第24話 魔王と勇者 #3

鼓膜を叩く轟音と共に、赤い烈火が地表を焦がす。

燃え盛る炎を突き破って、一陣の風と化した【勇者】が【魔王】に肉薄する。


「――ッ!」


ルナの瞳が紫色に光る。

その瞬間、アイの接近を阻むように厚い土壁が地面からせり上がった。土属性の魔法である。


軽く舌打ちをして、アイは跳躍する。

土壁の上に着地したアイは、眼下からルナの姿が消えていることに気が付いた。

ちりちりと、首の産毛が逆立つ感覚。


「――後ろか!」


野生の本能で察知したアイは振り返りざまに剣を虚空に滑らせる。

ぎぃん、と不快な音を立てて、見えない風の刃は霧散した。


アイの視線の先――空中に、風に髪をなびかせてルナが浮かんでいた。風魔法を使って、自らの身体を空中に持ち上げる技術である。不意打ちを防がれた焦りが、ルナの鳶色の瞳に見て取れる。


空中のルナを認めた瞬間、アイは土壁を蹴って跳躍する――ルナに向かって。


あの技の滞空時間はそう長くない。一度上空に上がってしまえば、あとはゆっくりと落下するだけだ。

アイは、ルナが得意げにそれを披露する場面を、何度も見てきたのだから。


――何度も。


「……っ!」


ズキ、と響く胸の痛みを振り払うように、アイは叫んだ。


「――弱いくせに……うるさいんだよ!」


横薙ぎの斬撃は――突如、ギシ、と静止する。

驚愕に目を見開いたアイの視界が曇る。吐く息はしろく、後方に流れ去った。

――動けない。

まるで自分が機械人形で、その間接のネジが外されたように。いや、これは……


(――氷!?)


空中で動きを封じられたアイは、跳躍の勢いそのままにルナに激突した。

ルナは薄く霜に覆われたアイを全身で受け止めるが、わたわたと姿勢を崩し、そのまま落下する。


「う、うわわわわ――」


地面に激突する直前、ルナの瞳が紫色に光り、生み出された暴風が地面に打ち付けられる。

ルナとアイは風の反動で「ふわり」と減速したかと思うと、ゆっくりと地上に降り立った。


「……ぐっ」


地面に転がったアイの身体は「氷漬け」というには程遠い。ごく軽く、動きを鈍らせる程度の冷気を浴びせられただけであった。

炎の熱気によって回復したらしく、ゆらりと立ち上がる。


ぽたり、ぽたり、と髪から水を滴らせながら、アイは低い声で問いかけた。


「――なんで、最初から動きを止めなかった?」

「それは……」


言葉に詰まるルナ。

アイが歯を食いしばり、身体を震えさせる。

それは自らの無力を嘆くと同時に、ルナに対する、どうしようもない怒りによるものでもあった。


「それだけの力があって――いるのに――どうして、何もしない!」


咆哮と共に、アイの身体が跳ねた。


――剣が、はしる。


アイの感情を乗せた勇者の剣は、初速からトップスピードに達している。

その攻撃は、二人の少女の他愛もない勝負――あるいは「喧嘩」の域を超えていた。

ルナがアイの瞳に発見したのは、確かな【敵】を求めて足掻き続ける、行き場のない殺意であった。


(――ッ!)


ルナの思考はフリーズする。



その事実に飲み込まれたルナは、ハデスに教わった【魔法】を練り上げる余裕を失った。

代わりに身体の奥底から沸き起こってきたのは――魔王としての、防衛本能。

すなわち破壊のみを目的とする、純粋な魔力の塊であった。その力を放てば、目の前の脅威を――アイごと、消し飛ばしてしまえるだろう。

ちょうど初めて召喚された時、オシリスに「そう」したように。


(――だめ、もう、あんなことは……!)


ルナは【魔王】の力を、自らの意志で押し留めた。

紫に輝いていた瞳が、元の鳶色へと戻る。


そして、迫る白刃がルナを――


「……アイ。二度目はありません」


切り裂く、その直前に。

アイの斬撃は、オシリスによって防がれていた。


オシリスは目視できない速度で二人の間に割り込み、片手――それも、二本の指で挟むようにして、アイの剣を受け止めていたのだった。


「リース……なんで……!?」


アイの表情に、複雑な感情が浮かんでは消えた。

激情に駆られ、ルナの命を奪いかねない攻撃を繰り出した自らへの後悔。

絶好のタイミングで放った一撃が、いとも簡単に受け止められた驚愕。

それを成したのが戦士でもなんでもない、ただの料理上手の従者であるという事実。

第三者の介入によって、ルナとの間に張り詰めていた緊張がほどけてゆく安心。


感情の渦は、皮肉交じりの言葉へと結露した。


「はっ……ルナは魔法使いで、お付きのリースは達人級ってわけ……? 何なんだよ。そんなに強いなら、ボクと一緒に戦えよ。……のほほんと暮らしてないでさぁ!」

「……」


オシリスは眉ひとつ動かさずに、アイの感情の吐露を受け止めた。あるいは、受け流した。

オシリスに守られているルナも、アイの言葉に答えてはくれない。

アイは自らの言葉が、他ならぬ自分自身を刺し貫いていることに気付いていた。


「そうだよ。ボクは……

「……」

「一緒にいると、何であんなに楽しいんだよ……」


アイは剣から手を離す。オシリスが剣を保持していた指を開くと、がらん、と金属が地面を打つ音が響いた。

【勇者】が、その力の象徴である【剣】を取り落とす光景。ルナの鳶色の瞳は、確かにそれを捉えていた。

だが――


(……アイ……)


命を刈り取るギリギリまで接近した【剣】の記憶が、ルナをその場に釘付けにしていた。

オシリスが来てくれなければ、地面に落ちていたのは、剣ではなくルナの首だったかも知れない。


拒絶は、枯れた冬のようにじわりと忍び寄り、ルナの心を満たした。


わずかの沈黙が広場を支配したあと。

オシリスはふと思い出したようにあたりを見回して、不思議そうに言った。


?」

「……え?」アイが顔を上げる。

「ミーシャが森の奥に向かっていたので、追ってきたのです。てっきりお二人と一緒にいるものかと思っていましたが……」

「……っ!」


アイの瞳に焦燥の色が浮かぶ。

そして取り落した剣を地面から拾い上げると、オシリスとルナに背を向けて、広場から駆け去っていった。


その場には今にも消えそうな炎と月の光、そして、魔王と魔族の二人が残される。

ルナは静かに、口を開いた。


「……帰ろう、オシリス」


それが「宿に戻る」という意味ではないことを、オシリスは感じ取った。

ゆえにオシリスは「ルナ」という名の代わりに、彼女の敬愛する、魔なるものすべての王に呼びかける。


「魔王様……?」


ルナは――【終焉の魔王】はひとつ頷いて、勇者の消えた方向に背を向けた。

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