第30話 終焉の遺跡 #5
紫の宝玉から放たれていた光は収まり、大剣の刀身が鈍く輝いている。
「……!」
アイと対峙する
その緊張は、おそらくルナの感じたものと同じだろう。
――【終焉の剣】が、【勇者】の手に渡った。
その意味するところは――世界に【終焉】をもたらす、力の顕現であった。
「だ……ダメだよ! そんなの……アイ!」
「大丈夫――思ったより軽いから!」
アイは的外れな言葉を叫び返すと、瞬時に加速する。傷を負っていることが信じられないほどの速度だった。
肉塊はアイを迎撃すべく、その巨体から太い触手を何本も射出する。
「身体も……軽いっ!」
アイが大剣を振るった。
アイ自身が言うように、軽々と、という形容がふさわしい動きである。とても身の丈ほどの巨大な鉄塊を振り回しているとは思えなかった。
触手と激突した【終焉の剣】は、ほんの一振りでそれらを紙のように切断する。元の剣とは比べ物にならない切れ味。
肉塊の触手は、体液を撒き散らしてのたうった。
「アイ! 待って、止まって……っ!」
ルナからとっさに出てきたのは【魔法】による実力行使ではなく、無力な言葉であった。
アイはルナの静止を聞かず、触手を斬り伏せながら肉塊に接近する。
そして、至近距離からショットガンのように放たれる骨弾をすべて弾いてみせると、勇者は【終焉の剣】を掲げ、愉悦の笑みを浮かべた。
「消えちゃえよ、化け物ッ!」
一閃。
アイが【終焉の剣】を振り抜く。
一拍のあと、肉塊は真っ二つになって崩れ落ちた。
切り口からは黒い煙がしゅうしゅうとあがっている。元に戻ろうとしてか、肉塊はふるふると震えている。だがオシリスの再生力を以てしても、【終焉の剣】による傷を修復できないようだった。
「……」
アイは肉塊がまだ動いていると見るや、無表情に大剣を振るい、それらを二重三重に切断し、徹底的な破壊を始めた。
乱暴な斬撃によって、肉片があたりに飛び散る。
(……オシリス……)
ルナは、ぺたんと床に座り込んで、その光景を見つめていた。
――あたしのせいだ。
あたしが、アイと戦ってなんてお願いしたから。
あたしが、本当のことを告白する勇気がなかったから。
あたしが……。
呆然とするルナの元に、べちゃり、とオシリスの肉片が飛んで来た。
体液を零して床にへばりつくその肉は、震えながら、その表面に小さな「口」のような器官を作り出す。
「魔王……様」
そこから響いたのは、弱々しい、オシリスの声であった。
「……! オシリス……大丈夫、なの……?」ルナは小声で、肉片に問いかける。
「いいえ……【この】オシリスは、もう――」
その言葉通り。肉片の切断面からは黒い煙が立ち上り、徐々に体積を減少させていた。
かろうじて対話ができているものの、この速度で消失していけば、もって一分程度だろう。
「……ご、めん、オシリス。あたしが……」
絶望に彩られたルナの謝罪に、オシリスの肉片は空元気を感じさせる声色で答えた。
「魔王様、【この】オシリスは七分の一です。城には七分の六の身体が残っていますから、また、お会いできますよ。……魔王様の責任では、ありません」
「……」
「それよりも」
と、オシリスの肉片は、元々弱いその声を、さらに潜めた。
「あの【剣】は――危険です。ハデスの言う通り、世界を再び終焉へと導きます」
「どうしよう……こうならない、ように、って」
「オシリスの【残り】は、欠けた身体を修復するため、休眠期に入ってしまいます。【人型】になって魔王様をお迎えに行くことは、しばらく無理でしょう。ですから、魔王様。魔王様が、あれを――【終焉の剣】を無力化するか、奪い取って頂くほかありません」
「あ……あたしが?」
「はい。どうか、お願いします。魔王様なら、きっと」
「……」
「そして、魔王様。オシリスはいま、とても嬉しいのです。オシリスの【真の姿】を見ても優しくしてくださって、本当に、ありが――」
と、その囁きのような言葉が終わる前に。
漆黒の大剣が、ルナの視界の中心で、その肉片を両断した。
肉片は完全に沈黙し、黒い煙を上げながら消失する。
顔を上げると――【勇者】アイの冷めた瞳が、ルナを見下ろしていた。
「……」
ルナは床に座り込んだ姿勢でアイを見上げ、怯えるように身を引いた。
アイとルナの瞳が、互いを映す。
アイは何も語らずにルナを見つめている。
ルナはアイから視線を外し、彼女が手にする【終焉の剣】を凝視した。
(あの【剣】を……あたしが……)
――できるのか? いや――やるしかない。
アイの身体能力は常人離れしている上に、【終焉の剣】を手にしたことで、オシリスを一刀のもとに両断するほどの攻撃力を獲得している。
それでも【魔王】の力を駆使すれば、何とかなるかも知れない。
緊張を高めるルナをよそに、アイは室内をきょろきょろと見回している。
油断……している?
いまなら、もしかすると……
そして、ルナの瞳が紫に輝いたとき。アイは再び、ルナに視線を戻した。
――笑顔、だった。
「いやぁ、倒せたね! 大丈夫だった?」
朗らかな声で、アイはルナにそう語りかける。
先程までの冷徹な【勇者】の表情はどこかに消え去っていた。
アイの豹変に面食らいながら、ルナはこくこくと頷いた。
「何もいないと思ったら、あんな【魔族】が出てくるんだもんなぁ」と、明るく笑うアイは、ふと気が付いたように、「リースは?」と問いかけた。
「そ……その、はぐれちゃって」ルナは、とっさに嘘を重ねられる自分自身を嫌悪する。だが、口から滑り出る言葉は止まらなかった。「この中は、安全そうだったから……」
「そっかそっか」と、アイはうんうん頷いた。
「……」
ルナは、ひとまず激突を回避できたことに安堵した。
(でも……)
と、ルナは考える。
魔族と人間の対立を先導する勇者が、世界を終焉に導く剣を手にしてしまった。剣を何とかしなければならない。さもないと【勇者】は――新たな力を携えて、さらなる破壊と殺戮をもたらすだろう。
これまでの観察によると、ルナと一緒にいるアイは「ふにゃり」とした柔らかい少女の顔を見せ、ある程度は魔族への殺意が紛れているようにも思えた。
だったら――
「アイ……あたしも、付き合うよ」と、ルナは呟く。
「へ?」
アイは意図が汲み取れなかったようで、間の抜けた声で問い返した。
「初めて会った日に誘われた話。魔王を倒したいんでしょ? ミーシャも探さないとだし、あたしもリースが居ないと心細いし……。アイと一緒に行きたいって、そう言ってるの」
「……!」
アイの表情には隠しきれない喜びがきらめいていた。
チクリと、ルナの胸が痛む。
やはりハデスの言うように、勇者は孤独と戦いながら、魔族への敵意を保っているのだ。それに付け込んでいるようで後ろめたいが、アイの旅に同行すれば、【終焉の剣】を何とかする機会も見えてくるかも知れない。
(それに――)
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