0x0A アジア大会
翌朝、午前九時。
豪華なホテルの緊張も、ベッドに入ってしまえば関係ない。ゆっくり睡眠を取って元気を回復した僕たちは、地下鉄に乗って台北駅へ出てきていた。
「集合は高鉄新竹駅だったよね?」
「ええ、そう書いてあるわ。この番号を打ち込むと切符が出てくるって」
「んじゃ、とっとと新幹線乗るか」
僕たちが居たのは、高鐵と書かれた改札の前。これからいよいよアジア大会の会場へと向かうのだ。
僕含め、格好は制服にスクールバッグといつもの通学スタイルだ。若干視線を感じなくもないが、日本っぽい制服はそこまで珍しくないらしい。制服で行けというのは科技高からの指令だった。
「えーっと、券売機が……さすが日本語にも対応してるな」
「至れり尽くせり」
日本語にも対応しているらしい券売機を宏がぽちぽちと操作すると、オレンジ色の切符が吐き出されてきた。漢字と英語が併記された切符は、中国語が直接理解できない僕たちでも判別ができるから助かる。
改札機を通してホームに行くと、ちょうど列車が滑り込んでくるところだった。僕たちも見たことのある姿だ。
「また、新幹線」
「しかもあれだな、大阪とかのほうに行くアレだろ? 東海道新幹線だっけか」
東海道新幹線で走っている新幹線の車両とほぼ同じに見えるけど、白地に青い線ではなく窓の下の方がオレンジと黒に塗られているのが一番の違いだろう。
「こいつは一本前、新竹には停まらないから乗れないな」
「もう一本後なのね」
「さすがに放送は全部中国語ですね」
「さすがに言葉では何言ってるかわかんないね。あーあ、アタシも中国語できたらなあ」
「結凪はそれより、英語」
そんな話をしている間に、一本前だという新幹線はドアを閉めて発車していった。数分後にやってきた同じ列車に乗り込むと、やっぱりどこか見たことのある景色が出迎えてくれる。
「これ、もしかしなくても俺たち来週乗る奴だよな」
「だな、オレたちの移動は新幹線だ」
切符に書かれた番号とアルファベットの席に座るころには、列車はゆっくりと走り始めた。
やはり新幹線なだけあって、走り始めると速い。地下を出る前に一駅停まると、列車はぐんぐんと加速して地上へと飛び出した。
「いいな、二日間移動はこれか」
「最高だろ?」
「考えられないくらい贅沢だな」
「残念なのは三十分ちょいで到着しちまうことだな」
「結構近いんだな」
「ああ、扱いとしては台北近郊の街だ」
男三人で横並びの席に座りつつ異国の景色を堪能する。
宏の言った通り、地上に出て二駅目である目的地にはすぐに着いた。
「これ、しんたけ駅、じゃないのね」
「全部いわゆる音読みだからな。しんちゅう駅、だ」
「蒼ー、改札出ちゃっていいんだよね?」
「ええ、いいわよ。迎えの人が居るって聞いてるわ」
ホームからエスカレーターで降りて、大きく綺麗なガラス張りの駅舎の中に入る。
改札に切符を通して外に出ると、英語と中国語であの長ったらしい大会名が書かれたボードを持った女性がいた。よくみると、うちの学校の名前まで書いてあるからあの人で間違いなさそうだ。
「えくすきゅーずみー?」
恐る恐るといった感じで蒼が声を掛けると、その女性は非常に流ちょうな日本語で返事をしてくれた。これには僕たちもびっくりだ。
「こんにちは、アジア高校計算機設計競技会参加者の方ですよね?」
「あ、はい。日本の若松科学技術高校、計算機技術部です」
「お待ちしていました、私はTSMIのバーバラ、といいます」
「バーバラ、さんですか。よろしくお願いします」
見た目からするとどう見てもアジア人だけど、名前はずいぶん英語っぽい名前だ。
そんな疑問が伝わってしまったのか、バーバラさんはあはは、と笑った。
「もちろん、私は台湾の人間なので中国語の名前があります。でも、中国語の発音は中国語圏の人以外には難しいんです。みなさんもそうですよね?」
「た、確かにちゃんとした発音までするのはアタシたちには難しいかもしれないです」
「でも、仕事上海外の人とやり取りをすることが多いですから。なので、こうやって英語の……ペンネームのような名前を持つんですよ。私たちの会社の台湾人は、だいたいこの英語の別名を持ってます」
「なんだか、かっこいい」
「ふふ、そう言ってもらえると有難いです。それでは行きましょう」
そう言ってバーバラさんは人懐っこい笑顔を見せてから歩き始めた。後をついて駅を出ると、一台のTSMIのロゴが入ったバンが停まっている。
そのドアを適当に開けたバーバラさんは僕たちの荷物を載せてからドアを閉めて。
「じゃ、いきますよ。二十分くらいで着きますから」
「お願いしまーす」
車はゆっくりと高速鉄道の駅を離れると、大きな川を渡って対岸へと向かう。
そこに広がっていたのは、日本の街並みとも台北でちらりと見た摩天楼とも違う、歩道に屋根のついた少し雑然としている街並み。流れる景色を興味深く眺めている間に、あっという間に大きな通りに出た。
大きな通りを横切った先は、今までの街並みとは大きく異なる工業団地然とした場所。
「もうすぐ着きますよ~」
「おお、あれか! すげえなおい、本物のTSMIだぜ」
「TSMIのロゴが見える」
そしてその中の一つ、宏も狼谷さんも見つけたTSMIのマークが輝いている建物の前で車は停まった。
「お待たせしました、到着です。忘れ物とかないように気を付けてくださいね」
「ありがとうございますっ」
荷物を下ろして建物を見上げる。巨大な建物は、僕たちの目の前に壁のようにそびえ立っていた。
「ここがTSMIの本社ビル、十二A廠です。TSMIの創業者であるモーゼス・チェンの名前を借りて、モーゼス・チェンビルディングと呼ばれてます」
モーゼスという英名もさっき言っていた英語の別名らしく、英語でビル名の入ったオブジェの上には漢字で陳中謀大楼と書かれている。
「この『謀』という漢字、日本の読み方だと『ぼう』ですが、台湾では『もう』という発音です。だから、それをもじってモーゼス、だそうですよ」
「へえ、ちゃんと本名をもじった名前にするんだな」
「日本でもペンネームで本名をもじる人多いぜ。それと同じ感覚かも」
「ふふっ、ペンネームと同じく、本名とまったくかすっていない名前を使うことももちろんありますよ。さあ、行きましょう」
そう言って笑顔で建物に入っていくバーバラさんの後をついて、僕たちも建物の中に入っていく。
明るく綺麗なエントランスで早速僕たちの足は止まった。ガラスが多く用いられた建物は外光を良く取り込んでおり、内装も明るく清潔に見える。
「ではまず、入館証をお渡しします。これは非常に特別なものなので、明日までは無くしたりしないでください」
「は、はいっ」
「TSMIの建物の中に入れてしまうんだものね」
「では、ハヤセさんから」
各々、赤い紐のついたパスケースに写真付きの入館証を受け取る。バーバラさんも社員証をぶら下げると、ゲートに社員証をタッチして通過した。
僕たちも同じように入館証をタッチしてゲートをくぐり、後をついていく。夏合宿で訪れたNEMCエレクトロニクスの高崎事業所と似たような作法だ。
「もちろん、みなさんの入館証にも制限はあります。大会に関係する部屋しか入れないのは、セキュリティ上許してくださいね」
「そりゃまあ、仕方ないな」
「むしろこれでどこでも行けます、って言われたら逆に困るな」
「逆に、明日の閉会式が終わって建物を出たタイミングで入館証は無効化されます。その入館証は記念に持って帰っても大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。いいお土産ね」
「社員証とよく似てるから、ぱっと見わかんないね」
廊下を進んでいくと、NEMCエレクトロニクスの高崎事業所よりもより明るい雰囲気なのがよくわかった。
といっても、NEMCエレクトロニクスの人たちの雰囲気が悪かった訳じゃない。単純に築年数やデザインの差だろう。
それからエレベーターに乗り、少し歩いて辿り着いたのは一つの扉。
「ここが今回の会場です」
そう言って開かれたドアの先は、とても広い会議室のような空間だった。会議室でよく見る長机を四つ束ねた島が両手で足りないほど並んでいる。
それぞれの机の上には紙を折って作られた学校名と国名の書かれた札が立っていた。僕たちのところにも、ちゃんと英語でジャパン、と書かれたものが立っている。
「みなさんはここですね。もう荷物も着いています、欠けがないか確認してください」
「おお、本当だ」
「一、二、三、四……はい、全部揃っています」
そしてその島の隣には巨大な箱が四つ。事前に送っておいた今回使うシステムたちだ。荷物に突っ込んでいた発送伝票と照らし合わせて問題ないことを確認して、一息つく。
海外への発送は箱が壊れたり無くなったりとあまり良くない噂も色々聞くから、まずは一安心できてよかった。
「よかったです。それでは、今から十二時までは準備時間となります。十二時から開会式、十二時半からシステムの性能測定が開始されます。十二時半から十三時半の昼休憩を挟んで、十三時半からは各チームのプレゼンとなります」
「わかりました。ありがとうございます」
僕の一番の出番は午後。机の数を見る限りでは参加するのは十二チームで、既に半分強の机は埋まっている。
嫌が応にも緊張が高まってきてしまうけど、一チーム十五分のプレゼンを十二チームだ。質疑応答を入れて二十分弱だとしても、午後は四時間強の長丁場。
そのどこか十五分なのだから、今から気を張っていたら死ぬぞと自分に言い聞かせることにした。
「向こうはシンガポールだぜ。確かにあそこもかなり力入れてるもんな」
「インドや中国なんかも来てる、今アツいところだしなあ」
「マレーシア、韓国も居る」
「さすが、アジアには半導体を支える国が多いだけあるわね」
悠も宏も、それに狼谷さんまで色々な国の名前に目を奪われている。実際、僕も半導体を学生で設計して、こういう場に集まることのできるチームがこれだけの国から集まるのが驚きだった。
「前情報だと、中国チームと台湾チーム、それに韓国チームがかなり強いみたいです」
「うっわ、盤石だなあ」
「シンガポールも強いよん。ただ、確かあそこは『ファブレス』だから製造をどこかに投げてるはず。もしかしてここかな?」
「ファブレスってアレか、自分で製造設備を持たないとこだっけか」
「そそ。ウチでいう製造部門を持たずに、他の学校の製造部門や企業に製造を依頼するの。最近の企業で言えばNVisionやAMT、それにスマホで結構強いQuancommなんかもファブレス企業だね」
ファブレスといえば、その名の通りファブ、製造装置を自分で持たず全ての製造を他社に委託している企業のことだ。
まず前提として、論理設計と物理設計という半導体自体の設計と、半導体の製造技術そのものに直接の関係はない。
物理設計は製造するところからデザインルールだけ貰えば設計できるし、論理設計も本質的にはプロセスのことを考える必要はない。もちろんトランジスタ数やチップ面積などを考えると知っておいた方がいいが、製造の細かい技術は不要だ。
もちろん、それだけが理由ではない。
僕たちが作っているレベルのプロセスならともかく、最新の10nmや7nmプロセスといった先端プロセスはあまりにも開発に資金を必要とするのだという。
とはいえ、一つのチップ当たりの値段は大きく上げられない。そんなことをしたらパソコンやスマホの値段が数倍になってしまうからだ。
だから、開発費用を回収するには相当なスケールメリット……つまり大量生産によってのコスト低減が必要となる。
しかし、もし自社で工場を持つとなると、基本的には自分の会社の製品のみで膨大な数のチップを生産する必要が出てきてしまう。そんな大量の半導体を一社で作れて、かつ作る必要があるのはもうIntechくらい。
こういった理由もあって製造部門を同じ社内に持つ会社はどんどん減っていき、半導体の先端プロセス開発を力強くけん引している企業は片手で足りてしまうのだ。
製造専業であるここTSMIや、自社製品だけでなくファウンダリビジネス……製造を受けるビジネスをやっているSAMSONGやNEMCエレクトロニクス、そして全部自社製造が可能なIntechくらいだろうか。
ちなみに学校だと、日本だとほぼ全ての科技高が何らかの製造部門を持っている。逆に、さっき話題に出たシンガポールチームのように国によっては製造部門を学校では持たないところもあるようだ。
……いや、建築と中に入る装置、そして運用に数百億円とか数千億円掛かる製造部門が大量にある日本がおかしいのかもしれない。
「げー、それは反則じゃない?」
「どうすんだよ、N7とかで殴られたら死ぬぜ」
「いや、規定上TSMIでアタシたちが使えるのは90nmのノードだけだから。実はアタシたちのほうが有利なんだよ」
「そうなのか、いや確かに大まかなノードのルール揃えないとってのはわかるけど」
「自分のFabを持っている所以外は、基本的に各社の90nmノードなんだって」
製造委託組のプロセスの世代は決まっているらしい。ある意味当然だ、7nmとかで作られてしまうとどう頑張っても勝ち目が無くなってしまう。
この間の合宿で関わることになったStitch用のプロセッサだって、ここに持ち込まれるどのCPUよりも高速で、半導体自体のサイズも小さく、省電力だろう。
ライバルの話に花を咲かせていると、声をかき消すようなファンのけたたましい音が聞えてきた。どうやらどこかのチームが早速電源を入れているらしい。
すぐにファンコントロールが効いて静かになるが、僕たちのやる気を刺激するにはそれだけで十分だった。皆の目が自然と合って。
「さって、アタシたちも準備始めますか」
「だな。始めよう」
砂橋さんと僕の確認するような会話を合図にして、準備を始めることにした。
まずは日本から発送していた荷物を片っ端から開けることからスタートだ。
「そっちの箱にメモリ入ってない?」
「えーっと、あ、あったあった。はいよ」
「サンキュー砂橋さん」
「シュウの荷物開けちゃうわよ? CPUをもう載せちゃうわ」
「あ、わたしも手伝いますよ蒼先輩っ」
「頼んだ」
とはいえ、このシステム一式を使うのは二回目。準備には慣れたもので、協力しながら手際よく準備を進める。
あっという間に僕の持ってきたCPUと冷却装置、それにメモリといった装置が取り付けられて、起動の準備が整った。
「駆動周波数が伸びたのはどれだっけ?」
「製造番号八、十、六、三の順番」
「じゃあ三号機の八番、一号機の十番、四号機の六番をメインで使おう、予備は二号機で」
「げー、ちゃんと対応させて付ければよかった」
「もう遅いわよ。じゃ、電源入れちゃうわね」
「そういえば台湾ってコンセントの電圧いくつだっけ? めっちゃ今さらだけど電源ユニット大丈夫なのか?」
確かに、台湾に来てからまったく気にしていなかった。
海外だと電圧や周波数、挙句の果てにはコンセントの形状まで異なることがあるというのは道香から事前に聞いていた。
それこそホテルでスマホを充電するときにも気にせず刺せたからプラグの形は同じだと思うんだけど、電圧はどうだっただろうか。
「さすがに大丈夫ですよ杉島先輩、コンセントの形は一緒ですし、電圧は百十ボルトですから。そもそも最初に受電するのは複電圧対応の電源ユニットIPなので」
「さすがにそこは既製品か。じゃあある意味安心だな」
「ええ、ここを自分で作るのはリスキーですから」
どうやら大丈夫だったらしく、僕は思わず胸を撫でおろした。これで動かないとか壊れたとか、そういう話になったら目も当てられない。
「コンセント、刺した」
「LEDも……よし、正常」
電源の確認をしている間に、砂橋さんと狼台さん、それに蒼は次々にシステムの電源を入れている。
色とりどりのLEDが瞬いて消えると、CPUクーラーのファンが音を立てて冷却を開始した。起動のログを取っている蒼のパソコンにも四台分の文字が流れて賑やかになる。
「よーし、全部正常起動したわよ」
「まずは大事な一ステップですね」
「そういや他のチームも全部揃ったんだな」
「そりゃまあ、準備の時間もあるからな」
さっきまでぽつぽつ空きがあったテーブルは、いつの間にか色々な国の制服を着た学生で埋まっていた。聞えてくる言葉も、日本語でも英語でもない言葉が大半だ。
高まりつつある緊張感に胃がぴりぴりとする中、僕は追加で一つの指示を出した。
「じゃあ、本番用の三台に十五分くらい負荷を掛けてみよう」
「なんで? そのまま本番用のセットアップに入っちゃってもよくない?」
「一応念には念を入れて、高負荷が掛かったときの挙動の確認をしておいた方がいいかなって」
「あー、確かにそれもそうだな。接触不良の時とか、高負荷時に挙動がおかしくなることあるし」
「いいと思う。本番だから、念には念を入れて」
本番に向けて、念には念を入れておきたい。検証時間をたっぷり取れたとはいえ、それはあくまでも設計に関してだけ。
組み上げとか、当日行うセットアップがちゃんと出来ているかは今から試さないと判らない。
くだらないミスで、僕たちの――いや、みんなの努力を無駄にはしたくなかった。
「決まりだな。とりあえず流しておくぞ」
「頼む。その間にこの散らばった箱たちを片付けよう」
片付けをして、その間で二十分弱の高負荷動作を確認して。
「実行結果はエラーなし。ん、大丈夫そうだね」
「一から四号機、シリコンも正常」
「ボードもオールグリーン、Goです」
「よし、じゃあ大丈夫だな。貰った大会設定に合わせる作業をしよう」
結果は全部問題なし。ということで、テーブルににょっきりと出ているLANケーブルを接続して大会運営のプログラムに接続していく。
十分と少しで設定は終わり、僕たちは本番への準備を整え終えた。
「みなさん、お疲れ様です。正常に登録が完了して、こちらからの操作も確認できましたので準備は終了です。もうすぐ開会式がありますから、隣の会場ですこし待っててください」
バーバラさんのお墨付きももらって、一息ついたころ。
突然、大きな音でアナウンスが流れ始めた。言語は英語に聞こえる。
えーっと、なんて言ったかっていうと……
「あと五分で始める、で合ってる?」
「合ってるよ、あと五分で開会式だって」
「もうそんな時間なのね」
時計を見てみると、確かに時間は十一時五十五分。アナウンスの通りあと五分で大会本番だ。
「うおう、もう五十五分か」
「んじゃ、うろうろするのもアレだし待つか。隣の部屋だっけか?」
「ああ、そうだ」
どのチームも既に大会用マシンの電源が入り、部屋の中は轟音に包まれている。こんな中で開会式をするのはさすがに難しいのだろう。
隣の同じような会議室に入り、みんなで席についてきっちり五分後。
「お待たせしました、アジア・ハイスクール・コンピューター・デザイン・コンペティティションを開幕します」
そんな英語のアナウンスと共に、アジア大会は幕を開けた。
といっても開会式はそれことCPU甲子園と同様偉い人の話からだ。話される言語も英語ということもあって眠くなる……と思ったのだけど。
「うお、台湾のIT大臣じゃねえか」
「TSMIのCEO!?」
「超豪華もいいところですね」
「凄い」
少なくともIP大会やCPU甲子園よりもよっぽど凄い人たちの挨拶だった。
端的にまとめられたわかりやすい内容を聞き取りやすい英語で話してくれたお陰で、なんとか僕や悠、それに砂橋さんでもついて行けた。
アジアのITを、そして半導体の将来を支えるのは君たちだ、というような内容の基調講演が終わると、いよいよ性能測定の出番だ。各種注意事項が読み上げられていく。
「性能測定開始後は、二十四時間経過しこちらから案内があるか、こちらからの指示があるまで隣のコンピュータールームに入ることはできません」
「CPU甲子園よりちょっと厳しいんだな」
「ここまでくる人たちならチップが燃えたりすることはない、っていう信頼を感じるわね」
「それでは、コンピュータールームに戻りましょう」
合図を聞いて隣の部屋に向かい、最終確認をして。
「一号機から四号機、シリコン、Go」
「同じくボード、温度、電圧共にGoだよっ」
「ソフトウェア、Goだ」
「いよいよ本番だ。マシンには触れないから気楽にいこう」
「寝落ちてよだれでマシンを壊す心配がなくて良いね、お兄ちゃん」
「僕はそんなことしないからな?」
いつの間にか隣に立っていて、いたずらっぽく笑う道香の冗談に皆の笑顔がこぼれる。
相変わらず緊張で死にそうな表情をしていた狼谷さんを始めとして、みんなの緊張もすこしほぐれてくれたみたいだ。
「ありがとな、道香」
「ううん、やれることはやらないと。緊張してたら楽しめないもんね」
そう言って笑う道香はなんだか心強く感じ……同時に、なんだか視線を感じた。ちらりと見回すと、蒼がなんだか難しい表情をしている。
「蒼、何か気になることがあるのか?」
「ん、いや、無いわ。準備はばっちりね」
「そうか? ならいいんだけど」
「準備はできましたか? みなさん」
なんだかはっきりとしない蒼だが、時間が迫っている。声を掛けてくれたバーバラさんにオーケーですと告げると、前のスクリーンに映し出されている僕たちのチーム、WAKAMATSU S&T HIGHと書かれた隣のマス目にチェックが入った。
続々とほかのチームにもチェックが入り、全部のマスが埋まる。時計を見ると十二時二十九分、時刻通りのスタートが出来そうだ。
「それでは、性能測定を開始します」
英語の放送の直後、聞えてくるファンの音量が一段と増した。
開始から五分で僕たちはこの部屋を出ないといけないから、三台のマシンを皆で手分けして最終確認をして。
「CPU温度、電圧、グリーン」
「VR温度、出力、グリーンっ」
「CPU使用率百パーセント、グリーンだ」
「ネットワーク環境グリーン、レポートも正常」
「ホットスタンバイの四号機も問題なし、グリーンだよ」
「じゃ、問題なしと判断してこのまま二十四時間試験を続けよう。ってわけで、出ようか」
「忘れ物をしないようにね、明日まで取りに入れないから」
「お財布とかを忘れると程よく致命的ですねっ」
「パスポート不携帯は普通に捕まるからな」
皆で忘れ物がないか確認を済ませると、退室を指示する放送が入った。このあとは昼食ということで、食堂まで案内をしてくれるらしい。
「コンピュータールームって言っても、ただの会議室なんだよな。冷房とか大丈夫なのかな」
「きっと大丈夫なように作ってるんでしょうね」
「なんなら若干音漏れてますけどね。平日じゃなくてよかったです」
「他の会議室にも影響出そうだものね、この音量」
会議室を出ると、先導してくれるという社員さんの後についていく。しばらく歩いて階段を降り、辿り着いたのは超巨大な空間。まるで何かのホールのような広さだ。
「え、ここが食堂?」
「ウチの学食なんか目じゃないね」
「そりゃまあ人数が違うから……」
その空間すべてが社員食堂という話を聞いて、僕たちは度肝を抜かれた。
うちの学食は規模が小さくて、寮生プラスアルファであっという間に埋まってしまう上に特段美味しいわけでもないから好んで使う人は少ない。
僕も学食よりは購買で適当に買ってしまうか、コンビニで適当に買って持ってくることが多かった。
「ここが社員食堂です、中華ももちろん洋食もありますよ。今日は土曜日で、ここはオフィス棟なのであまり人がいませんが、平日はここが一杯になります。大会に参加されるみなさんの分の食事はTSMIが払いますので、入館証をかざして受け取ってください」
「さすがはTSMI。太っ腹」
「TSMIの担当者さんが顔を青くしないか心配になるね」
「氷湖、ほどほどにしておきなさいよ?」
そんな言葉を交わしながら、僕たちは大量に別れた注文コーナーへと向かう。
「ここは中華……か?」
「こっちは洋食系っぽいな」
「こっちはヘルシー料理的なコーナーみたい」
「で、どうやって頼めばいいんだこれ?」
中国語と英語が書いてあるから、壁に掛けてあるメニューを見ることで何を注文できるかは何となくわかった。
だが、問題はその注文だ。漢字は何となく理解は出来ても、中国語での発音がわからない。
「んじゃ、頼んできちゃおうっと」
「どうやるんだ?」
「文明の利器を使うんだよ」
唯一突撃をかます宏の後ろについて、どうやってオーダーをするのかを見てみる。すると、おもむろに宏はスマホで写真を撮った。
それからそのスマホをカウンターに立っているおばちゃんに見せると、何やら身振り手振りをして数十秒。無事に食事を手にした宏が戻ってきた。
「おお、ちゃんと注文出来てやがる」
「どんな魔法を使ったんだ?」
「簡単だぜ。メニューの文字が映った写真を撮って、メニューを指さすだろ? あとは適当に指でコミュニケーションすればOKよ」
「天才じゃん、アタシも注文してこよ」
宏の賢い戦術で無事注文に成功すると、有難く美味しいタダ飯にありつくことができた。狼谷さんはというと、二人分くらいの料理を持ってきてバーバラさんの度肝を抜いている。
「うん、美味しかったわね。本当に」
「学食が、こうなってほしい」
「それは高望みしすぎですよ」
「社員の福利厚生ということで、社員にも無料でこそありませんが補助を出しています。なので、とっても安く健康的な食事ができるんです」
「バーバラさんは何をよく食べるんですか?」
「私はやっぱり中華料理ですかね。馴染みがある料理ですから」
「確かに、美味しかった」
「あの速度で食べて味がわかる狼谷さんもすげえよ」
そんな話をしながら会議室に戻り、いよいよ発表の準備だ。開会式で発表順は四番目と告げられていたから、一時間ちょっと後にはもう発表することになる。
僕は一人で、原稿を改めて読み直しつつスライドを見返していく。日本で散々練習してきたから、大体は頭に入っているとはいえ念のためだ。
「So we choose to develop 65nm Process using 90nm facilities.Howeverーーうひゃう」
「なんでそんな女の子みたいな声出してるのよ、私までびっくりしちゃうじゃない」
「お前がつつくからだろっ」
突然わき腹をつつかれて、原稿読みは強制的に中断された。犯人は、どこか楽しそうな笑顔の蒼だった。
「で、どう? 緊張は解けたかしら」
「……お陰様でな」
緊張しているのはバレバレだったらしい。
何しろチームを背負って発表するのは二回目。しかも前回の合宿の時はともかく、今回は英語で、しかも国際大会での発表だ。緊張しないわけがない。
原稿を見直していたのも、緊張している暇を無くすためという意味が多分にあった。
「緊張しないように原稿を見返すの、やめといたほうがいいわよ。緊張が増すだけだから」
「うっ、否定できんな」
「それに、別に暗記しろって言ってるわけじゃないんだから。大丈夫よ」
「それもそうか……」
別に原稿を暗記する必要はない。なんなら発表者用ツールのところに原稿は全部仕込んであるから、見ながら話すことだって出来る。
だけど、それではみんなのやっていることに見合わない気がした。
蒼だって、道香だって、砂橋さんや狼谷さん、それに宏や悠が頑張って作ったのが、隣の部屋で動いているMelon Hillだ。その発表を担う以上、僕もきちんとした発表をしないといけない。
純粋に技術的な面ではまだ協力出来ていない僕の、精一杯を見せたい。
改めて「どうして練習したいのか」を思い返すと、高まっていた緊張が少し落ち着いた気がした。
「……ん、よし。緊張は大丈夫だよ。でも発表はいいものにしたいから、もう一度資料を見直しとく」
「それならいいわ。頼んだわよ、シュウ」
にっこりと笑って一度席を立つ蒼を見ると、本当に敵わないと思った。
あの時交わした約束があるから、僕にここまで気を使ってくれているのだろうか。
それとも――
「いや、そんなわけないか」
頭に一瞬浮かんできそうになった都合のいい想像を振り払って、パソコンの画面に向き直る。十三時半のプレゼン開始はすぐそこに迫っていた。
いよいよ発表が始まると、ずっと練習するわけにもいかないから他のチームの発表を聞く。その中で、自分の発表にも活かせそうなところのメモを取ることを忘れない。
一チーム概ね二十分の発表はあっという間。僕たちはすぐに運営の人たちに呼ばれて、舞台袖でマレーシアチームの発表を聞いていた。どうやら、LEGの小さいコアを大量に搭載することで性能を稼ぐという方向のチップのようだ。
もちろん内容についても、ようやく概ね理解できるようになっている。
マレーシアの前のチームは台湾と中国。面白いことに、どこもx64を使用していなかった。
「x64じゃないんだな」
「x86やx64は星の数ほど命令があるし、『命令長』も可変だからデコーダーの設計が難しいのよ。それに比べてLEGやRISC-Xは固定長だし、命令の種類もある程度絞ってあるから作りやすいのよね」
「ウチはx64のデコーダIPがあるから、か」
「そうね。もちろん手は入れているのだけど、IPがないとまともに動くものは作れないでしょうね」
蒼と小声で情報交換をする。確かに、僕たちが使っている命令セットであるx64は『CISC』と呼ばれ、台湾チームやこの間のNEMCエレクトロニクスのチップで使われていたLEGや中国チームが使っているRISC-X(テン)などは『RISC』と呼ばれている。
RISC、というのは頭文字を拾った略語。元がReduced Instruction Set Computerというだけはあり、基本的には後者の方がデコーダ、つまりプログラムを解釈する部分を作りやすい傾向にあるのだという。
JCRAでは、x64のデコーダ等必要なIPを一式揃えていた。他の国ではそういうIPの調達ができなく全部自分で作っているのだとすると、確かに複雑なx64で作るメリットはないだろう。
そのままマレーシアチームの発表は終わり、質疑応答でもそれなりに突っ込んだ内容の技術的な質問が飛び交って。
「次は、日本より若松科学技術高校、電子計算機技術部のみなさんです」
ついに僕たちが呼ばれた。スポットライトの当たる壇上に立ち、パソコンを開いてプロジェクタの映像ケーブルを繋ぎ、画像が出ることを確認して。
「こんにちは。日本の若松科学技術高校、シュウリュウ コウジです。Melon Hillプロセッサのプロジェクトマネージャーをしています」
話し始めてからは、ほとんど記憶がない。ただ覚えている原稿とスライドを見ながら、慣れない英語で必死に話したことだけは覚えている。
「以上です。ありがとうございました」
最後の一言を話し終えると、どっと冷や汗が出てきた。きちんと話せたはずだが、問題はなかっただろうか。
僕の後ろに控えているみんなの表情を見たいところだが、この壇を降りるまでは出来ないのが苦しい。
「それでは、質疑応答に映ります。質疑がある方は挙手を」
その瞬間、たくさんの手が上がった。学生の机からももちろんだが、手前の方の机に座っていた大人の人たち――多分TSMIの人たちだろう――からも手が上がっている。
その迫力で卒倒しそうになっている間に、そのうちの一人にマイクが渡った。
「製造に関しての質問ですが、この装置でこのサイズのトランジスタを作るのは苦しかったのではないでしょうか? どのような工夫をしたか、是非お聞かせください」
質問をしてきたのはTSMIの製造担当の方だった。マネージャーとか言っていたから、偉い人に違いない。
なんと返そうか迷っていると、ふとシャツを引かれる感覚。ちらりと引かれた方を見ると、いつもの無表情……ではなく、少しだけ口元が緩んだ狼谷さんだった。
普段なら大会当日は緊張して質疑応答どころではなさそうだけど、技術の話が出来るとなるとどうやら別らしい
「いい発表だった。ここからは、私たちの出番」
それから小さく耳打ちしてくれた内容で、僕は思い出した。
そうだ、僕が全部やる必要はない。仲間を頼れってさんざん蒼に言ってきたのは僕だし、この間の合宿でも皆を信じれば上手くいったのだ。
「では、今の質問に関しては製造担当のヒョウコ カミタニからお話させてもらいます」
それだけ言ってマイクを渡すと、珍しく気合が入った感じで狼谷さんは演台に立った。
それからの質疑応答は、僕たちが思っていた以上に賑わいを見せることとなる。蒼や砂橋さんの物理設計や論理設計、悠のコンパイラやマイクロアーキテクチャに関する質問も飛び出し、その時間はタイムキーパーの人がマイクを回さないことで質問を強制終了させるまで続いた。
「皆さんの発表、とっても良かったですよ。コウジさんのプレゼン、素晴らしかったと思います」
「え、あれで良かったんですか? 一杯質問されてしまったんですが」
僕たちのくたびれ果てた姿を見て、バーバラさんがふふ、と笑う。
褒めてもらいはしたけど、僕は正直そう思えない。質問をされる余地があるのは、良くない発表なのではないだろうか。
そんな僕たちは、発表の後開催された懇親会を終えて帰りの車の中に居た。
時計をちらりと見ると二十時時過ぎで、日は沈み切って空は真っ暗になっていた。日はしっかりと沈んでいるのに肌を刺すような冷たさを感じないことに違和感を感じるのは、もう東北の秋に慣れ切ってしまった証拠だろう。
「いいえ、そんなことはありません。確かに返せないような質問を一杯されてしまうと、それはあまりよくないです。でも、今日は皆さんできちんと答えられていましたね?」
「た、大変だった……」
「まさか俺まで囲われるとは思わなかった……」
「あはは、確かに日本だと裏方みたいな扱いですもんね」
宏と悠も珍しくへばっていた。それも仕方のない話で、あの後休憩時間、そして懇親会の間もずっと様々な人たちが僕たちの所へやってきては議論を交わしていったからだ。
僕もわかる範囲で助太刀に入っていて、慣れない技術トークと原稿のない英語で更に精神力を擦り減らしていた。
「ですから、あれはいい発表なんです。疑問を持ってもらえるだけ、理解してもらえたということですから」
「全く理解できなければ、質問も出ない」
「そう、なのかな。だとしたら、あの資料や原稿づくりを手伝ってくれた皆のお陰だよ」
プレゼンを大勢の前でする経験なんて、そう多くはない。授業だって四十人ちょっとも居れば良いほうだ。だから、僕には何が良くて、何が悪いのか感覚でわからなくて。
「何を言うのよ、どんなに資料や原稿を作ったってへなちょこな発表をする人なんて一杯いるわ。CPU甲子園のプロジェクト部門に連れて行けばよかったわね、地獄だったわよ」
「そ、そんなにか?」
「あまり上手く話せなくて速攻で終わっちゃったり、無限に間があったり、早口でまくし立てた上で時間オーバーしたりね。そうならなかっただけでも凄いんだから」
「そ、そうなのか。なら練習した価値があった」
「うん、お兄ちゃんの発表はすごく良かったと思うよ。英語も日本人にしては頑張ってたと思う」
「その後の質疑応答で来た人の対応もちゃんと出来てたしね。よく頑張ったわ」
道香にも蒼にも褒められたのが、なんだかこそばゆい。その言葉を正面から受け取るのがなんだか恥ずかしくて、僕はかわすように話をそらした。
「英語に関してはそれぐらいの評価が嬉しいな……そういえば、バーバラさんは日本語とってもお上手ですよね」
「ええ、日本のアニメを見たり漫画を読むために勉強しました」
「アニメや漫画を?」
「はい、台湾でも日本の作品はとても人気なんです。でも、中国語に翻訳されるのは多くありませんから」
「そういう作品を見るために、ですか。ちなみに何が好きですか?」
「そうですねえ、私は――」
宏とバーバラさんが話し始めたのをきっかけに、僕はあらためて窓の外に意識を投げた。
こんな僕でも、みんなの力になれることが生まれつつある。
その事実は、あの日からようやく立ち上がった僕の背中を押してくれそうな気がした。
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