第34話 勇者アイ #1

アイは人生のおよそ半分を、


だから、幼い頃の記憶はいつでも暗闇の中だ。

木の扉を叩いて父親を呼んでいた時のことを、今でもよく覚えている。お父さん、開けて、開けて、と、アイは声を限りに呼び続けた。

それでも、扉は決して開くことはなかった。





――その小さな村には【勇者】が生まれるという予言があった。

いつ、どこの誰による予言だったのか、明らかではない。

アイの両親が生まれる前、その祖父母が生まれる前、さらにその祖父母が生まれる前――脈々と伝えられてきた伝承だった。

だが予言の解釈は次第に歪み、村では体(てい)の良い間引きの言い訳として使われるほか、子供を寝かしつける時の「早く寝ないとゴブリンが来るぞ」という脅し文句に残る程度であった。


そんな時代、その村で生を受けたアイは、物心がつく前から魔族に対して異常とも言える反応を見せた。

大人が魔族の話をすると火が付いたように泣き叫び、癇癪を起こした。

アイが初めて喋った言葉は、ママでもパパでもなく「まおう」だった。


初めのうちは、この子が予言の勇者なんじゃないか、などと冗談を言って笑えていた両親も、徐々に、アイが【普通】ではないことを認めざるを得なくなった。


アイ自身、物心がつく頃には、自らが【勇者】の宿命を持つことを理解した。

特別な覚悟もきっかけも必要がなかった。ただ自分自身の手のひらを発見する幼児のように、自我の確立と時を同じくして、魔族を滅ぼすという己の使命を認識した。


そんな娘を、両親は気味悪がった。

弟が生まれたとき、それまでかろうじてアイに向けられていた両親の愛情は、堰(せき)を切ったように弟へと向けられた。

アイは弟と両親の形成する世界から締め出された。

アイは弟の名前すら知らなかった。


そして気味の悪い娘は、世界から隠されるように――地下室に幽閉されたのだった。





地下室の扉と無骨な錠前は、幼い少女の力でびくともしない程度には頑丈だった。

そしてアイの記憶する限り、その扉が人間の手によって開けられたのは、最初に閉じ込められる時――そのただ一度だけだ。

以来、一度たりとも地下室の扉が開かれることはなかった。


アイが生きていられた理由は、一本のパイプの存在であった。上階と地下室を繋げるように、アイの拳がかろうじて入る太さのパイプが伸びており、そこから一日に一度だけ、少量の水と食べ物が滑り落ちてきたのだった。

気味の悪い子を地下室にひた隠しつつも、そのまま餓死させる覚悟もなかったのだろう。


確かにそれは悲しい出来事だった。

地下室の暮らしは怖くて、寂しくて、狂ってしまいそうだった。

でも――アイにとって、魔族を滅ぼすこと以上に価値のあるものはなかった。

地下室に閉じ込められても、アイの使命は何ひとつ揺らぐことはない。アイは地下室に転がっていた木材を剣の形に削り、それを構えた。もちろん剣を使ったことなどない。ただ、見たこともない敵を切り伏せるためだけに、剣を振るい続けた。

アイは想像の翼を広げ、暗い地下室の中で巨大なモンスターと架空の戦闘を繰り広げた。夜通し戦い続けても倒れないように、最低限の体力消費で、最大限のダメージを与える体捌きを考えた。死角から迫り来るモンスターの攻撃を躱すように、暗闇の中で壁を蹴り、空中で身を捻った。


狭い地下室で暴れ、自らを傷付けては血を流し、目に見えない敵と戦い続ける娘の叫び声。

両親は、ますますアイを忌み子として地下深くに隠し続け、腫れ物のように扱った。


おそらく彼らはアイが狂ったと思っていただろうし、

実際に、アイはいずれ狂気に飲まれていたに違いない。


――パイプを通して、一筋の光が差し込まなければ。

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