第36話 勇者アイ #3
地下室の日々は、炎とともに終わりを告げる。
その日、アイが昼も夜もない地下の暗闇で目を覚ますと、いつもひんやりと冷たい地下室の空気は、異常な熱気に包まれていた。
頑丈な扉が炎に舐められるように燃え上がり、パイプの向こうからは、熱風に混じってパチパチとものが燃え爆ぜる音が聞こえてくる。
(か、火事――⁉)
アイは跳ね起き、木材で作った剣を手にする。
窓のない地下室は既に煙で満たされつつあり、眠っている間にかなり肺に吸い込んでしまったようだ。頭がガンガン痛むのはそのせいだろう。
眠っていたというよりも、まどろみの中で煙を吸い込み、そのまま意識を失っていたのかも知れない。
身体が生命活動を停止する前に覚醒できたのは運が良かった。
――外の空気を、吸わなきゃ。
そう考え、アイはふらつきながら木剣で扉を打つ。
長年、アイを世界から隔離していたその扉は、木剣による一撃であっけなく崩れ落ちた。既に炎によって崩壊しかけていたらしい。
「……!」
――星空が見えた。
地下室から上階へと続く階段を見上げると、その果てにあるのは家の天井ではなく、夜空であった。
アイは、目を覆う。
ささやかな星々の輝きは、暗闇で過ごしてきたアイにとって、眩しすぎたのだ。
階段をのぼったアイは、そこに広がる光景に息を呑んだ。
アイの家は焼け落ちていた。
建物の骨組みをわずかに残すだけで、壁や屋根は跡形もない。
燃え残った炎をまとっている破片が、家の残骸なのだろう。
あたりを見渡すと、被害を受けたのはアイの家だけではなかった。村の家々はことごとく炎に包まれ、ほとんどが全焼している。
「……そん、な……」
と、アイは、炎に照らされる黒焦げの死体を発見した。
二つ並んで、寝室があったはずの場所に倒れている。おそらくは両親の焼死体だ。
自分でも驚くほど、何の感情も覚えなかった。
弟の死体は見当たらなかった。
赤ん坊の頃と、パイプ越しの声しか知らない――たったひとりの、血の繋がった兄弟。
ひと目会いたいと、そう思った。
アイは生存者を求めて歩き出す。
◆
アイは村の焼け跡を歩くうちに、奇妙なことに気が付いた。
村に転がる死体は、すべてが焼死体というわけではなかった。血を流して倒れている死体も見つかったのだ。焼死体のいくつかも、よく見れば、炎に蹂躙される前に身体に深い傷を負っているものが多数あった。
(これは……?)
――と、その時。
アイは嫌悪を呼び起こす鳴き声を聞く。
明らかに人間以外の声帯から発せられる、不愉快な音。
「……っ!」
視線を向けたアイの視界に映るのは、小柄な影。
腰布だけを巻き、手には石を削り出した刃物を持っているそれは、尖った耳と長い鼻を持つ子鬼――ゴブリンだった。
「――魔族――ッ!」
木剣を構えたアイは、獣のような叫びを上げてゴブリンに飛びかかる。
限られた食料で、閉ざされた空間で育ってきたはずのアイの身体は、この時を待ち侘びていたかのように迅速に動いた。
何年も何年も――地下室の暗闇でイメージしていた通りに、アイは木剣をゴブリンの細い首に力一杯叩きつける。
――ボキ、という鈍い音。
一撃で首をへし折られ、ゴブリンはその場に崩れ落ちた。
アイは荒い息を吐いて、周囲に視線を配る。
鳴き声に誘われてか、ゴブリンがわらわらと何匹も集まって来ていた。アイを警戒して、群れは一定の距離を置いてアイを取り囲む。
「……まぞく」
アイは、ぽつりと呟いた。
その瞳は敵を前にして、何も映していないようにも思えた。
他のすべてを失い――ようやく手にした生の意味に、アイは歓喜した。
「は、はは……あはははははは!」
おかしくてたまらない。
そのはずなのに、何故か、眼から熱いものが零れ落ちる。
アイは笑い声を上げながら、ゴブリンの群れに飛び込んでいった。
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