0x06 火が照らすもの
「それでは、四日間お疲れ様でしたーっ!」
「「お疲れ様でしたーっ!」」
日が傾いて妙義山の方へ姿を隠そうとしている中、僕の声に、全員の声が重なった。
紙コップを掲げる僕たちはみんな笑顔だ。
キャンプ場に辿り着くと、諸々の準備や下ごしらえを済ませ。万全な準備を整えて、合宿最後の夜を迎えようとしていた。
「かーっ、冷たいジュースが美味いなあ」
「おっさん臭いぞ、宏」
「事実だからな」
宏や悠ともこんな冗談を交わしながら、僕も良く冷えたお茶を飲み干す。
僕たちがいるのは、昼間の暑さがまだ残る屋外。さらに暑さを倍増させる気がするヒグラシの声が響く中、そこにさらなる暑さを提供する焚火と、ぱちぱちと弾ける薪の音が夏らしさを搔き立てた。
少し日が暮れて、周りの木々の影がはっきりしなくなってきたころ。
僕はといえば、赤く燃える炭を抱えたバーベキューコンロを前にトングを握りしめていた。
隣では蒼が、同じように焼き網の上へと買い込んだ肉や野菜を片っ端から並べている。
「ふふっ、なんだかシュウの家でご飯を作ってる気分ね」
「ウチだとこうやって二人で並ぶことなんて無いだろ?」
「確かに、それもそうね。っと、そろそろ良い感じかしら」
この並びは、普段から料理をする人、という非常にまっとうな人選の結果だった。蒼と並んでなんてことない話をしながら火の通り具合を見る。確かにそろそろ頃合いだな。
「そっちも、そろそろいいんじゃない?」
「うん、もう根菜系以外は大丈夫かな」
「じゃ、声掛けちゃうわね」
少し離れた焚火に照らされた蒼の横顔は、本当に楽しそうだ。四月の、そして六月末の蒼を知っていたから、その表情にひっそりと胸を撫でおろした。
「さ、だいぶ焼けたわよー。みんな食べましょ、何しろ一杯買い込んだからね」
一方で、蒼はみんなに向けて声を掛ける。さて、次の仕事の時間だ。
「片っ端から焼いていくからな。遠慮せず持ってけ」
「おおー、もう良い感じか。肉は貰うぜ」
「甘いっ、それはオレのだっ」
ダッシュで現れて、早速目の前で不毛な箸のバトルを繰り広げる宏と悠。どっちでもいいから早く持って行ってくれ。
一方で、焚火の前で何やら話をしていた女性陣もやってきた。
「いい匂いっ。珪子っ、早く食べないと全部狼谷先輩に食べられちゃうよっ」
「ちょっと道香、そんなに引っ張らなくてもっ」
「そんなこと……しない。多分」
「あと狼谷先輩もそこで断言しないんですね」
「……多分、大丈夫」
「不安だなあ……」
みんなの笑顔と冗談を眺めながら、ひたすら肉と野菜を焼いていく。
和重技師や道香に時々代わってもらいつつ、バーベキューを楽しんだ。
こんな風に皆でバーベキューをするなんて、これまでの人生で初めてだ。なんてことない話なのにみんなで笑って、ここにいる全員が笑顔を見せている。
言ってしまえばただ焼いただけの野菜と肉なんだけど、やけに美味しく感じたのは僕だけじゃないみたいだ。
「げっ、お兄ちゃん、こっちのお肉もうあと一トレイだよ」
「こっちもあと一つで売り切れだな。あれだけ買ったんだけどな……」
次に焼く側に戻って二十分もすれば、買い出しで相当な量を買い込んでいたはずのお肉も野菜も、概ね尽き果てている。
ローテーションでもう一つのコンロを見ていた道香と一緒に顔を見合わせると、二人で笑いあった。
「ふふっ、だってこれだけ美味しいんだもんっ。わたしも一杯食べちゃったし」
「それもそうだな。まさかバーベキューがこんなに楽しいとは思わなかった」
「わたしも。お兄ちゃんが楽しいって思ってくれると嬉しいよ」
「ん、僕も道香が楽しんでくれたなら嬉しいよ。この部活に道香を誘って良かった」
「んもう……」
最後のトレイを手に取りながら、ちょっと困ったような笑顔を向けてくれる道香。
少しだけ大人びて見えるその笑い方は、僕の知らない道香の表情の一つだった。
喜怒哀楽がわりとはっきり顔に出る素直な道香だけど、今だけは読み取ることが出来ない。
「おーいっお二人さん、状況はどうだい」
結局、その不思議な表情は砂橋さんが追加のお肉を貰いに来ると消えてしまった。
「おっと砂橋さん、もうほぼ終わりだね」
「ですねっ。もう追加も無いんでしたよね?」
「そうそう。もう冷蔵庫にも無いから、両方ともこのトレイで焼く用のお肉は最後だね。あとは焼きそば作って終わりかな、このペースだと明日の朝ごはんも消えかねないし」
砂橋さんの言う通り、明日の朝の分まで無くなったら大惨事だ。最寄りのスーパーまでそこそこ距離があったぞ、ここ。
これで終わり、という雰囲気をみんなも感じたらしく、狼谷さんを筆頭にまたわらわらと集まってくる。
「はいっ、これでお肉とお野菜の部はおしまいですっ」
「この後は焼きそば作るからな、十分くらい待っててくれ」
そう皆に声を掛けながら、ラストスパートで空いた場所に肉と野菜を詰め込んでいく。改めて、こうやって皆のためにご飯を作るって言うのもなんだか変な感じだ。普段は自分と、作っても蒼の分だけだし。
「この辺なんか肉焼けてるよ、持ってって」
「はーいっ」
「ちょっとお爺ちゃんっ、アタシが恥ずかしいって」
「いいじゃないか、俺だって部員として楽しんだって」
「大歓迎ですよ、和重技師。そうだ、家庭用ゲーム機と言えば、和重技師はMR4300とか携わられたんですか?」
「おお、ロクヨンのだな。あれはだな……」
和重技師が楽しそうにしているのも、また一つ嬉しい点だ。今回たっぷりお世話になってるから、少しでも楽しい時間を過ごせてるなら嬉しい。その後宏と和重技師は肉と野菜を取るだけ取って、何かを熱く語り合いながら焚火のほうへ戻っていった。
「はあ、お爺ちゃんも歳を考えてほしいよ……」
「ふふっ、いいじゃない。楽しそうだったわよ」
「それはそうなんだけどさぁ」
そんな和重技師に口では文句を言いながらも、顔は眩しいものを見るような砂橋さん。そして、そんな砂橋さんを眺める僕たちも笑顔。素直になれない砂橋さんのほほえましさは一級品だ。
「あのっ、狼谷先輩っ、そんなに食べて大丈夫なんですか」
「……」
「無言で親指を立てるんじゃないよ狼谷さん」
「折角の、美味しくて楽しい食事。食べない理由がない」
「あはは、これで売り切れちゃいましたね……」
一方の道香の方のコンロは、大魔神狼谷さんの魔の手によって不毛の地にされていた。雪稜さんや悠、そして狼谷さんも笑顔。
「さて、これで全部終わりかな。そろそろ片付けに入ろうか」
ついには焼きそばも食べ終わり、食べ物が無くなったバーベキューは終わりの時間が近づいてきた。
時計を見ると八時半すぎ。焼き始めたころにはまだ青さすら残していた空は、星の瞬きを明るく映し始めて久しい。
「だな。あーあ、もう合宿も終わりかあ」
「本当に、楽しかった」
「お前の青春欲は満たされたか? 宏」
「おうよ。ばっちりだぜ」
合宿最後の夜を惜しみながらも、片付けの準備を始めようとする僕たち。
そんな僕たちの耳に、声が届いた。
「あのっ」
その声の主は、少し俯くように視線を地面に落とした雪稜さんだった。
「どうしたの、珪?」
砂橋さんが声をかける。雪稜さんはきっ、と顔を上げると、砂橋さんに向けて言い切った。
「ボクっ、今年の若松科技高の編入試験を受けようと思いますっ。皆さんと一緒に、勉強して、部活をしたいって思ったんです」
「……そっか。うん、頑張って」
その返事はそっけなく感じたけど、雪稜さんを見る表情は優しいお姉さんのものだった。
「アタシは待ってるよ。教えてほしいことがあったら、いつでも連絡して」
「珪子が受かったら寮よね、結凪みたいに親戚がいるわけでもないでしょうし。それなら氷湖に話を聞くといいわよ、寮生だから」
「寮のことなら、任せて」
「来年からまた賑やかになりそうだな」
「良いことじゃねえか。開発にも余裕ができるしな」
「あの、流石に今のうちからボクが受かった前提で話をするのはさすがに」
受かって当然のように話をするから、雪稜さんは逆に慌てたみたいだ。でも、僕たちはそれくらい全く心配していない。
「だって、こんな合宿にまで飛び込んできちゃう珪子だもの。きっと、何とかして入ってきてくれるんでしょう?」
「……はいっ!」
それは、信頼と激励の言葉。それを聞いた雪稜さんは、目じりに涙を堪えながら大きく頷いてくれた。
雪稜さんの決意表明の後は片付けの時間になる。有難いことに、僕たち調理をしていた組は片づけを免除してもらっていた。
「いいのいいの、一杯作ってもらっちゃったんだから。アタシの顔を立てると思ってゆっくりしててよ」
そんな砂橋さんの指揮のもと、散々飲み食いしていた勢は向こうのほうでワイワイと片づけをしている。
「……ふう、終わりだなあ」
誰にともなく言葉を放ちつつ焚火の近くのキャンプベンチに腰を下ろす。いくら楽しかったとはいえ、さすがにちょっと疲れたな。
心地よい疲れを感じつつも流れる静かな時間を楽しんでいると、後ろから誰かの足音が近づいてきた。
「ん、蒼か」
「お疲れ様、シュウ。椅子、半分貸してちょうだい」
「蒼もお疲れ。ほいよ」
やってきたのはコップを二つ持った蒼だった。
リクエストにお応えして蒼の座る場所を空けると、肩が触れ合うほどの近さで座ってくる。
「はい、冷たいお茶。熱中症になってもらっちゃ困るからね」
「ん、ありがとう」
その少し近い距離感にちょっとドキッとさせられたことを悟らせないよう、平静を装ってお茶を受け取った。
今までも幼馴染だから距離感は近かったけど、さらにこぶし一個分ほど近づいている気がする。
そして、そんな蒼に……確かに少し、何かの感情が動くのを感じた。
「合宿、楽しかったわね」
蒼はそのまま無邪気な笑顔を向けてくる。少しだけ変な鼓動を打つ心臓の音は伝わってないみたいで安心した。
「ああ、こんなに楽しいなんて思わなかった」
「そうよね、部活の合宿は初めてよね」
「なんなら部活が初めてだしな。でも、こんな楽しい時間が過ごせるなんて思わなかった」
「ふふっ、そう言ってくれると誘った甲斐があったわ」
「ああ。本当に入ってよかったよ……この部活に」
素直な気持ちが口から滑り出る。ちょっと気恥ずかしい気もするけれど、蒼には今さらか。
「そっ……か。それなら、本当によかった」
肩に何かが載る感覚。蒼が、頭を肩に預けているんだろう。
どんな表情をしているのか見てみたかったけど……なんとなく無粋な気がしてやめた。
焚火の熱と、肩から伝わる暖かな温度を浴びていると、どうしても考えてしまう。
今日の成果発表会で、嬉しいと思ってしまった。自分が携わったものが、世に出るという嬉しさを知ってしまった。
親父もこうやって、自分の、そして自分たちの成果が認められて、世に出て。
それを繰り返している間に、あんな風になってしまったんだろうか。
「……はあ」
「シュウ、難しい顔してる」
「ん、ちょっとね」
「お父さんのこと、でしょ?」
「……蒼にはお見通しか」
「何年幼馴染やってると思ってるのよ。それくらいわかるわ」
蒼は笑いながら僕に預けていた体を起こすと、視線を空へと移す。それにつられるように空を見上げると、そこに広がっていたのは満天の星空だった。
「シュウがどんなに考えても……答えは出ない、わよね?」
「蒼ならそう言ってくれるって、信じてたよ」
そう、僕はもう知っていた。どんなに他人のことを考えていても、答えは永遠に出ない。
最終的には話をすることで答え合わせをしないと、ただの空想でしかないと。砂橋さんと雪稜さんが、それを改めて教えてくれた。
「そう、それは判ってるんだ。でも……」
そこから先は、ちょっと言葉にするのをためらった。我ながらちょっと情けない気がしたから。
そんな僕の背中を、蒼はばしっ、と叩く。
「いってっ!?」
「何カッコつけようとしてんのよシュウ、今さらね」
「筒抜けかよっ」
「無言で突然百面相を始めたら、わかるに決まってるじゃない」
「そんなに判りやすかった、僕?」
「ええ、それはもう」
くすくすと笑う蒼に完全に強がりを看破されてしまったし、何を考えていたかを吐くしか道は残っていない。少しだけ頬が熱を持つのを感じながら、今思っていることを言葉にしてみる。
「……怖いな、って思ったんだ。何を考えてるか全くわかんないから、どんな気持ちが飛び出してくるかわからなくて」
吐き出してみると、思ったよりも単純な恐れだった。
「それこそ、自然なことじゃない。結凪だって珪子だって同じ気持ちを抱いていたはずよ。もっとも、あの二人とは状況が違いすぎるから受け入れろなんて絶対言えないけど」
「いや、自分でもわかってるんだ、いつかは受け入れて話をしないといけないって。でも、今はそれが怖くて仕方がないんだ」
さらに、情けない言葉が続いてしまう。
進まなくても痛んでいた古傷は、一歩進もうとするとさらに鋭い痛みが走る。
不安定な気持ちのせいで強く握っていた拳に、ふと、暖かな感覚が触れた。
僕の手を包み込むように蒼の手が載せられたんだと気付くには、数瞬が必要だった。
「ん、そっか。いつかは受け入れて話をしないと、って思えたのね」
蒼の優しい、痛みも肯定してくれる一言。
それを聞いただけで、痛みは幾分か軽くなった気がした。
「このまま放置しても、いつかはね。気付かされちゃったよ」
「……これからすぐに会う、なんて機会は無いでしょうし。いつかに備えて、その痛みをゆっくりと受け入れて行くしかないんじゃないかしら」
「だな。ずっと放置もできないけど、すぐに何かしないといけないわけでもないし」
前向きな先送り。そう表現するのが一番いいだろう。
そう考えれば、ようやくざわついた心が落ち着いてきた。
「よし、いつものシュウね」
「恥ずかしいところを見せちゃったな」
「それこそ今さらよ、恥ずかしいところなんて。いいの、私はシュウが笑ってくれてるのが一番嬉しいんだから」
そんな真意のつかめない蒼の言葉に、どんな表情をすればいいか判らない。
同時に、心のどこかがちくりと痛んだ気がする。
「さーて、戻ったら開発を再開しないとね」
それに気を取られたからだろう、まるで話をそらすように話題を変える蒼を追及することも出来ず、ただ話題についていくことしか出来なかった。
「お、おう、意外と時間ないからな。二週間くらいで最初の石はテープインしないと」
「どう? プロジェクトマネージャーはちゃんと出来そう?」
顔を覗き込んできた蒼のちょっと赤い頬は、近くで燃えている焚火のせいだろうか。
「……ああ、任せてくれ」
でも、もちろんそんなことは聞けなくて。
ただ、任せてくれとしかいうことが出来なかった。
「ん、その意気よ」
「おーい蒼ーっ、鷲流くーん、花火するから準備手伝ってーっ」
その時、ペンションのほうから砂橋さんの声が届いた。夜の楽しみの一つとして準備していた花火を始めるみたいだ。
その瞬間、さっきまでの雰囲気は一瞬で消えてしまった。
「おっと、呼ばれちまったな」
「じゃあ行こっか、シュウ」
「おう」
蒼が立ち上がる。寄り添っていた温もりが離れると、初秋の夜は少し寒く感じた。
ぱちりと爆ぜた薪の音を合図に、さっきまでのふわふわした気持ちはどこかへと消える。
走り始めた蒼の後ろを追いかけるように、僕も頼もしい仲間たちの元へと走り出した。
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