第55話 終焉の魔王 #5
――煙が、地表を覆い尽くしている。
もはや原型を留めていない魔王城の跡地に、光の巨人が静かに屹立していた。
《……》
絶大な魔力が直撃したその大地に、未だ立っているものなど、あろうはずもなかった。
――だが。
煙を突き破るようにして、紫の炎が、高く燃え上がる。
《……!》
爆心地に立っていたのは――【終焉の魔王】ルナ。
瞳は深い紫色に輝き、まっすぐに光の巨人を見据えている。ルナの頭髪も同じ色彩に染まり、炎のようにゆらめく魔力が全身を覆っていた。
欠損したはずの両足は再生している。
物理法則を無視するように、わずかに、その身体は宙に浮かんでいた。
傍らには、【終焉の剣】を肩に担いだ【勇者】アイの姿があった。
大剣はルナと同様に紫の魔力を炎のように
《――ありえない》
狼狽えたようなハデスの声が響く。
自らの叡智が及ばぬ現象を目の当たりにして、巨人の気配からは、元の【知恵の魔族】の人格を色濃く感じ取れた。
魔力を生み出す存在はルナだけではない。この世界にとって【魔王】たり得る人間は、決して一人ではない。
魔王ではなく【剣】こそが、真に唯一無二の存在だ。
世界が有する最後の破壊機構――【終焉の剣】。
【魔王】とは、剣を駆動するために召喚される動力源に過ぎない。
【魔王】が【剣】を使うのではない。
【剣】が【魔王】を使うのだ。
【終焉の剣】に召喚されたいま――【終焉の魔王】は、完成する。
「……で、魔王」
アイは回復した左手を開閉しながら、傍らのルナに問いかける。
「お前はまだ、ルナなのか? それとも魔族の親玉に成り下がったか?」
「……」
ルナは答えない。
アイは黒い大剣を構え、宙に浮かぶルナに突き付けた。
ルナの気配は既に人間の範疇を超えている。
警戒と覚悟の切っ先が、ルナの首を斬撃の射程内に捉え――静止する。
「これから何をするか、わかってんな?」
紫の炎に包まれた魔王は、勇者を見下ろして、呆れたように告げた。
「馬鹿やってないで行くよ、アイ」
「――そう来なくっちゃ」
アイは、嬉しそうに口の端を吊り上げた。
◆
――二人が立つ場所に、山吹色の【魔力】が爆ぜる。
衝撃が過ぎ去った時、すでに二人はそこに居ない。アイは常人離れした反射神経で、既にトップスピードで巨人に向かって駆けている。
宙を飛翔するルナが、それに並んだ。
雨のように魔力の槍が降り注ぐ。
ルナが片手を横薙ぎにすると、展開された深紫の魔力が巨人の槍を包み込んで消滅する。
そうして開けた空間に、点々と、紫の足場が生成された。
足場を駆け上る勇者は、山猫のように俊敏だった。あっという間に、巨人の胸元へ肉薄する。
――大地を揺るがす、巨人の咆哮。
天空から、太陽の如き輝きを放つ【魔力】が、何の容赦もなく落下した。
「――ッ!」
アイは目を細め、その圧倒的な光を見上げる。
その隣を、空に向かって、何かが高速で通過した。
ルナだ。
深紫の炎に包まれたルナは、山吹色の魔力塊に正面から突入した。
次の瞬間、太陽は内部から破裂する。
崩壊した魔力の中心で、無傷のルナが浮かんでいた。
そして、さらに何か繰り出そうと両手を掲げていた巨人の動きが――止まる。
紫色の巨大な鎖が虚空から現れ、巨人の四肢を絡め取り、拘束していた。
「アイ!」
「任せろ!」
応じる声を置き去りに。
アイは足場を蹴り――眼にも留まらない速度で、桜花が捉えられている巨人の心臓に向かって自身を「発射」した。
《――――!!》
巨人のあらゆる反応よりも、勇者の方が――
少女が巨体と接触する刹那、黒い大剣は、光の巨人に四度の斬撃を食らわせる。
そしてアイは、全身の勢いを乗せてその心臓部を蹴り飛ばした。
真四角に切除された巨人の身体は、見事に「型抜き」され、宙を舞った。
山吹色に光る巨人の断片を受け止めたのは、先回りしていたルナである。
その中には、確かに五体満足の桜花の姿があった。桜花を包む巨人の破片は、山吹色の光となって宙に溶け、消える。
残された巨人の身体は、炎天下で溶ける氷の映像を早回しするように形を失ってゆく。
だが巨人の最後の足掻きか、身体から無数の「枝」がうじゃうじゃと無秩序に生まれる。
その「枝」は失われた魔力の源を求めるように、桜花とルナに向かって伸びた。
――桜花を取り戻したいま、破壊を躊躇する理由はない。
両手で桜花を抱きかかえるルナは、がぱ、と口を開いた。その口腔内に深紫の光が集まり、強く輝く。
ルナの意図を察したアイは、慌てて、剣を足がかりに巨人の頭部へと登った。
――閃光が、視界を埋め尽くす。
ルナが口から放った深紫の閃光は、その圧倒的な魔力の奔流で、巨人の身体を完膚なきまでに消し飛ばした。
唯一残ったのは、アイが「登頂」した巨人の頭部のみである。
魔力の供給が絶たれたためか、巨人の頭部は山吹色の輝きを失う。そして、元の魔大樹のものであろう、枯れた樹木の残骸となって落下した。
残骸と共に落ちてくるアイは巧みに受け身を取り着地する。
桜花を抱えたルナも、アイを追ってふわりと地上に降り立った。
◆
ルナの腕に抱かれる桜花が身じろぎした。
桜花は薄く目を開き、ルナを認める。
「岩崎、さん……?」
「桜花ちゃん……よかった……」
ルナが心からの安堵に浸った――その瞬間。
視界の隅で、動くものがあった。
巨人の残骸が形を変える。
現れたのは、
ハデスは言葉もなく、ルナに――あるいはその腕の中の桜花に手を伸ばす。
その手は、起死回生の一撃を放とうとしたのか。
それとも、何かを求めるものだったのか。
答えはわからない。
瞬時にハデスの懐に潜り込んだアイが、伸ばされた腕を断ち切ったためだ。
切断した腕が地面に落下するよりも先に。
返す刃で、アイは神速の斬撃を叩き込む。
ハデスの身体は真っ二つに別れ、崩れ落ちた。
その暗い瞳は――何も映してはいなかった。
ルナは――ぎゅっと目を瞑り、桜花の頭を、自身の胸に押し付けていた。
「い、岩崎さん……? どうしましたの? ちょっと、苦しい……」
「……ごめん。大丈夫だから」
ルナは自分自身に言い聞かせるように、呟いた。
「――もう、終わったから」
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