第15話

「お邪魔します。」

昼に来たのと同じ部屋のはずなのに、より広い印象を受けた。ベッドで寝ていた先輩がいないかもしれないと思った。

「ここ座ってちょっと待っててね。」そう言われ、ローテーブル付きの3人がけソファに腰を下ろした。しばらくして天音先輩がティーポットとティーカップをトレイにいれて運んできた。テーブルに置くと、砂時計が置かれていることに気がついた。先輩がトレイをテーブルの横に立てかけ、私の1つ隣に座った。

「それでわざわざ時間をとってもらったのはね、真緒ちゃんには先に話しておこうと思ったからなの。」私がなんのことだろうと思っていると先輩はさらに続けた。

「こんなに急でびっくりすると思うけど、真緒ちゃんに私の初花はつはなになって欲しいの。」頭が真っ白になった。

「えっと、初花ってあの香りを引き継いだ1年生の呼び方ですよね?えっと……。」私が混乱していると先輩はこう言った。

「つまりね、私の跡を継いで金木犀きんもくせいの六花になって欲しいの。」優しく落ち着いた声色だった。

「もちろん、強制はしないわ。真緒ちゃん自身が決めることだから。」

「あの、どうして私にしようと思ったんですか?天音先輩は本当に今日の昼過ぎに会ったばかりなのに、そんなすぐに選んじゃって良いんですか?もっと他にもいい子たくさんいますよ?」

「そうね、出会って数時間も経たないうちに選ぶとは私も思わなかったわ。」砂時計の砂が落ちきり、先輩はティーカップに紅茶を注いだ。

「私ね、縁を大切にしてるの。私は偶然食堂の洗い場で誘導をしていて、偶然真緒ちゃんが他の子とぶつかって制服に水がかかってしまった。そして偶然それが私の目の届く場所だった。そして、真緒ちゃんがぶつかった子を気遣う言葉を聞いたの。こんな子に引き継いでもらいたいと思ったわ。人はね、驚いた時や非常事態に陥った時に素の部分が出てしまうのよ。六花は初花を選ぶまでにあまり時間がないけども、私はちゃんと中身を見て選びたいと思っていたの。だからこそ、自分にだけに水がかかっているのに、相手の心配ができる真緒ちゃんがふさわしいんじゃないかと思ったのよ。」そう言って先輩は少し香りを楽しんでから紅茶を1口飲んだ。私もそれに倣って飲んだ。とてもいい香りで少し落ち着く事ができた。

「でも、偶然じゃないですか。そこでぶつかったのが私じゃなかったら、そもそもぶつからなかったら先輩は私に引き継ごうと思わなかったわけじゃないですか。」

「そうね、だから縁なのよ。そこでぶつかったのが真緒ちゃんじゃなかったら私はあなたに引き継いで欲しいと思わなかったかもしれない。でも真緒ちゃんはあそこでぶつかった。それが縁なの。もちろん花神となる自分との性格の合いも大切だけと、花言葉にふさわしい人間である事も大切なことなの。真緒ちゃん。金木犀の花言葉、知ってる?」

「いえ、わかりません。」

「謙虚。真実。他にもたくさんあるけど、真緒ちゃんと話していて、金木犀ふさわしいと思ったの。それに好奇心旺盛なところもいいと思ったわ。礼儀正しいところも六花の生徒として必要なものを既に備えているわ。」なんだかすごく褒められている。先輩がまた少し紅茶を飲んだ。

「その、六花って……私にも務まるんですか?」優雅な仕草でティーカップをテーブルに置くとこう答えた。

「もちろんよ。それに初めから完璧になれとは誰も言わないわ。六花を選ぶ期間が短くても大丈夫なのは、どんな人を六花に選んだとしても、私達が立派な六花に育てるからよ。もちろん誰でもいいとは言わないけれど、自分の初花を導くのが花神の、『移り香の契り』最大の理由なの。」そう言って柔らかく微笑んだ。

「じゃあ、謹んでお受けします。」

「ありがとう!真緒ちゃんが私の初花になってくれて本当に嬉しいわ!これからよろしくね。」

「はい、よろしくお願いします!」先輩は頷いた。

「約束よ。真緒。」少し重みのある声だった。契りを交わしたから呼び捨てになったのかなと思った。

「はい。」

「ああ、それとこれはまだ周りには秘密にしてほしいんだけど、実は明日の夜にウェルカムパーティーがあるんだけど、花神の六花は必ず1年生と踊らなければいけないの。ほとんどの六花がそこで初花候補を探すの。それで真緒、私と踊って。」真剣で有無を言わせない強さがあった。

「はい。でも、踊れないんですけど大丈夫ですか?」

「大丈夫よ。そのために明日、練習する時間が設けられているんだから。それに明日は私たちがリードして踊るから、1年生は簡単なステップを踏むだけでいいの。あと、もし他の2年生からダンスを申し込まれても受けちゃだめよ。真緒は他の子と違って、もう私の初花なんだからね?」

「はい、わかりました。」

「じゃあウェルカムパーティーの事は明日の夜まで誰にも言わないでちょうだいね。」

「はい、天音先輩と私だけの秘密にしておきます。ところで先輩と『移り香の契り』をした事は友達に言っても大丈夫ですか?」

ちらりと腕時計を確認した天音先輩が

「それは大丈夫よ。遅くなっちゃったね、消灯時間は過ぎているから部屋まで送るわ。」と言った。スマホを確認すると22時を少し過ぎていた。少しだけ残っていた紅茶を飲むと、もう冷めていた。まだ制服を着て腕時計までしている先輩が気になった。

「あの、先輩はお風呂の時間大丈夫ですか?」

「えっとね、実はお風呂の使用時間、22時までじゃないのよね。5階の生徒は。あと5階にシャワー室があるから大丈夫なのよ。」

「そうなんですね。知らなかったです!」

「まぁそうね、5階の生徒以外知らなくてもいい事だものね。さぁ、行きましょう。」私達は立ち上がった。

「あ、紅茶ごちそうさまでした。とっても美味しかったです。」

「いえいえ、さっきの紅茶はキーマンよ。もしよかったらまた飲んでみて。」

「キーマンっていう名前なんですね!ありがとうございます。」ガチャリ、先輩が鍵を閉めた。真っ暗な廊下をスマホのライト2つで照らして歩いた。ひっそりとした静かな廊下では音をたてることすら憚られた。天音先輩がエレベーターのボタンを押すとすぐに扉が開いた。やはりエレベーターを使うのは5階の生徒が多いのかなと思った。天音先輩が先に入ってボタンを押した。2階に着いてエレベーターを降りた。先輩が私の部屋番号を覚えていてくれたので、無事に私は部屋の前まで来た。私は小声で言った。

「わざわざ送っていただいて、本当にありがとうございました!」

「こちらこそ、こんな遅くまでありがとう。おやすみ。」

「おやすみなさい。失礼します。」そう言ってから鍵を開けて部屋に入った。部屋の中に入ると、急に明るくなって目がちかちかした。

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