第48話 【生命の魔族】オシリス #4
「――頃合いですね」
その囁きとともに、ルナと桜花を守っていた障壁が解ける。
乳白色の帯となった元・障壁は、蛇のように宙を泳ぎ、ルナと桜花の二人を縛りつけ――【魔大樹】の根本に拘束した。
「ちょっと――ハデス!? なに――」
ルナの言葉は、その途中で途切れた。
全身を襲う極端な喪失感に、がくり、と脱力する。
まるでルナを構成する何もかもすべて、根こそぎ吸い取られていくかのような――
(こ、これ……【木】が魔力を吸って……?)
途切れそうになる意識を奮い起こし、桜花の無事を確認する。
桜花はルナの隣で【魔大樹】に縛り付けられたまま、がっくりとうなだれ、気を失っているようだった。
オシリスは困惑と怒りに満ちた真紅の瞳を燃やし、ハデスに吠えた。
「ハデス!? おまえ、魔王様に――っ!」
「オシリス――あなたも、よくやってくれました」
深淵の底から響くようなハデスの声が、耳朶を打った瞬間。
オシリスの頭部が、ごとん、と床に落ちた。
ハデスは、オシリスの背後から飛来した「それ」を受け止める。
魔法で引き寄せたのだろう。オシリスの首を切断したそれは、攻防の中で勇者が取り落とした――【終焉の剣】であった。
◆
転がったオシリスの首。
そこには驚愕と怒りが貼り付けられている。
だが――【生命の魔族】たるオシリスの命は、首を切り落とす程度では断つことができないらしい。
頭部だけのオシリスは真紅の瞳でハデスを睨みつけ、叫ぶ。
「ハデス――ッ!」
その叫びに呼応するように、オシリスの「首から下」が四足で床に這う姿勢を取ったかと思うと――瞬間、視界から掻き消える。
それは爆発的な加速で跳ね、獣のようにハデスを襲撃した。
そして――オシリスの「首から下」の繰り出す赤い爪が、ハデスの眼球を貫く直前。
オシリスの身体は、格子状に分解されてその場に散らばった。
「……剣というものは、やはりしっくり来ませんね」
ばらばらと、オシリスの肉片が散らばる中で。
ハデスは手にした【終焉の剣】を眺めていたかと思うと、興味を失ったように、剣をその場に「がらん」と打ち捨てた。
「ああ……私に剣術の心得はありませんよ。【終焉の剣】を模した魔法を網状に練り上げ、設置しておいただけです。派手に戦ってくれたおかげで解析時間が確保できました。切断後も再生が困難になるように構成したはずですが……いかがでしょう?」
「どうして……こんな」
呆然と呟くオシリスの首に向かって、ハデスは静かに応える。
「ようやく、パズルのピースが揃ったからです」
「ピース……?」
「勇者が【終焉の剣】を抜き、この場まで届けてくれること。【魔大樹】からあなたの肉体を剥がし、大樹を私の支配下に置くこと。そして魔力源を大樹に接続すれば……このとおりです」
「魔力源だと……? 我らの主に……魔王様に、このような――っ!」
「……あなたには、わからないでしょうね」
と、ハデスは小さく息をついて、言葉を紡ぐ。
「オシリス。あなたは、魔王様に執着しすぎているのですよ。【魔王】という機能ではなく、魔王様その人に――過度の愛着を抱いている。それでは、魔族を救うことなどできません」
「そんなもの!」
「ええ、あなたはそうでしょう。ですが、私にとっては違うのです。目指すものが異なる以上、最終的に……我々は、どこかで袂を分かたざるを得なかった。そして、僥倖と言うべきなのは――」
話しながらハデスは手を上げ、傍らに火炎球を放った。
「――っ!」
息を呑み、飛び跳ねて火炎を回避したのは、アイだった。アイはオシリスとハデスの会話の傍ら、隙を突いて剣に駆け寄ろうとしたらしい。
だが、それもハデスの予想内だった。
ハデスは横目でアイを確認し、その暗い瞳を笑みの形に細める。
「【終焉の剣】を手にした勇者が――予想よりも、弱かったこと。完全体のオシリスに遅れを取る程度であれば、計画に支障はありません」と、ハデス。
「お前……ッ!」
アイは風を切り、ハデスを急襲した。
素手である。
硬く握った拳の間合いに入る直前――アイはふと何かに気付いたように目を見開き、床を蹴って高く飛ぶ。アイは、ハデスの張り巡らせた【網】の位置を察知、回避したのだった。
「――ましてや、剣を手放した勇者など」
言葉とともに、ハデスは上空から襲い来るアイに手をかざす。
展開された【障壁】を感じ取り、無謀にもアイはその見えない壁に拳を叩きつけた。ハデスは目を細め、羽虫を追い払うような仕草で軽く手を払った。
――瞬間、鋭い刃と化した突風がアイを襲う。
「くっ――!」
アイは【障壁】を蹴って離脱した。
それを追って、怒涛のようにハデスの【魔法】が飛来する。
――勇者を殲滅すべく、荒れ狂う魔法攻撃が魔王城の広間を蹂躙した。
◆
――拘束されているルナの足元に。
アイとハデスの攻防で弾き飛ばされ、オシリスの首が転がって来る。
まるで遺跡でオシリスと別れた時を再現しているかのようだった。
隣で大樹に拘束されている桜花はまだ気を失っている。ルナは、桜花がこの刺激の強い光景を目にしていないことに感謝した。
「……オシリス……」
と、ルナは震える声で呼びかける。オシリスの眼球が「ぎょろり」と動き、ルナを捉えた。
途端に、その真紅の瞳に満ちていた憤怒が、急速にしぼんでゆく。
そしてオシリスの瞳に残ったのは魔なるものの王――ルナに対する、純粋な慈しみであった。
「ああ……魔王様、そんな顔をなさらず……」
そんな顔。
ルナは自分が一体どんな顔をしているのか、わからなかった。
何を言えばいいのかわからなかった。
ルナはオシリスの「身体」に視線を向ける。ハデスにばらばらにされた身体は、一向に再生する様子がない。それどころか小さな破片は、既に黒い霧となって消え去りつつあった。オシリスの首も切断面から黒い煙をあげ、その形状を失い――崩れていく。
だがオシリスの表情は、心の底からの喜びに満ちていた。
「魔王様――大丈夫です。オシリスは、怖くありませんから。魔王様とお会いできてオシリスは幸せでした」
「……」
「そればかりか、気が遠くなるほど長いオシリスの【生命】の果てに、こうして最期を看取って頂けるなんて。なんて……素晴らしいんでしょう」
「……し」
「魔王様……?」
その言葉はあらゆる理屈を超え、ルナの口から、
「死なないで……」
――涙のように、零れ落ちた。
「……魔王様……」と、オシリスは嬉しそうに笑った。「オシリスも……もっと、魔王様とお話がしたかった。ずっとお側に居たかった」
「……」
「……ふふふ……アイに、欲張りすぎと怒られますね」
オシリスはルナと視線を絡ませる。
そこに何を見たのか、オシリスは微笑んだ。
そして――オシリスの首は形を失い、粘土のような、ぐにぐにと
その球から――発声器官も持たない完全な黒球から、オシリスの声が響いた。
《――ほら、魔王様。タコヤキですよ》
「……たこ、焼き?」
飛び出したその単語に、ルナは状況も忘れて問い返す。
《オシリスはこうして、丸くなれるのです。すごいでしょう?》
「なに……言ってるの」
思わず、ルナの口の端に笑みが浮かんだ。
《魔王様が一番好きなものになって差し上げますから、どうか、泣かないで……》
その切実な声色に、ルナは泣き笑いのような表情になる。
「ありがとう……ごめん、オシリス。あたしは……」
あたしは――怖かった。
愛されていたのがわかったから、知るのが怖かった。
その愛が心からのものだったのか、それとも騙されていたのか――ルナにはわからなかったから。
人間に害をなす種族は、ただそれだけで【悪】なのか。身を捨ててあたしを守り、その命が尽きる最期の時にまで、あたしを慰めようとしてくれるオシリスが、本当に【悪】だと言えるのか。
(きっと……)
と、ルナは顔を上げ、口を開こうとして――気付く。
「……オシリス?」
黒い球はもう、声を響かせることはなかった。
まるでルナの笑顔に安心したように、黒球は床の上で完全に沈黙した。
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