4 信用できない
「ずっと疑問だったんだけど、なんで嘘ついて私を誰かと会わせるの? ドライブって言って実家とか、夫婦の食事といって職場の飲み会とか、温泉旅行といって同窓会とか。全部ウソをついてるよね。これはどうしてなの?」
「ごめん」
「理由を聞いてるの」
「本当のことを言ったら、断られるかもしれないと思った……」
「本当のことって何」
「……俺、ずっと彼女がいなくて」
「そうなの?」
夫は頷きました。
「それで、絶対一生独身だってみんなから馬鹿にされてて。母さんの友達とか職場の人とか。学生時代の友達からも馬鹿にされていた。でも理絵と結婚できたから……どうだ俺だって結婚できたぞっ! 自慢できる奧さんを手に入れたぞって言いたかったんだ」
私はげんなりしました。
「結婚自慢したくて、私を人と会わせてたってわけ?」
夫は縮こまるようにして頷きました。しょうもなさすぎる!
「周囲にも私にも嫌な思いをさせてまで自慢しようとするなんて私は悲しいよ。そんなことのために嘘をつくなんて……」
「そんなこと? 俺にとっては大事な問題なんだ!」
夫はいつになく真剣な顔でそう反論してきました。
「ずっとコンプレックスで……。やっと辛い過去を乗り越えられる、そういう大事なことなんだ。俺のプライドにかかわる、一生を左右する大事な問題なんだ!」
「……でもね。そのせいで、私はあなたの言葉を信じられなくなったよ。嘘のせいであなたの言葉を疑わないといけなくなったのは悲しいよ。私は信用できる人と家族になりたかったんだけど、それは無理だったの?」
「……そりゃあ、嘘ついたのは悪かったと思うけど、でもただ人と会うだけのことなんだから、たいしたことないだろ。それをそんなに怒るのがおかしい」
「何それ、私がおかしいっていうの?」
急に責任転嫁されて、また怒りの炎がめらめらとわき上がってくるのを感じました。
「だって、ちょっとした嘘じゃないか。なんで笑って受け流せないんだよ。俺は、奧さんにはいつも笑ってて欲しい。そんな怖い顔されたら家庭が息苦しくなる」
はあ……。もうため息しか出ない。
「悪いのは私だって言いたいの」
「そこまでは言ってない、悪いのは俺だ。でも怒るほどのことじゃないだろ。この程度の嘘なのに」
「……この程度の嘘かあ……」
夫は、私の「嫌だからやめて」を無視してもちっとも心が痛まない人だったんだなあと思うと、すっと気持ちが冷えていくのを感じました。どんなに言葉で訴えても、この人には届かないのかもしれないって、そう思い始めていました。
「なんかもう……なんだろ、妙におなかすいちゃったな。うん、おなかすいた。なんか食べたい。でも夕飯の予約はしてないんでしょ?」
「え、ああ……」
同窓会の会場で食べるつもりだったわけだよね。結婚記念日のお祝いのディナーなのにね。がっかりだよね。
私たちはホテル内のレストランで夕食をいただくことにしました。予約なしでも頼めるリーズナブルな価格のコース料理です。夫はいつものようにかき込むように早食いで、なかなか食べ終わらない私にイライラして貧乏揺すりをしていました。怒りからかストレスからか、急に食欲が増した私は、これでもいつもよりは早食いだったのですけれど。
この温泉での一件以来、私たちはセックスレスになりました。私が拒否しているからです。
だけど、いつか本当に心の底から夫を信じられるようになったら、その時にはまた愛し合う夫婦になれると思っていました。修復はまだ可能だと、最初のうちは思っていたんです。
――何かきっかけがあれば。
――夫のことを、この人ならばと思える何かがあれば。
その「きっかけ」を待って、時間だけが過ぎていく味気ない日々は、愛情を冷めさせていくのに十分な虚しさがありました。最初はささいな溝であっても、早急に手当をしないと、どうにもならないほど大きく広がってしまうこともあるのです。
このことを友達に相談したこともあります。でも、誰もわかってくれませんでした。「奧さん自慢をしたいだなんて、可愛い旦那さんじゃん」とか「妻をのけ者にするよりマシでしょう」とか言われるだけでした。夫も、たいしたことじゃないんだから気にしなければいいだけなのにと言います。それがいっそう悲しかった。
私は子供が欲しい。でも、夫のことはもう信用できません。私は信用できる人と家族になりたかったのです。嫌だからやめてほしいと言ったら、話し合いができる人がいい。だから、夫とは別れて次の出会いを探そうと思いました。
しかし、ここで問題が発生しました。なんと夫が離婚を拒否したのです。
「さんざん結婚を自慢してきたのに、離婚なんてことになったら恥をかくじゃないか」だそうです。
ええ……。世間体を気にしての離婚拒否ですか? ますます冷める~。
<つづく>
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