第08話 週末異世界 #3
二回目の異世界は、きっと居心地がよかったのだろう。
最終的に、滞在は七日間にも及んだ。
べしゃべしゃに涙を流すオシリスを引き剥がして元の世界に帰還したルナは、部室の時計が三時間ほど進んでいることを確認する。余裕を持って昼過ぎから【召喚】されていたから、まだまだ自転車で帰れる時間である。
魔族を救うという仕事を片付けて、授業の予習復習を完璧に終えて、来週以降の家庭教師も雇って、それでもルナの週末は始まったばかりだ。
(この【週末異世界】……もしかして、すごく便利じゃない?)
上機嫌で自宅に戻る途中。
ルナは歩道の逆側を、ひどく人相の悪い男が歩いていることに気が付いた。
進行方向はルナと同じ。両手には大量の袋を持っている。
男は自転車に乗ったルナを認めると邪悪な笑みを浮かべ、車道を挟むルナに手を降った。
ルナは自転車を降り、横断歩道を渡って男のもとに駆け寄る。
「――よっ、もう帰りか?」と、岩崎
「うん。ケン兄は大学? ……じゃない、土曜だね今日」
「おう、バイトだ」
七賢は、ルナが家を出るときには既に家にいなかった。開店前の準備からシフトに入り、勤務を終えて、いま帰宅しているところなのだろう。
「ルナは勉強会、もういいのか? 昼からだろ?」と、七賢は少し意外そうに片眉を上げる。
「ん。脳みそも魔力も絞り切ったよ」
「そらよかっ……魔力?」
「何でもない。それより、その袋ってもしかして……」
「ああ、喜べルナ――期間限定も含めて、たこ焼き全種類コンプだ」
と、七賢は両手に持った大量のビニール袋を掲げてみせる。
鰹節の香りが、ふわりと漂った。
七賢のバイトは、たこ焼き屋のキッチンである。
バイトをしている理由は、実家を離れて暮らす兄妹二人の生活費と学費のためで、キッチンを任されている理由はその人相の悪さである。接客に出たが最後、店には閑古鳥が鳴く。そしてバイト先がたこ焼き屋である理由は――他ならぬルナが、たこ焼きに目がないからであった。
「だからってさぁ……」
帰宅したルナは、七賢が持ち帰った大量の袋を前に途方に暮れていた。
これまでも、店の余りのたこ焼きを持ち帰ってくれることはよくあったが、せいぜい一、二箱程度であった。今日の量は尋常ではない。
「いやぁ、店長が発注ミスってな。やけくそでキッチン総出で焼きまくって緊急セールもやったけど、まぁ……売り切れずにこのザマ」
「何個あるのこれ……あたしがいくらたこ焼き好きだからって、こんなの……」
と、ルナの頭上に「ぴこーん」と電球が閃いた。
「そうだ!」
◆
住宅街に日が沈む頃。
岩崎家のローテーブルには、所狭しと、様々な種類のたこ焼きが並んでいた。
スタンダードなソースマヨ。ネギポン酢。明太チーズ。塩と七味。バター醤油。わさび醤油。バジル風味。味噌だれ。トマト。柚子胡椒。四川風。にんにく。カレー味。……エトセトラエトセトラ。
決して広くないテーブルを囲むのは、ルナと七賢、そして
桜花は片っ端からたこ焼きを口に突っ込んでいる。
「ジャンキーなお味、たまりませんわ!」
ハムスターのようにたこ焼きをはふはふと頬張るお嬢様に、ルナが同調した。
「でしょー? 外はカリッと揚げ焼き、中はトロけ過ぎないしっとり生地。何よりタコが大きいのが最高なの、この店!」
ルナも桜花に負けじと、たこ焼きをぱくぱく吸い込みながら応える。
ルナと七賢の二人では、明らかに食べ切れない量のたこ焼き。そこでルナは、桜花たちを緊急のたこパ――ただしたこ焼きは完成済――に招待することにしたのだった。
口の周りをソースで汚して、桜花は満足げなため息をつく。
「たこ焼きに、これほどの可能性があるとは知りませんでしたわ……。この世に存在するすべてのバリエーションを食べ尽くせるのではなくて?」
「ふふふ……甘い、甘すぎるよ桜花ちゃん……。たこ焼きの可能性は、まだまだこんなものじゃないよ?」
「そんな、これ以上……!?」
「さあ、こっちへ……。見せてあげようじゃないか、至高の先を……!」
ルナは桜花を連れて、狭いキッチンに立つ。
たこ焼きに追いチーズと追いマヨネーズを乗せ、トースターで炙る。トースターの中を覗き、二人のテンションは最高潮となった。桜花は、チーズが蕩ける様子をスマートフォンでカシャシャシャシャと連写している。
キッチンから響く歓声をBGMに、七賢は、テーブルを挟んだ笠村に小声で語りかけた。
「なんつーか……すみません。百合ヶ峰のお嬢さんに、こんな庶民の食べ物」
「いえいえ」
と、笠村もたこ焼きを頬張ると、キッチンではしゃぐ桜花を眺めて微笑ましそうに目を細める。
「お嬢様は少々、箱入りが過ぎるところがありましてな」
「それはまぁ……何というか。ダメなんすか?」
「幼稚園からエスカレータ式の女学校に通わせ、いかに俗世から隔離して育てようと、最後には――社会と関わらざるを得ないのです。であれば、いまのうちに広い世界を知っておいた方が良いでしょう」
「そういうもん……っすか」
「岩崎様というご友人ができ、お嬢様は世間に興味を持ち始めてくださった。私はそれを喜ばしく思っております。ご家族にもお礼を申し上げたいと、常々」
「まさか庶民なことに感謝される日が来るとは……」
ルナと桜花の通う女子校では、ほとんどの生徒がエスカレータ式に幼稚園から高校まで上がってくる。ルナのように外部から編入してくる生徒は少数派だ。
学校が外部生を受け入れる動機は、世間知らずのお嬢様が卒業後に様々なトラブルに巻き込まれることを防ぐための、予防接種のような位置付けらしい。
何年も前は外部生がエスカレータ組に「いじめ」のような扱いを受けていたらしいが、近年は両者間の確執はほとんど消え去っていると、七賢はルナから聞いていた。
「ただまぁ……俺らみたいなパンピ……いや一般人には、ちょいと懐が辛いっすね。バイトもしてますけど、俺の大学の学費と生活費で精一杯で」
と、ルナと桜花がアレンジたこ焼きをお盆に乗せて、キッチンから戻ってくる。
「学校にお金がかかるなんて、外部の方は大変ですわね」と、桜花。
「……お嬢様。お嬢様の学費も、旦那様から支払われております」
「まあ、そうでしたの」
あっけらかんと受け流し、桜花はたこ焼きを頬張った。
笠村は、おわかり頂けたでしょうか、とでも言いたげに七賢に目配せする。
その無言の主張に七賢は、彼の凶悪な眼光を苦笑で彩った。
テーブルに座り直したルナは、七賢の背中をぽんぽんと叩く。
「大丈夫だよ。あたしの方はあたしで、ちゃんとやるから」
「学費免除、いけそうか? 授業もけっこうレベル高いんだろ?」
ルナたちの学校には、通年成績が学年十位以内であれば翌年の学費が免除になるという制度があった。
田舎の実家から離れて暮らすルナと七賢の兄妹は、ルナが学費免除を突破してくれる一点を狙い、なんとか自転車操業でやりくりしていた。
だからこそルナは、異世界で秘策の種を撒いておいたのだ。
五十倍の勉強時間、そして【知恵の魔族】の家庭教師――そんな、誰にも真似できない種を。
全教科の教科書を異世界に預けてくるという思い切った行動は、そのためであった。
「そうだ。成績と言えば、桜花ちゃんにお願いがあって」と、ルナ。
「なんでしょう?」桜花はもぐもぐしながら首を傾げる。
「しばらく、授業中に教科書みせてくれない?」
二人は教室で席が隣であった。というよりも、それが交流のきっかけである。
ごくん、とたこ焼きを飲み込んだ桜花は、
「それはいいですけれど……。しばらく?」と、もっともな疑問を投げかけた。
「一週間くらい、教科書を忘れる予定なの」
「……え?」
堂々とした忘れ物予告に、桜花と笠村は頭の上にクエスチョンマークをぽこぽこと浮かべる。
「――ルナ、グレちまったのか……?」
不安そうな七賢の呟きは、誰にも拾われることなく天井に吸い込まれていった。
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