、DVDディスクが紛れていることに気づきました。夢中で札束をかきわけて、DVDディスクの入ったケースを手に取りました。今までもらっていたDVDディスクと比べて、かなり古いものであることは明らかでした。そして僕は、ケースを裏返し、付箋が貼ってあることに気が付きました。
付箋には、見慣れない筆跡で、『ディスクの作り方の記憶』と書かれていました。
♦
「40歳にもなると、良い記憶も増えれば、悪い記憶も当然増えるんだよ。君もいつかわかるだろう。俺はな、全部、全部いらないと思った。だからDVDにしてさ、売り物にしちゃえって。だれかにとって、良い記憶は新鮮な経験になるし、悪い記憶は反面教師になるからな。そこそこの需要があるんだ。悪い、需要なんて言葉わかんねえか。でも、それがずるいってことは君にもわかるだろう?使い切りの記憶を、都合よく売り物にするなんて、やっちゃいけないことなんだよ」
僕は、記憶屋さんの話をずっと聞いていました。大切な話を聞くのは苦手ですが、ずっと聞いていました。なぜなら、ほかでもなく、それが大切な話だったからです。ただ、あまりに長いお話だっただけに、日はすっかり沈んでいて、綺麗な夕日が見えました。
「昨日の記憶は面白かったかい?ずっと昔の話らしいんだがな」
「うん!」
僕は大きくうなずきました。
「でも……おじさんもああいうふうになっちゃうの?」
僕が尋ねると、記憶屋さんはニコニコしながら首を横に振りました。
「心配するな。記憶屋さんは、俺が最後でいいんだ」
その言葉に僕は安心して、記憶屋さんの足元に整頓されたたくさんのDVDディスクのケースを見ました。黄色の付箋が貼ってあるケースの山の中に、1つだけ、ピンク色の付箋が貼ってあるケースがあることを僕は知っています。そのケースはボロボロで、中に入っているディスクも割れてしまっています。記憶屋さんが、「もうだれにもいらないもの」と述べたものです。
付箋には、見慣れた筆跡で、『ディスクの作り方の記憶』と書かれています。
記憶屋さん 茶碗虫 @chawan-mushi
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