第06話 週末異世界 #1

土曜日の昼過ぎ。華道部の部室。

ルナは異世界で交わした約束を果たすため、そこにいた。

一人である。


(……いろいろ、考えたけど……)


一週間に一度、週末だけ異世界に出向き、魔族に【魔力】を与える。

まるで畑に水をやるようなその行為は、確かに約束であると同時に契約でもあり、そして、ある種の強制力を伴ってもいた。

なぜならば、


――強制的な召喚、お許しください――


と、ハデスはそう言っていたからだ。

つまり、彼らはルナをことができる。

彼らの命の源である魔力が枯渇し、切羽詰まったとしたら、きっとまた同じことをするだろう。

次は授業の真っ最中かも知れないし、あの心配性な兄の目の前で魔法陣に吸い込まれる可能性だってある。次の目撃者は、桜花がそうしてくれたように、事を荒立てない密やかな好奇心で片付けてくれるとは限らないのだ。


ルナは、これまで積み重ねて生きてきた「ふつう」を壊したくなかった。


(そうなるくらいなら……)


覚悟のできているタイミングで人知れず召喚され、帰ってくる方がいい。

それが、週末まであれこれと頭を捻ったルナの結論だった。


ちゃり、と音を鳴らして、部室の鍵をポケットにしまう。

部室を勉強に使いたい、という名目で、顧問のシスター穂乃果ほのかから借り受けたものだ。

そしてルナは、しっかり全教科分の勉強道具が入った学校指定の鞄を握りしめている。これは、他人を疑わないシスターに嘘をつくという、何とも言えない後ろめたさを和らげるためだ。


ルナは部室の中央に立ち、記憶を手繰り寄せた。


「えっと……」


魔王からの呼びかけで扉が開く……だっけ。それ以上の詳しい手順は教えられていない。そんなものは必要がない、とも言っていたけど――まずは、やってみよう。

ルナは目を閉じ、頭に浮かんだ言葉を発する。


「――


まるで、その瞬間を待ち侘びていたかのように。

ルナの足元に、紫に輝く魔法陣が現れた。

光と共に風が立ち上り、ルナの髪をなびかせる。締め切られた部室は光と風で満たされ、その中心の魔法陣に、異界への【扉】が開かれた。


(……こ、これでいいの? ふつう召喚って、もっと儀式っぽい感じで……)


そんな戸惑いごとルナをすっぽり飲み込んでしまうと、魔法陣は幻のように消える。





――魔王城。

そこには、歓声が満ちていた。


ルナは、目の前の広間いっぱいに広がるに圧倒される。

ゲームやファンタジーの世界で見る怪物たち。そこまで詳しくないルナでも姿かたちを判別できるのは……ゴブリン、スライム、オーク、ミノタウロス、ええと、あとは……一つ目の巨人、首が三つある犬、上半身が人間の馬、よくわからない液体を吐いている魚人のような生物……とにかく、何というか……沢山の怪物が、視界を埋め尽くしている。


彼ら――魔族は【魔王】の降臨に歓喜し、王を称える声を上げていた。


(……っ!)


ルナは無数の異形から受ける熱気に、あとずさる。

それは確かに歓迎と敬愛の意志に満ちてはいたが、あまりにも、現実離れしている。


前回ルナが出会った【魔族】は、オシリスとハデスだけだった。ハデスの見た目は完全に人間だし、オシリスも、あの再生力を別にすれば悪魔のコスプレをしてるお姉さんに見えなくもないから、いまいちピンと来ていなかった。


でも、これは、本当に――


「――お会いしとうございました、魔王様」


オシリスの声が、ルナの恐怖を中断させた。

広間の魔族に釘付けになっていた視線を引き剥がして、背後を振り返る。

そこにはオシリスとハデスが跪き、ルナを見上げていた。


「……オシリス。ハデスも」


馴染みの二人を視界に収め、ルナは、ほっと息をつく。

オシリスはまたしても感無量という表情で、赤い瞳にうるうると涙を溜めていた。


大袈裟だなぁと苦笑しかけたルナは、そういえばこちらの世界では一年ほど経過していることを思い出す。

見渡すと、前回はボロボロだった城も修復されて、ずいぶん立派になっている。大樹に突き破られていた天井は、大樹を覆うような形で高く高く増築されていた。構造自体はデパートの吹き抜けのような形だが、見上げればくらくらするほどの高さだ。

大樹のふもとには玉座があり、玉座の前の広間に、大勢の魔族がひしめいている。


「びっくりした。みんな……魔族?」ルナが問うと、ハデスは頷いてそれに応える。

「申し訳ございません。どうしても、我らの窮地を救った魔王様をお迎えすると譲らず」

「救った……」

「一年前の魔力で」と、オシリスが続ける。「世界中の魔族が命を繋ぎました。そして何より魔王様の降臨によって、我々は希望を取り戻したのです!」

「――とはいえ、」とハデスは立ち上がって、広間の熱狂からルナをかばうようにして立つ。「半分は人間である魔王様にとって、あまり落ち着く光景ではないでしょう」


それに関しては、確かにハデスの言う通りであった。

ルナ自身が魔族を救うと決断したのは確かだが、突然大量の異形を目の当たりにして、足がすくんでしまっていた。


「……うん。ありがと」

「彼らには、召喚時の顔見せで充分です。少しお休みになったあと、魔力補充を」


と、ハデスはルナを奥の通路へと導き、オシリスがそれに続く。

歓声が遠ざかるに連れて、ルナは、あからさまに気持ちが落ち着いてくるのを感じていた。





「ハデス、た、高すぎて恐いんだけど……」

「あと少しです、魔王様」


へっぴり腰で、ルナは螺旋階段を登っていた。階段は大樹に巻き付く形で備え付けられている。

見下ろす床の遠さに身がすくんだ。あれほど大量に蠢いていた魔族たちは、既に広間から消えているようだった。


ルナがこの世界に持ち込んだ「枝」。それが魔法陣の上に落ちることで急成長した大樹を、ハデスは【魔大樹】と呼んだ。


「魔王様が去ってからの一年、私は【魔大樹】の研究を進めました」ルナを先導して螺旋階段を登りながら、ハデスは語る。「魔王様から供給される魔力を蓄積する性質を持っており、そして魔大樹のごく一部……あるものが【核】になっているようです」

「あるもの?」

「ええ……ちょうど辿り着きました」


と、ハデスの声に顔を上げる。踏み外さないように足元ばかり見ていたルナは、階段を登り切ったことに気が付いていなかった。

大樹自体はまだ上に伸びているが、階段はここまでのようだ。


そして、ハデスが手で指し示しているのは……


「……これが――【核】?」


ルナが見つめる先には、大樹の幹から生える、ハンカチが巻かれた小ぶりな枝があった。

ルナが異世界に持ち込んだ、校庭の木の枝である。


「はい。ここへ魔力を注ぎ込めば、魔大樹はそれを蓄えてくれるはずです。時間がかかるでしょうから、こうして足場もご用意しました」


ハデスの言う通り、太い枝の上にしっかりと床板が張り渡されており、展望台のような足場ができている。

階段は怖いけど、こうして登り切ると、高層マンションからの眺めのようだ。

ただ……


「注ぎ込むって言っても……やり方わかんないよ?」

「それに関しては、心配ありません」と、ハデスは自信たっぷりに断言する。

「魔王様は唯一無二の魔力の源です。やり方は、魔王様が決めてしまえば良いのです」

「え、ええ……?」

「これは、召喚に関しても同様です。ひとたび【架け橋】が繋がってしまえば、召喚自体に特別な手順は必要なく、ただ声に出すだけで叶ったはずです」

「それはそうだけど……」


と、ルナが困惑しつつも納得しそうになった時。

階下から遠く、オシリスの声が聞こえた。


「魔王様ぁぁ!」


遠かった……はずの声は、高速で接近していた。

速すぎた。

階段を一段一段登ってくる速さではない。ルナが下を覗き込むよりも先に、あっという間に、オシリス本人の姿が現れた。


――ばさり、と。


そこには漆黒の翼で風を舞い上げ、空中に浮かぶオシリスの姿があった。

どうやら背中の羽根を使って、下から魔大樹の上まで飛んできたらしい。


「すご……! 飛べるの!?」


悪魔コスプレのお姉さん、とか言ってごめん。ルナは心の中だけで詫びる。

オシリスは褒められて嬉しいのか、頬を紅潮させて尻尾をぶんぶん振った。

犬みたいだ。


「飛ばずして何のためのオシリスの翼でしょうか! さぁ魔王様、椅子をお持ちしましたよ!」


確かに、その手には大荷物が抱えられていた。座り心地の良さそうな椅子と、テーブルと、何だか色んなものが詰め込まれているらしい、オシリスの身体より大きな風呂敷包みと……。


「お菓子も沢山ございます! お飲み物は何がよろしいですか? ゆったりとくつろいで、たっぷり魔力をお出しくださいね!」

「なんか、献血みたいだ……」

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