第32話 牧場 #2

ルナがアイと共に旅を続けて、何日か経った頃。


「――牧場?」

「うん。次はそこ」


アイが告げた行き先は、奇妙なものだった。

――牧場。

魔族の所有するその施設を急襲すると言う。

長い目で見れば「魔族を倒す」という目的から外れるものではないにせよ、どこか、その行動は不自然に見えた。

どちらかといえばアイは、遠回りの戦略を立てるタイプではない。複雑な作戦に「めんどくさい」と吐き捨てて、敵の本陣に突撃するような性格だ。


(いったい、どういうつもりで……?)


ルナは釈然としなかったが、アイと一緒に行くと約束した以上、異論を挟むつもりはなかった。

勇者は多くを語らずに、牧場に向けて歩き出した。





川を上り、山肌にぽっかり空いた洞窟を通り過ぎ、二人が辿り着いたのは山間にひっそりと佇む【牧場】だった。そこはルナにとって何の変哲もない施設に見えた。放牧場らしき敷地が見当たらず「牛舎」のような建物がいくつかあるだけだから、牧場というよりも、畜産場と呼ぶ方が適切かも知れない。


「ねぇ、これって、何の【牧場】なの?」

「食用オーク」

「……」


それなら、覚えがある。魔王城でルナもよく食べた食材だ。食用オークには養殖と天然モノがあると、オシリスが語っていたことを思い出す。

ここは、魔族が養殖モノの食用オークを飼育する施設のひとつなのだろう。


その記憶がアイに伝わることを恐れたわけではないが、ルナは軽い口調で話題を切りかえた。


「それにしても、随分すんなり入れたね」

「警備も必要ないんだ。から」

「……?」

ってこと。――、ね」


まともに説明する気はないらしい。

あるいは、この先に進めば説明は不要、とでも言いたいように見える。


スタスタと早足で「牛舎」に向かっていたアイは途中で立ち止まり、ルナを振り返った。その視線は鋭くルナの鳶色の瞳に突き刺さる。

ルナの思考の奥底まで見通そうとするかのような眼力に、ルナは少したじろいだ。


「……ここで、待ってて」と、有無を言わさぬ強さでアイは告げた。

「う……うん」


足を止めたルナを「……」と数秒凝視したかと思うと、アイは踵を返して「牛舎」に向かった。

その背に揺れる【終焉の剣】を、ルナはじっと見つめていた。





アイが「牛舎」に入ってから絶え間なく響いていた破壊音は、数分後には止んだ。

ひと通り眼に付く設備を壊してしまった、といったところだろうか。


「……」


固唾を呑んで事態を見守るルナの耳に届いたのは――何かの、声。


(……なに?)


そして――眼に飛び込んで来た光景は、ルナの思考回路を瞬時にいた。


――、だった。


アイが破壊した「牛舎」の中から出てきたのは、裸の人間――成人男性であった。

怯えたように辺りを見回した男は、【牧場】から外に出る道に立ちすくむルナを視界に捉える。びくっ、と身体を硬直させるが、自らへの害意がないことを理解したのだろう。再び周囲に目を配ったかと思うと、足をもつれさせながら、ルナには目もくれずに走り去った。


(……え?)


男がルナを通り過ぎる。

鼻を突いたのは糞尿の臭気と、獣のような男の体臭であった。


「……」


走り去る男を呆然と見送ったルナは、ゆっくりと「牛舎」に視線を戻す。

そこからは、わらわらと――次々に、裸の人間たちが逃げ出すところだった。老若男女が入り混じった彼らは一様に怯えた眼をして、太陽の日差しに目を細めながら「牛舎」を飛び出してきた。色白の肌に、汚れが付着している。


まるで、ずっと長い間、あの中に閉じ込められていたかのように――


「――ルナ! 手伝って!」


アイの声が、ルナの思考を現実に引き戻した。

ルナは夢遊病のようにふらふらと「牛舎」に入る。

痛みすら感じるほどの強い臭気がルナを襲った。通路の両側に並ぶ無数の檻は、ことごとく鋭利な武器――おそらくはアイの【剣】――によって、破壊されていた。


アイの声は、さらに奥から聞こえてくる。


「動けない子がいる! 早く!」


声を頼りに近付くと、アイは、床に横たわる小さな男の子の前に身を屈めていた。

男の子はひどく痩せて衰弱し、ほとんど骨と皮だけになっている。虚ろな眼は、まるで何も映していないように見えた。


「――アイ、これ、は……」

「奥にある水と食料、持ってきて。受け付けるかわかんないけど、無いよりマシだ」

「ねぇ、アイ。この牧場……。食用オークって、いうのは……」


アイはルナを振り返る。

その冷たい眼は、まるでルナの反応を観察しているように思えた。


「……そうだよ。ここは魔族の【人間牧場】。。あいつらは人間を捕まえて増やして――喰ってるんだ」

「あ……あ、あ……」


魔族の食材。

オシリスの料理。

いなくなったミーシャ。

洗濯物の香り。

ミーシャの笑顔。

に混じって浮かぶ、香ばしく焼けた食用オークの肉の匂い。

ミーシャの笑顔。

天然物の食材。

新鮮な肉。

捕まえたばかりの肉、の、笑顔。


あれは、あたしが、口にしていたのは――


ルナは、


「うっ……!」


抗いようもなく、身体の底から込み上げてくる嘔吐感。

ルナは胃の中にあるものをすべて吐き出して――ぶつり、と、その意識を失った。

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