第49話 【知恵の魔族】ハデス #1
「ふむ……やはり【こちら】は駄目ですね」
その声に、はっとして広間に視線を飛ばす。
いつの間にかアイとハデスの攻防は決着し、広間には静寂が広がっている。
アイはハデスに首を掴まれ、片手で持ちあげられていた。
(アイ……!)
ハデスはアイの身体を床に投げ捨てたかと思うと、虚空から四本の黒い杭が出現し、アイの四肢に突き刺さった。
「――ぐああああっ!」
アイは苦痛の叫びを上げる。勇者の手足は杭によって床に縫い止められる形になった。
ハデスはアイに背を向ける。
そしてルナに視線を寄越し、口元に静かな笑みを浮かべた。
「――仮説がありました」
ハデスはゆっくりと、ルナと桜花の方へ歩いてくる。
「魔王様は人間であり、魔族でもある。だから魔族に魔力を分け与えるように、人間にも魔力を与えられるのではないか、と」
「何を……?」
「そもそも――あなたが【終焉の魔王】としての宿命を見失っていたことで、魔族の未来は、半人半魔の魔王という極めて不安定な存在に依存することになりました」
「……」
「かろうじて交わした魔王様との口約束に、種族の存亡を託すことは出来ません。実際に二年半の間、こうして強制的にお呼びするまで音沙汰がなかったわけですから。一年間の消費魔力量を偽り、余分に【魔大樹】に魔力を蓄積していなければ、危ういところでした」
「それは……」
「我々は、もっと安定した魔力の供給源が必要でした。私が目指したのは――魔王様以外の、魔力の【生産者】たる人間を見つけ出すこと」
「あたし以外の……人間を?」
ハデスはゆったりとした口調で、筋道立てて説明を続ける。
それは、家庭教師としてルナの試験勉強に付き合ってくれていた頃と、何も変わらない声色だった。
だからこそ――ルナは、どこか背筋の凍える思いがした。
「千人に一人、魔法使いと呼ばれる人間が現れます。ですが、彼らはただの【消費者】です。漂う魔力に干渉できるだけで、魔王様のように新しい魔力を生成しているわけではない」
ハデスは、床に縫い付けたアイを振り返る。
「たとえば――あの【勇者】が真に魔王様と対になる存在なのであれば、魔力源にもなり得たはずです。しかし、【終焉の剣】を与え、成長を待ち、二年以上も魔王様に対する感情を煮え滾らせていたにも関わらず――魔力を生み出すには至りませんでした」
「……」
「あの金髪の娘は凡人でしたが、勇者でも使えないとなると……」
「なっ……!」
――ルナは、日の光を浴びて光る金髪を思い出す。
ピアノを弾く、あの後ろ姿を。
「お前がミーシャを――っ!」
「ええ」
と、ハデスは
それはミーシャが見せてくれた、彼女の母の形見に違いなかった。
「最期まで、これを大事に守っていましたよ」
「ハデス――!」
「お友達は美味だったでしょう?」
何気ない口調で落とされる言葉に、脳髄を釘で打たれるような衝撃を受ける。
続けてこみ上げてくる嘔吐感。
ルナは、かろうじて口腔内まで上がってきた胃液を飲み込んだ。
その様子を見て、ハデスは光のない眼を笑みの形に歪める。
「……誤解のないよう申し上げますと、食材として彼女を調達したわけではありません。魔王様と接触した人間のサンプルとして捕獲し、色々と実験していたのですよ。ところが、どうしても魔力を生み出さない。そうなると、残念ながらただの肉袋に過ぎません。捨てるのも忍びないので有効活用したまでです」
ハデスは床に転がる黒い玉――オシリスの成れの果て――に視線を向け、
「オシリスは知らずに調理したようですが」と補足した。
コツ、コツ、と歩を進めるハデスは、ルナと桜花の前に辿り着き、止まる。
「確かに、あのミーシャという娘は失敗でした。もしかすればと泳がせていた勇者も、あの通りです。我ら魔族の未来は
広間に横たわるアイは四肢を杭で床に固定され、血を流しながら、もがいている。
「ですが――魔王様の世界には、失敗は成功の母である、という言葉があるそうですね。私はその言葉にいたく感銘を受けました。未知を探求するにあたり、価値のない失敗はありませんから。失敗とは――うまく行かない条件の発見に他なりません。成功するまで諦めず努力を続ければ、きっといつかゴールに辿り着く。そうは思いませんか?」
「……わからないよ、そんなの」
「失礼。経緯よりも、結果をお見せすべきでしたね」
と微笑み、ハデスは手を前に差し出した。
「私がこうして喜びを抑え切れずにいるのも、最後の希望が、ついに実を結んだからです」
「――最後の希望?」
ルナの疑問の声に答えるように、桜花を拘束していた帯が解けた。
支えを失い、がくりと前に倒れかける桜花の身体は、見えない腕に抱きとめられたように空中で静止して――そのまま、ハデスのもとへ引き寄せられてく。
桜花は相変わらず意識を失っているようだった。
「――桜花ちゃん……っ!」
「可視化して差し上げましょう」
ハデスが腕を一振りすると、桜花の全身から山吹色の炎のようなものが立ち上った。
それは熱を持たない輝きだった。
桜花から生じる山吹色の光は、ゆらゆらと、まるで太陽のように魔王城の広間を明るく照らした。
ハデスは目を細めて、その輝きを見つめる。
「あなたと同じ力――【魔力の新生】です。まがい物の魔法使いではない、まったく新しい魔力の【みなもと】。紫色に映る魔王様の魔力とは、色彩が異なるでしょう」
「お、桜花ちゃんが……魔力を……!?」
「二年半前にお預かりした彼女の髪……覚えていますか? あれが発見のきっかけでした。こちらの世界の人間を調べても空振りに終わるはずです。こちらの世界では、魔王様はあくまで【魔族】。人間に力を与えられるとすれば、魔王様が【人間】として生きる世界。魔王様は、あちらの世界の人間に魔力の【種】を植え付けていたのです。――それも、無意識に」
ハデスは、くい、と桜花の顎をあげ、その顔をしげしげと眺める。
桜花はうめくが、目を覚ます様子はない。
「魔王様と深く関わった人間ほど、強い魔力が発芽していると考えられます。学校のご友人であれば、知り合って数年といったところでしょうか。もしかすると数ヶ月かも知れませんね」
「……」
「その短期間でこの魔力量。下位互換や模造品などではない、魔王様を上回り得るポテンシャルを秘めています。……素晴らしい。実に素晴らしい」
ハデスは高揚した様子で繰り返す。
そしてルナに視線を向けると、暗い瞳に笑みを浮かべた。
「この九年間……無力な子供だった魔王様は、沢山の人間に支えられて生きてきたはずです」
「……っ!」
「他に、親しいご友人は? ご両親は健在ですか? ……それに、共に育った兄弟がいらっしゃるそうですね。彼らも新たな魔力の生成元となっているはずです。こちらの世界に召喚すれば、それぞれが膨大な魔力を生み出すことでしょう。ああ――お会いするのが楽しみですよ!」
「ハデス……まさか……!」
「収穫の時が来たのです。私の推論によれば、魔力の【種】は次世代に引き継がれる。魔王様に親しい方から順に召喚して繁殖させ、代々魔力を供給して頂けばいい。飼育に関しては【牧場】のノウハウがありますし――なに、最後は枯れ果て、眠るように死ぬだけです」
「……!」
ルナの脳裏に、これまで助けてくれた人たちの顔が浮かぶ。
世界に絶望していたルナが「ふつう」に生きられるようになったのは、数え切れない人の善意に救われたからだ。
そんな人たちを――魔力源として、飼育する?
「美しい【共存】関係の完成です。我々魔族が共に生きるべきは、この世界の人間ではなかった。魔王様の世界の人間たちこそ、我々の真のパートナーとなる種族だったのですよ」
「そんなこと……それで共存なんて、馬鹿にしないでよ……!」
ハデスは柔和な笑みを浮かべた。
「あなたがたも、自然と【共存】しているではないですか。在り方を捻じ曲げ、利用し尽くしてもなお、共に生きることはできる。我々魔族と人間の関係も、それとまったく同じですよ」
◆
――そんなことを、許すわけにはいかない。
ルナは自らの奥底から沸き起こる怒りを、じっと見つめていた。
終焉の魔王。世界を終わらせるための力。
荒唐無稽な言いがかりだと、あたしにそんな可能性はないと、そう思っていた。
いまさら言われても仕方ない、関係のないことだと信じていた。
でも――ほんとうに、その力が備わっているのだとしたら。
あたしがやらなければ――みんなが、犠牲になるのだとしたら。
ルナの瞳が、深紫に輝いた。
「――う――――あああああああああああああああッ!」
獣のような叫び。
その意志に応えるかの如く、まるで出口を求めるように瞳から紫の光が溢れ、荒れ狂った。
ハデスによる拘束はルナの【魔力】の奔流を押し留めているかに見えたが、次第にひび割れ、千切れ――純粋な力の前に、その形を崩壊させてゆく。
ハデスは桜花の身体を引き寄せると、ふわりと飛び、ルナから距離を取る。
そして、興奮を隠しきれない表情で呟いた。
「……素晴らしい。これこそが魔力の
ついにルナを拘束していた帯の、最後の一筋が千切れる。
倒れ込みそうになったルナは、しっかりと両の足で身体を支えた。
「桜花ちゃんを――」
ゆらり、と顔を上げたルナは、深紫の瞳でハデスを射抜き――叫ぶ。
「返せ……ッ!」
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