第50話 【知恵の魔族】ハデス #2
ハデスの周囲に無数の光の帯が浮かび、再びルナを拘束すべく来襲する。
白光の群れは、まるで空中を泳ぐ白蛇のように見えた。
「邪魔ッ!」
ルナが腕を掲げると、前方に紫の障壁が展開される。
ハデスの「白蛇」が、次々と障壁に突き刺さった。
――ルナは、手のひらを握り潰す。
瞬間、紫の障壁が空間ごと「白蛇」の群れを飲み込み、消滅させた。
「ほう」
ハデスが目を細めると同時、その足元を紫の閃光が薙ぎ払った。
ハデスは、たん、と床を蹴り、桜花を連れて宙に逃れる。
ルナは二人を見上げ、風魔法を発動した。
足元に突風が吹き荒れ――その風に押し上げられるように、ルナはハデスを目掛けて飛翔する。
「――あなたに魔法の使い方を教えたのは誰か、お忘れですか?」
その言葉が耳に届いた瞬間、ルナは風の制御を失い失速する。ルナが操る風の軌道を、ハデスが強制的に上書きしたのだった。
重力の腕がルナを捉え、ハデスと桜花の足元へと墜落した。
「くっ……」
全身を床に打ち付ける。
ふらつきながら立ち上がり、ルナは上空のハデスを睨みつけた。
「大人しく魔力を供給して頂けると助かるのですが。魔力源はひとつよりふたつの方が好ましいですし、魔王様も――お友達と一緒なら、寂しくないでしょう」
「――うるさい!」
聞きたくなかった。
どうしてだろう。穏やかなその声が、家庭教師をしてくれた頃の光景を呼び起こすから?
自らの選択の過ちを、嫌というほど突き付けられるから?
(あたしは――)
ルナはハデスと、彼に捉えられた無二の友人を見据えた。
燃え上がる深紫の瞳が【知恵の魔族】を刺し貫き――虚空から紫の【渦】が出現する。
ハデスのいる空間が、ごっそりと削り取られた。
洞窟で魔族を屠った時と比べると、桜花への影響を恐れたため規模の小さな空間破壊だが、その威力は絶大である。効果範囲に存在する構造物は生物であれ非生物であれ、消滅を免れ得ないだろう。
しかしハデスは既にその場を離脱し、【渦】を回避している。空中を自在に飛翔するハデスは、桜花の身体を衛星のように浮かべて盾としていた。
だからこそルナは「線」ではなく「点」の攻撃へと切り替えたのだが、瞬間的に特定空間座標を狙うには、ルナの動体視力が枷となっていた。ルナにはアイのような異常な運動性能は備わっておらず、魔力の新生を別にすれば、身体能力はただの高校生と変わりない。ルナの視線を読み攻撃を躱すことなど、ハデスには容易かった。
ハデスはルナの【渦】をことごとく躱して飛び、【魔大樹】の前に降り立った。
そして桜花の背を樹の幹に押し付ける。
ルナは、紫に光る人差し指をハデスに突き付けた。
「桜花ちゃんに触らないで! それ以上、何かやったら――」
――その言葉は、不意に途切れる。
ルナの顔を、一筋の光線がかすめた。
幾本かの髪を焼きながら通過した光線は後ろの壁に着弾して、鮮やかな山吹色の爆炎を咲かせた。
「……な……」
「――ご協力頂けないならば、仕方ありません」
神父はルナを振り返る。
山吹色の光線――桜花の【魔力】を練り上げたその攻撃は、桜花自身ではなく、ハデスの手のひらから放たれたものだった。
桜花の全身から光が立ち上り、まるで尽きることのない泉から水を汲み出すかのように……ハデスの身体へと吸い込まれている。
「もはや魔王様は、唯一の魔力源ではない。ご友人のおかげで、この通り――私も無限の魔力を使役できるのですから」
「――っ!」
ルナは指先から細く練り上げた【魔力】を放出する。だが紫の閃光は、ハデスの展開する山吹色の障壁に防がれた。
ハデスは桜花から吸収した【魔力】を全身にまとわせて、天を仰ぐ。
「あとはあなたを排除するのみ――ついに、永遠なる魔族の繁栄が叶うのです」
――ルナは、全身を焦がす光を感じた。
上空を見上げる瞳に映るのは、天井を覆い尽くす山吹色の【魔力】の塊であった。
ルナは息を呑む。
「世界を滅ぼす【終焉の魔王】が、なぜ人間ひとりの喪失に動揺するのか。なぜ人間を喰らった程度で心を乱すのか。あなたはもはや――魔王としては欠陥品です」
「……」
「あなたは、人間として生きた時間が長すぎたのです。覚えてはいませんか? 確かに存在したはずの――【終焉の魔王】として世界を滅ぼす、その【執着】を」
「そんなの……」
「幼いあなたは、かつて世界に絶望したのではありませんか? 最後の機会です……思い出してください。滅びの宿命を。終わりの喜びを。魔王としての――絶望を」
「そんなの――いまさら、どうでもいい!」
「……」
ハデスはその拒絶を噛みしめ、暗い瞳でルナを見据えた。
そうして眼を閉じたかと思うと、ふっと、わずかに笑う。
「さようなら――かつて【魔王】であったものよ」
そしてハデスは審判を下すように、巨大な山吹色の【魔力】を打ち下ろした。
それは、広間全体を消滅させるのに十分なだけの破壊力を秘めていた。
「こんな……!」
ルナは障壁を展開して、太陽の如き魔力の塊を受け止めた。
だが山吹色の【魔力】は凄まじい圧力で紫の障壁を押し潰そうとする。障壁に、ピキ、と亀裂が入った。
桜花とルナの【魔力】は拮抗していたが、それを操るハデスとルナの能力に雲泥の差があった。魔力の扱いに関して、この世界で【知恵の魔族】の右に出るものはいないのだ。
紫の障壁に亀裂が広がり、ついに崩壊する――その瞬間。
神父の頭部を狙い、黒い物体が飛来する。
「――!」
ハデスはとっさに身を引いて回避する。
こめかみを掠めて魔大樹に刺さった飛来物は、他ならぬハデスが
「――勇者ッ!」
ハデスは叫びながら、幾本かの山吹色の【矢】を飛ばす。
野生動物のように転がりながらそれを回避したアイは、ルナのもとへ駆けた。
そして、漆黒の大剣――【終焉の剣】の斬撃が、舞う。
山吹色の【魔力】の塊は大剣に両断されて、大気に溶けるようにして消えた。
「はぁ、はぁ……」
アイは荒い息をあげながらも、ルナを背中にかばってハデスに対峙する。
――満身創痍であった。
ルナが先程までアイが倒れていた床に視線を向けると、おびただしい血の跡があった。床ごと杭に縫い留められた手足の肉を無理やり引き千切って脱出したらしい。
血まみれの左手は、だらんとぶら下がっている。右手と全身の体捌きだけで剣を振るったようだ。
「アイ……」
ルナの呟きに、アイは背中を向けたまま応える。
「……いいんだな? 味方で」
「……!」
ルナとハデスの攻防、そして言葉の応酬から、アイはルナの置かれた状況を彼女なりに解釈したらしい。
わずかに振り返ったアイは、重ねてルナに問う。
「――ボクは……ルナを信じて、いいんだな?」
それは疑問の形を取っていたが、ルナに晒された無防備な背中が、何よりも雄弁にアイの胸の内を語っていた。
ルナは湿り気を帯びてゆく瞳を感じながら、勇者の背に応えた。
「うん。――アイ、ありがとう」
血に濡れたアイの横顔が、にっ、と笑みを浮かべた。
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