桜×嘘

 ウドとミナが迎えに来て、新子の姿を見て一通り驚いたあと、桜のある場所に行くためにウドの車に乗り込む。


「ヨクさんヨクさん、今から行くところ、毎年家族で見に行ってるんです! とっても綺麗なのに人がいないので贅沢ですよ!」

「ああ、東京の中にあるのか。よく残ってるな」


 管理されなくなって二十年も経てば枯れていそうなものだ。桜……ソメイヨシノは繁殖能力を持たないのだし、枯れてしまえばそれまでだ。


 助手席に座る俺の肩にミナの小さな手が乗って、それを見たウドは「危ないからちゃんと座れよ」と注意する。

 存外に良いお兄ちゃんをしていることに思わず笑うと、ウドは機嫌良さそうにハンドルを切った。


 バックミラー越しに後ろを見る。後部座席に三人乗っているが、三人とも小柄なため特に窮屈そうな様子はなく少し安心する。

 それにしても初はかわいいな……と見惚れていると、視線を感じたのか初の目がミラーへと向いて俺と目が合う。


 少しの後めたさから目を逸らそうとすると初は俺に向かってニコリと笑いかけ、俺は目を逸らすことも出来ずに苦笑を返す。

 きっとこの車の中にいても、俺と初のこのやりとりは俺達しか知らないんだろうと思うと、小さな優越感がある。


 女の子同士で話が弾むかと思っていたが、三人はあまりやりとりはしておらず、初と新子は行儀よく、ミナは手足をパタパタとして待ちきれない様子で座っていた。

 まぁ、女の子同士はすぐ仲良くなるイメージはあるけど、流石に年齢差は大きいか。


 仲良くないというわけではなく共通の話題がないということだろう。


 しばらくそうやって車に乗っていると、不意に桜の花弁が空いた窓から入り込む。それに意識を取られている間に、窓の外には桜の絨毯が広がっていた。


 一面に広がる桜の木から数えきれないほどの花びらが風に揺られて舞っていく。初めてこの光景を見る俺と新子が思わず息を呑むと、ウドはニヤリとした笑みを浮かべて車を停める。


「どうだ。すごいだろ? ……昔はここが桜の名所だったらしいんだけど、一回全部枯れてな。そんで酔狂な爺さんが警察も行政も来ないからって好き放題にやらかして、まぁもう死んじまったんだけど、そのあとだな」


 綺麗……とは言い難い、自由気ままに伸びた枝葉は桜色と少しの緑色を携えて誇らしげに揺れる。

 おそらくは植えたままろくに管理もせずに放置したのだろう。本来なら道路があるところにまで枝が伸びて、領土を主張するかのようだ。


「……すげえな」

「だろ? 地元の人間だけが知ってる名所ってやつだな。まぁ……管理出来る奴なんかいないから、後どれだけ保つかも分からないけどな」


 車から飛び出したミナは嬉しそうにクルクルと回ったあと、俺の方に手を伸ばす。


「ヨクさん! あっち行きましょ!」


 ミナに手を引かれ、ウドに視線で助けを求めるとウドは苦笑しながら車から荷物を取り出す。


「あんまり遠くに行くなよ」

「はーい!」


 お、おい、とミナに言うが、強引に手を引っ張られて仕方なく連行されていく。ミナは少し離れたところにいき、何かあるのかと思っていると、特に何か意味があってみんなから離れたわけでもないらしく、ニコニコとした視線を俺に向ける。


「えへへ、綺麗ですね」

「……ああ」

「私、ヨクさんにお弁当作ってきたんです! 食べたいですか?」


 嬉しそうにミナに笑いかけられ、笑顔を返しながら内心迷う。……弁当、食うこと自体には全く抵抗はないが、間違いなく食べるところをジッと見られるだろう。


 普通に食事をするだけでも嫌なのに、注目を受けながら食うのは……と考えるが、期待の目を向けられて断るのも……。


 俺が上手く返せずにいると、ミナは不安げに視線を揺らす。


「ぁ……い、嫌ということでしたら、その、無理には」

「ああ、いや、嫌ということは全くなくて……ほら、その……」

「い、いえ、ご迷惑でしたよね。あ……ぅ……」

「い、いやいやいや、違う、とても嬉しい。ほら、手作り弁当なんて初めてだから照れちゃってさ」

「照れ……ですか、えへへ、そうですか」


 ミナは嬉しそうにニコリと笑って俺の手を引っ張る。


「お父さんに危ないからバーベキューはダメって言われたんですけど、お弁当て喜んでくれて嬉しいです。えへへ」

「……ああ、楽しみだ」


 まぁ、箸の持ち方とか行儀に気をつけて食べればいいだけだ。……別にそれほど難しい行動というわけでもなく、本来の俺の器用さなら気にせずとも可能なことだろう。


 ミナは桜も見ずに俺の方を見てニコニコしていたかと思うと、俺と目が合うと顔を赤くしたりと忙しなく表情を変える。


「えへへ、ヨクさん……あの、その、今日は、言いたいことがありまして」

「言いたいこと?」


 俺が尋ねると、ミナは幼く小さい体をもじもじとより小さく縮こませてそれから上目遣いで俺を見つめる。


「……その、えっと……私は、その、ヨクさんに助けてもらって、とても嬉しかったです。だから、その……ヨクさんのことも、助けられたらいいなって、思ってるんです」

「……そんなに、感謝なんてしなくていいぞ」

「いえ、します。してます。だって、大好きなんです、ヨクさんのことが大好きだから……その、お父さんのこととか、火事のこととか……辛かったら、助けたいって……」


 ……「違う」と思った。俺にとっての親父は、血の繋がりもなければ記憶にもない、ただの他人でしかない。家も数日過ごしただけで、昨日まで泊まっていたホテルと同じぐらいの時間しか住んでいない。


 俺からしたら、そのどちらもに価値はない。

 悲しんで、苦しんでいるのは初だけだ。だから……と首を横に振ることも、ミナを否定してしまうようで心苦しい。


「私、ヨクさんの力になりたいです。なんでもします。ギュッと抱きしめてあげます。だから、だから……げ、元気を出してください」

「……ああ、ありがとう。そう言ってくれたら、元気出たよ」


 嘘を吐いた。

 ミナがショックを受ける顔を見るのが怖くて、嘘を吐いた。

 そのことに罪悪感を覚えるのは何故だろうか。嘘ということに忌避感はない。けれども……真っ直ぐに好意を向けてくれているミナを裏切るようで、どこか身を切るような痛みがあった。

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