第07話 週末異世界 #2

――ルナの力は本来、純粋な【破壊】だけを目的とするものらしい。

魔大樹への魔力補充に苦戦したのは、たぶんそのせいもあるのだろう。

初めこそ【力】の使い方がわからず、幹を派手にえぐり取ることもあった。だが大樹はその度にしゅるしゅると自己修復して元に戻ってくれた。

ルナにとって魔大樹は良いサンドバッグでもあった。


異世界で過ごした時間を現実世界に換算すれば、約五十分の一。

たとえば異世界に丸二日滞在しても、現実世界では一時間しか経過していない。


放課後スタートの前回と違って、今回はまだ現実世界で日が高いうちに召喚されたから、時間はたっぷりとあった。

数日後にはコツを掴み、ルナは順調に魔力を注ぎ込めるようになっていく。


それまでの間、ルナは魔王城でオシリスやハデスと生活を共にした。





「オシリスは料理が得意なのです。お口に合うか、わかりませんけれど……」


魔王城の一室、食堂にて。

食堂とは言っても、広い室内の中央に一つだけ大きなダイニングテーブルが置かれていて、ルナ一人が着席している。

緊張した面持ちで料理を運んでくるオシリスと、それ以上に緊張した表情のルナ。

異世界の……それも【魔族】の料理。

どんなものが出てくるのか。覚悟を決めて皿を覗き込んだルナが目にしたのは――


「……え、普通に美味しそう?」

「なぜ疑問形なのですか!?」


テーブルの上に所狭しと並んだ料理たち。

調理法がややワイルドで、材料が明らかに人知を超えた形態をしているものもあるが……総じて「普通に美味しそう」なディナーコースである。食欲をそそる、いい香りだ。

魔大樹と格闘して疲れを感じているルナは、ごくり、と唾液を飲み込む。


「じゃあ……いただきます」


手近の肉を掴み、おそるおそる、一口かじる。

ルナの瞳は、ぱっと輝いた。


「――美味しい!」

「気に入って頂けましたか!」と、オシリスは全身で喜びを表現する。「それは食用オークの肉です。オシリスの大好物です」

「食用?」


オークといえば、二足歩行で豚頭のモンスターである。

ルナは入り口を警備している兵隊オークをちらっと見た。ルナの視線に気がついて、兵隊オークは顔をしかめた。気まずい思いでルナも目を逸らす。要するに、豚肉的なものか。


料理を褒められてテンションが上がっているらしいオシリスは、次々と料理を紹介していく。


「あちらがヲルペンドの塩焼きで、手前はフルーガティのスープ。中央のメインディッシュがギウジウイウムのルガルペです」

「なんて?」


――食べるまで味が想像できない闇鍋ならぬ闇ディナーは、蓋を開けてみれば、みんな絶品であった。

聞けば、食材自体は普段から魔族の食べるものだが、味付けは人間風にアレンジしていると言う。オシリスはこの一年間、人間の街に出向いて、彼らの好む味付けを勉強していたらしい。献血……じゃない、魔力補充の際に出されたお菓子も、オシリスのお手製だそうだ。


人間と魔族の共存。

そこから実った果実がこの料理なのかも知れないと、ルナは考える。





ある日のこと。

ルナは「展望台」で教科書と問題集、そしてノートを机に広げていた。

左手を魔大樹の【核】に添えて魔力を注入しつつ、右手でカリカリと文字を書き付けている。


「魔王様、それは?」と、進捗を確認しに来たハデスが問う。


魔力補充の進捗は、ハデスが確認してくれていた。

ルナでは、どれだけの魔力を注入すれば魔族が一年間生きられるのかを判断できないからだ。


「勉強って名目で来てるから、ちょっとは進めておきたくて」

「勉強ですか。魔王様はあちらの世界では何を?」

「何って……高校生? あ、高校ってのは学校のひとつで、学校は……同じ歳の子供たちを集めて一緒に勉強する、みたいな」

「なるほど」と、ハデスが頷く。「確かに、こちらでも人間の街にはその種の施設があります」

「へぇ……魔族に学校はないの?」

「ありませんね」と簡潔に答えたあと、ふむ、とハデスは顎に手を当てる。「……それは何故か……そうですね、魔族にとって、知能とは種族ごとに寄与のものであるから、でしょうか」

「種族、ごとに……」


生まれついた種族に応じて、知能が決定されている。

スライムに生まれつけば、スライム本来の知能だけで生きていく。

……そういうもの、なのか。

言われてみれば日本でも、教育の機会が平等に与えられるようになったのは、長い歴史から見れば比較的最近かも知れない。


などと思考をぐるぐると回していたルナに、ハデスが問いかける。


「――それは、魔法則ですか?」


見ると、ハデスは手元の教科書を熱心に覗き込んでいた。


「これ? 違うよ。これは数学の教科書」

「スウガク?」と、ハデスは椅子を引っ張り出して、ルナの向かいに座る。

「法則を使って、計算したり、わからないことを証明したり……? うーん、説明が難しいな」

「興味深いですね。我々の有する魔法体系に近いものを感じます。……拝見しても?」

「いいよ」


ハデスに教科書を渡して、その間、ルナは問題集に取り組んだ。


――ほんの数分、経過した頃だろうか。

うーん、とルナが難問に唸っていると、


「――四つ前の解法を、前半だけ適用してみては?」と、ハデスが控えめに提案した。「それで因数分解できるはずです」

「……え?」ルナはきょとんとしたあと、ノートをめくり「……あ、ほんとだ」と、納得する。


ハデスはこの短時間で、初めて見たはずの数学の勘所を習得していた。

驚きと共に称賛の言葉を述べるルナに、ハデスは笑って首を振る。


「魔王様の仰るように、法則性を扱う体系のようですから。魔法則をマスターすることに比べれば、そう難しくはありません」

「そ……そんなので数学わかっちゃうもの? 魔法のノリで?」


かちゃり、と、陶器が音を立てる音に振り向くと、オシリスがお盆を持って来るところだった。

二人の会話を聞いていたらしい。


「ハデスは、魔法に関しては魔族で一番なのですよ」と説明しながら、お茶とおやつを机に載せる。「休憩にしましょう」


ありがとう、と礼を述べつつ、ルナは、ふと思い出したことを聞いてみる。


「魔族で一番って言えばさ。二人は何か、特別なんだっけ。確か、最初召喚されたときに……」

「直系眷属けんぞく、ですか?」とハデス。

「それそれ。オシリスも何か魔族で一番なの? 料理とか」

「そう言って頂けることは嬉しいですけれど」と、オシリスは笑う。


代わりに、ハデスがルナの疑問に答えた。


「オシリスの特性は、私と正反対――つまり、純粋なフィジカルの強さにあります」

「身体が……強い?」

「その通りです」と、横からオシリスが応える。「そして、そんな頑丈なオシリスの腕を、いとも簡単に破壊された魔王様! このオシリス、あの日の感動は生涯忘れません!」


腕を吹き飛ばされた張本人が嬉しそうに語るものだから、ルナはどう反応していいものかわからず、苦笑いを浮かべるしかなかった。

ハデスはさらに続ける。


「加えて……再生力。傷ついたオシリスの身体が修復する様子を、ご覧になったでしょう」

「……う、うん」


じゅるじゅると蠢く触手が、オシリスの腕を形成していく光景。

鮮明に蘇る記憶に、ちょっと動悸が速くなるのを感じながら、ルナは頷く。

確かあの時は、ハデスに「元気なだけ」などと言われてあしらわれていたけれど、オシリスの異様とも言える再生力は魔族の中でも特筆すべき力だったということか。


「それらの特性から、オシリスは――【生命の魔族】と、呼ばれます」


と、ハデスがオシリスを示すと、オシリスは誇らしげに豊かな胸を張って見せる。


「一方の私、ハデスは――僭越ながら、【知恵の魔族】と呼ばれております」

「【生命】と、【知恵】……」

「オシリスとハデス――我ら二人は対となって、魔王様をお支えする使命があるのです」

「知恵、かぁ……」

「……魔王様?」


ルナは、考えていた。


知恵の魔族。

ほんのちょっと教科書を見ただけで、ルナよりも理解を進めてしまうハデスの【知恵】。

五百年間も魔王を……あたしを召喚するために、心血を注いで研究を進めてきた。


そんな大切な【知恵】を……いや、でも……魔王を支えるって、言ってたし……。


「魔王様……どうされました?」

「――ねぇ……家庭教師、してくれない?」

「……はい?」


ルナは自分のアイディアに自分で頷いて、ずいっ、とハデスに迫った。


「教科書を一瞬読んであれだけわかるなら、一年あったらもっとわかるでしょ? 全教科おいてくからさ! 来週……こっちでは来年だけど、勉強教えて欲しいの」

「は、え、それは……私が、ですか?」

「もちろん! ハデスにお願い。こっちで教えてもらえば五十倍勉強できて、すっごいお得じゃない? そろそろ中間試験だからさ!」

「え、ええ……わかりました」


ぐいぐい押してくる【魔王】の勢いに、【知恵の魔族】は、たじろぎながら首を縦に振った。

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