0x02 寝不足ラプソディ

 迎えた合宿当日の朝。

「ふ、ああ……っ」

 珍しく目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。

 時計を見るとまだ六時半。夏場で外は明るいとはいえ、予定より一時間ほど早く目が覚めたことになる。

「僕もなんだかんだ、楽しみで仕方なかったんだな」

 小学生の男子みたいな起床理由に、自分で苦笑いが浮かぶ。

 起きてしまったからには早めに準備を済ませてしまおう。そう思ってベッドを離れようとしたとき、携帯が震えた。

「ん、何だ?」

 画面を見ると、送ってきたのは蒼。すぐにロックを解除してWINEを見る。

『もう起きてる?』

 どうやら蒼ももう起きているようだ。この時間だと普段より少し遅いくらいか。

『ああ、さっき起きたとこだ』

『行っていい?』

『いいよ』

 短く返信してから着替えを終えて部屋を出ると、ちょうど玄関の開く音がした。洗濯かごに寝間着を叩き込んでリビングに向かう。

「おはよ、シュウ。準備はどう? ばっちり?」

「もちろんだ、ってお前……」

 さっきの音の通り、そこには蒼が居た。だけど、その顔を見て思わず言葉を失う。

「な、何よっ」

 蒼は恥ずかしそうに顔を手で隠そうとする。普段はしても本当に薄いナチュラルメイク程度の蒼だけど、今日だけは目元の化粧が厚めだ。

 そして、それでも隠せないくらいのクマが目の下にできていた。もちろんCPU甲子園前のあの時期よりはマシではあるけど。

「もしかして蒼、寝れなかったのか?」

「うっ……やっぱり、見たら判るかしら」

 露骨に目をそらす。どうやら図星らしい。

「目元の化粧をちょっと厚めにしたんだろうけど、隠せてないな」

「うううっ……お見通しね」

「僕も楽しみすぎて一時間早く起きちゃったし、仕方ないよ」

 お手上げ、というようにため息をつくのを見て、苦笑いをしながら言葉を返す。それを聞いた蒼の表情は輝いた。信じていた同類を見つけたといった表情だ。

「シュウならそうかな、って思ってたわ」

「昨日はいつ寝たんだ?」

「えーっと、三時半くらいかしら」

「結構粘ったな」

「違うのっ、いや違くないんだけど、寝付けなくて……何やっても逆効果で」

「ああ、まあ気持ちはわかるよ。寝ないとって思うともうダメだよな」

「はあ、そうなのよね……でも昨晩は翠も大変だったのよ」

「翠ちゃんが? 珍しいね」

 蒼と比べると大人しめで素直な印象が強い翠ちゃん。そんな翠ちゃんのことを大変だったって言うのは珍しいな。

「いまさらになって、兄さんと一緒に一週間もお出かけなんてずるいですっ、私も行きたいですって言って聞かなくて」

「あー、そういうことか」

「あんたは受験生なんだし、受かったら来年コン部に入ったら参加できるわよ、って言ったら拗ねてふぐみたいに膨らんでたわ」

「ははっ、かわいいな」

 二人で苦笑いを交わしてから、朝ごはんを食べて片付けを済ませる。

 気が急いて全ての支度を前のめりに進めた結果、七時半には出かける準備が整ってしまった。

「ちょっと早いかしら?」

「んー、どうだろ? 遅れるよりはいいかな」

「それもそうね。じゃあ出ちゃいましょうか」

 そう思ってリビングのドアを開けたところで、家の中にインターホンの音が響く。

「こんな時間に誰かしら?」

 ちょうど玄関に向かっていたところだったからそのままドアを開けると、そこに居たのは旅支度を整えた悠だった。

「おはようお二人さん、準備はバッチリか……って、色んな意味で万端みたいだな」

 僕の眠気が抜けきっていない表情と蒼のクマをみて、睡眠不足を悟ったらしい。さすが生活リズム破壊王なだけある。

「ああ、恥ずかしながら寝つけなくてな……そういう悠はやけに元気だな?」

「もちろん、コンディションは完璧だぜ」

「へえ、凄いじゃない」

「ちゃんと魔剤も飲んで来たしな」

「本当に……ん? 魔剤? 朝からか」

 魔剤といえばエナジードリンクのこと。朝から景気づけに飲んできたってことか? 本来なら眠気覚ましとかに用いるべきアイテムなんだけど。

「おうよ、お陰で元気は万端だ」

 ……眠気覚ましのアイテムのお陰、ってことはもしかして。

 同じ考えに至ったんだろう、蒼は恐る恐る聞いた。

「悠、アンタもしかして寝てない……?」

「おうよ、合宿の前って言ったらやっぱこうじゃないとな!」

 ……やっぱバカだわ、こいつ。

「バカね……」

 蒼も大きなため息をついた。

 とはいえ、ここで時間を食っていても僕たちの睡眠不足が改善するわけじゃない。

「まあいいや、せっかく集まったしもう出ようぜ」

「ん、そうしましょ」

「おっしゃー! やってやるぜ!」

「何をするってのよ……」

 こうして、寝不足三人衆で合宿に向けて早めに出発することにした。

 いつもとは逆の方の列車に乗って、若松の駅に着いたのは八時過ぎ。集合の四十分前だし、集合場所には当然のように誰もいない。

「ま、そりゃそうよね」

「さすがに早いからな」

 だけど、このまま待っていても幾分手持無沙汰だな。

「飲み物とおやつ買ってくるわ、二人はどうする?」

 同じように考えたんだろう、蒼は開店時刻を迎えたばかりの駅の売店を指さした。

 一方、列車の中から睡魔との戦いを始めていた悠はゆるゆると口を開く。

「あ、じゃあ瓶入りの魔剤頼むわ」

「お前は来ないのか?」

「ちょっとでも睡眠時間を稼がせてくれ、この時間になって死ぬほど眠くなってきた」

 徹夜明けなんだから眠いのも当然だろ、というツッコミはもはや何の意味もなさないだろうなあ。

 ちなみに瓶入りの魔剤は一番カフェインの含有量が多いらしい。申し訳程度の睡魔への抗戦をしても、もはや事実上敗北している悠は手遅れだと思うんだけど。

「……荷物番、お願いね」

 呆れてそれだけ言い残す蒼と一緒に、駅の売店へ向かう。

「シュウ、飲み物お願いしてもいいかしら? 私はいつものでいいわ」

「いいぜ。じゃあおやつは頼んだ」

「任されたわ」

 そういって蒼と別れ、飲み物棚で手に取ったのはどこにでも売ってる緑茶。蒼がいつもの、といったときは決まってこれだ。

 自分の分のコーヒーも一本取って戻ったけど、蒼の姿が見当たらない。少し探すと、蒼はパンのコーナーで不満げにうろうろしていた。

「ほいよ、カゴも持ってやるよ」

「ひゃわっ、びっくりさせないでよ」

「んで、何でそんなにむすっとしてるんだ?」

「むすっとなんて……してないわ」

 そう言う蒼の目は不満げに揺れている。

 不思議に思ってカゴの中を見ると、そこには何も入っていなかった。

「あー、まあ確かにここは和菓子系いまいちだな」

「なっ、そ、そんなことじゃ」

「嘘つけ、お前があんこ好きなのは周知の事実だし」

「むぅー……」

 さっきのお茶の好みといい、蒼はお茶といえば緑茶、お菓子といえば和菓子が好きなザ・日本人的な嗜好だ。どうも、小さいころ面倒をよく見てもらっていたおばあさんに影響を受けたんだとか。

 全然構わないと思うんだけど、本人曰く「なんかちょっと年寄り臭い気がするじゃない」とのことで、あんまり他人には言わないようにしているんだという。

「そうよ、せっかくの合宿だしって思ったけど……まあいいわ、どら焼きと羊羹でも」

 そう言うと、蒼はなんてことないどら焼きと、フィルム包装されたようかんを一つずつかごに入れた。

「どら焼きの気分じゃなかったのか」

「ま、そうね。もうちょっと練り切りとかそういう系統があると嬉しかったんだけど」

「それは普段のコンビニにも無いぞ」

 コンビニですら置いてないものを駅の売店に求めるのはどうかと思う。ほぼ間違いなく蒼の眠気も重症だ。

「ま、最悪郡山の乗換で買えばいいだろ」

 悠が言っていたエナジードリンクもカゴに突っ込んで会計を済ませる。

 駅を出て集合場所に戻ると、

「……くぅー……すぅー……」

「こいつ、立ったまま寝てやがる」

「器用なことするわね」

 悠が立ったまま寝ていた。害はないし、そのまま放置しておくか。

 そんな無益な時間を過ごしていると、一台の車が入ってきた。運転しているのはおばあさんで、後ろにはうちの制服を着た二人の女子が見える。あのサイズ感は砂橋さんかな?

「ん、多分砂橋さん来たな」

「車ね」

「蒼、まだ眠いな?」

 蒼の眠気で粗雑になった返答にツッコミを入れている間に、その車はロータリーに停まってドアが開いた。

 しばらくして、降りてきたのは見慣れた二人。

 砂橋さんと、ついでに狼谷さんだ。てっきり、寮住まいの狼谷さんは列車で来ると思ってたんだけど。

 それから砂橋さんは大きく、狼谷さんは小さく手を振りながらスーツケースをガラガラと引いて僕たちのもとへやってきた。

「おはよーお三方、ってどうしたのさ……二人は眠いです! って顔に書いてあるし一人は既に死んでるし……」

 早速哀れなものを見る目で見られている。哀れなのはあながち否定できないのが辛い。

「おはよう。三人とも、寝不足?」

 狼谷さんは相変わらずあまり表情を変えず聞いてきた。蒼は少し眠そうな笑顔で答える。

「おはよう結凪、氷湖。その通りよ」

「そんな自信満々に言われてもなあ……」

 そして、そんな蒼の返答に砂橋さんが胃の痛そうな引きつった笑顔を見せた。普段ツッコミ役の蒼にボケに回られると、ただでさえ崩壊気味のボケとツッコミのパワーバランスが終焉を迎えるぞ。

「おはよう狼谷さん、二人が一緒に来るなんて珍しいな」

 そんな悠と蒼に混ざると胃が痛くなりそうだから、狼谷さんに話を振ってみる。その質問に、狼谷さんは少しだけ嬉しそうな笑顔を見せた。

「ん。結凪の家の車で送ってもらった。一人なのを、心配してくれた」

「そっか。それなら何よりだ」

 どうやら砂橋さんが学校の寮に寄ってくれたらしい。本当にこの二人は仲良くなったなあ、と感慨深いものがある。

 電工研を追い出されたところで偶然出会って参加してくれることになったけど、あの時声を掛けて良かったと心から思える一瞬だ。

「おーっす」

 そんな雑談に花を咲かせていると、宏も改札のほうから歩いてきた。この時間だと僕たちが本来乗ろうと話していた列車で来たらしい。

「おはよう、ちゃんと間に合ったな」

「おうよ、魔剤がばっちり効いてるからな!」

「もしかしてだが、その魔剤はそこの弁慶の死体と関係あるか?」

 無造作に親指で悠を指さすと、宏はさながら下手なサスペンスドラマのワンシーンのように脈を取る。サメ映画でももうちょっとまともじゃないか?

「し、シンデル……!?」

 そして、感情が微塵も感じられない棒読みを披露した。

「もしかして声帯がテキスト読み上げソフトだったりする?」

「一文すら払いたくない芝居ね」

 蒼も見ていたんだろう、ツッコミに参戦してくる。砂橋さんと狼谷さんは買い出しに出かけたようだ。

 宏はそんな僕たちからの散々な評価に肩をすくめて笑って見せた。

「まあ、こいつと二時ぐらいまで通話してたのは事実だからな。寝不足ではあるけど、元気だぜ」

 ちょっと意外な報告に驚きだ。てっきりいつぞやの会議の時みたいに、二人で仲良く徹夜していたものだと思ってたんだけど。

「あら、二時には解散したのね。てっきり杉島君も徹夜だと思ったわ」

「ってことはこいつ、お前と通話終わった後も一人で起きてたのか」

「なんだ、悠は徹夜明けか。そんだけ楽しみにしてたんだな」

 立ったまま死んだように眠る悠を見て苦笑いをする宏。……いや、死んでないよな?

 こっそり脈を確認しようとした僕の耳元で、宏は小さく呟いた。

「悠、お前がこうやって合宿みたいなのに参加するのは越してきてから初めてかもしれねえって、昨日泣き出す勢いで喜んでたぜ」

「……そう、か。ありがとよ」

「おっと、オレが教えたのは内緒な」

「ああ、もちろん」

 なんだかんだ言って、友達思いなんだこいつは。

 ふと思い返されるのは、母さんを亡くしてからのこと。

 母さんを亡くしてから、今こうやってある程度立ち直れたのは蒼のおかげだ。でも、心が完全に壊れなかったのは悠のおかげも大きい。

 心がどこか欠けてしまったあの時の僕は、悠とゲームに没頭する時間に救われたところがあるのは否定できないよな。ゲームが好きなのは素なんだろうけど。

「……ありがとな、悠」

 夢の世界へと旅立っている悠に、小さく声をかけてやる。ついでに脈も測ってみたがちゃんと生きていた。

 ……あとは、もう少し生活態度が改善されれば言うことはないんだけどなあ。

「あと五分、ってとこかしらね」

 蒼の声で現実に引き戻される。駅前の時計は八時四十五分を示していた。買い出しに出ていた物理設計組二人も駅舎を出てきているのが見える。

「あとは道香だけか」

 乗る列車の時間は九時ちょうど。ちょっと余裕があるとはいえ、遅刻しないに越したことはない。

「そうね。あの子は遅刻しないと思うけど……って、噂をすればなんとやらね」

 蒼の目線の方に目をやると、遠くからスーツケースを引いて走ってくる女の子の姿が見える。

 それから一、二分、滑り込みセーフで道香が何とか駅前にたどり着いた。

「ぜぇ……はぁ……ひぃ……おは、よ、ございま、あおい、せんぱ、おに、ちゃ」

 大粒の汗を落としながら、息も絶え絶えに挨拶をする道香。

 集合場所に着いた時に何かしらの状態異常を抱えていなかったのは砂橋さんと狼谷さんだけだ。合宿はこれからなのに大丈夫かなあ。

「おはよう、なんとかセーフね。やるじゃない、今回も何とか時間通りに揃ったわね」

「わりと道香は時間に余裕を持って来る方だと思ってたけど、今日はどうしたの?」

「はぁ、はぁ……昨日、早めに寝たはいいんだけど、一つしか目覚まし掛けてなくって、はぁ、ひぃ」

「寝坊しかけた、と。危なかったな」

「本当に、九死に、一生を得た、よ……」

 部の中ではわりとしっかりしている道香だけど、珍しいこともあるらしい。

 目覚ましのセットを忘れるくらいに楽しみにしてくれていたとか、そういうことなのかな。

「道香ちゃんも来たし、じゃあ行きますか」

「そうね。新生コン部の夏合宿、始めましょう!」

「おおーっ!」

 蒼の掛け声に、立ったまま寝ている悠以外の六人の声が重なる。

 それから悠を文字通り叩き起こした僕たちは、電車に乗って郡山へと向かった。

 この間で記憶にあるのは、若松の駅に既に停まっていた電車に乗り込んで、ボックスシートに座っていた比較的元気組の砂橋さんと狼谷さん、道香が楽しそうにしおりを見返しはじめたところまで。

 反対側のボックスシートに押し込められた僕たち状態異常組は、気づいたら気を失っていた。

「……て、起きてお兄ちゃん! もう郡山に着いちゃうよっ」

「ん、んぇ?」

「ああっ寝ぼけてるお兄ちゃんはちょっとレア……じゃなくて、起きてってば!」

 道香の声と肩をばしばしと叩かれる衝撃で目が覚めたら、もう列車は郡山に着く直前。

 ようやく意識がはっきりしてきた僕は、まずは向かい合わせに座っている馬鹿二人の足を蹴っ飛ばして起こす。

「おーいお前ら、もう郡山だぞ。くあぁ」

「ん、んんー……椅子が硬くて腰が痛くなったな」

「ふあーあ、椅子があるだけマシだろ」

 さすがに物理的ダメージでの起床はできるらしい二人が覚醒したのを見て、蒼の肩をゆする。

「おーい、起きろ蒼」

「んぅ……もおちょっと……」

「もうちょっとも何もないんだけどなあ」

 そのまましばらくゆさゆさとゆすっていると、ようやくはっきりと覚醒してくれた。

「もう、着くの?」

「お、ようやくはっきりしてきたか。もう着くぞ」

 もう車掌さんの放送も終わって、電車の速度もだいぶ落ちてきている。

 それから、寝起きでもたもたと車両を降りる支度を整え終わるとほぼ同時にドアが開く。

「郡山、ね」

「ああ、感慨は特にないな」

「一週間前くらいに通ってるしね」

 特に大きな感慨もなく、僕たちは無事郡山へと到着した。先週の大会に向かうときと同じように乗換の通路を通ると、新幹線のホームに辿り着く。

「いやー、こんなに緊張しない新幹線があったんだね」

「そうですねえ、何しろ今までの二回の東京行きはどっちも部の存続が掛かってましたから」

「それに比べたら、とっても気楽でいい」

 三人の言葉の通り、一番大きい違いは気持ちだろう。

 先週までは血を吐くようなプレッシャーで新幹線に乗っていたけど、今回はそれが無い。単純に旅として移動を楽しむのなんて、いつぶりだろう。

 記憶のアルバムをぱらぱらと捲っても、ここ数年はほぼ間違いなく無い。

「ね、お兄ちゃん。部活って楽しいね」

 ちょっと物思いに耽っていると、いつのまにか道香が隣に寄り添うように立っていた。

「ん、おお、そうだな。仲間もいるし、やってみると楽しいもんだ」

 その前の文脈はわからなかったから、当たり障りなく返す。それでも道香には十分だったらしく、にっこりと笑ってくれた。

「お兄ちゃん、わたしを部活に誘ってくれてありがと」

「こっちこそ、道香が居てくれてよかったよ。道香の明るさに何回この部が救われてるか」

「そう言ってくれると、帰ってきた価値があったなあ、って思えるよ」

 幸せそうな、そして何かを慈しむような道香の笑顔は、改めて六年前とは似ても似つかない。

「……道香も、大人になったなあ」

「ふふっ、なんかそれ、おじさんくさいよお兄ちゃん」

 そんな道香の指摘に軽くダメージを受けながら、新幹線がやってくるのをみんなで待った。

 やってきた新幹線に乗ってからは、悠と宏、僕と蒼、そして比較的元気組三人で座る。案の定、東北新幹線の記憶もない。相変わらず元気組三人はトランプか何かをやっていたみたいだけど、僕はといえばあっという間に睡魔に意識を刈られていた。

 気づいたら大宮手前で今度は蒼に起こされる。

「シュウ、もう大宮に着くわよ」

「ふぁ、もう大宮か……って、すまん。肩借りちゃってたみたいで」

 気づいたら、蒼の頭に頭を預けるようにして寝てしまっていたらしい。なんだか恥ずかしいな。

「気にしなくていいわ……あふ、私もついさっき結凪に起こされるまで寝てたし」

「おはようお二人さん、そろそろ準備しないとだよ。乗り継ぎの時間も短いし」

 そんな寝起きトークをしていると、隣から砂橋さんの声が届く。

「ふふふ、二人ともよく寝てたね」

「仕方ないでしょ……くぁ、眠いものは眠いのよ。だいぶすっきりはしてきたけど」

「そんな蒼にはいいものを送ってあげるよ」

「いいもの?」

「まあまあ、見てみなって」

 にやにやと笑う砂橋さんがスマホを操作すると、蒼も携帯を取り出した。どうやら何かデータを送ったらしい。

 数秒後、蒼の顔は爆発的に赤くなった。

「ちょっ、あんた何してんのよっ」

「これも思い出でしょ? にひひっ」

「なんだ、何をもらったんだ? 蒼」

「シュウにはだめっ、絶対見せないからっ」

 そう言ってスマホをポケットにしまう蒼。砂橋さんは一体何を送ったんだろうか。

 追撃しようと思ったけど、そのタイミングで乗り換える駅に着く放送が流れ始めてしまった。

「あっ、ほら、もう着いちゃうわ! 早く準備しないと」

「そうだな。ほら起きろお前らっ、乗換だぞ」

 ちょっと残念な気はするけど、無理やり聞き出すほどのことでもないか。

 後ろで爆睡している二人を起こすと、荷棚に上げておいた荷物を降ろして準備を整える。

「なんかこう、都会だなあって感想しか沸かないよな」

「都会成分に圧倒されちまってな」

「いつ見ても凄いですよね、この駅の大きさとか」

 大宮の駅に降り立った僕たちは、都会に来た感慨を味わうのもそこそこに乗換だ。

 この部は七人だけど、乗り換えた後の北陸新幹線は三人席と二人席が二つじゃなくて三人席を前後と一席、って指定席になっていた。

その一席を素早く確保した悠は、

「じゃ、高崎で起こしてくれ」

とだけ言って即入眠の体制に入る。徹夜なんてするからだぞ。

「……柳洞先輩、即寝でしたね」

「ま、どっちにしろ一席外れちゃってたし仕方ないわ。寝かせておいてあげましょ」

「んじゃー、アタシたちは遊んじゃいますか」

残りはみんな起きていたから、こういう場ならではのアナログゲームに勤しむことにした。

「はい狼谷さんUN〇って言ってないー、二枚な二枚」

「……よく見てる。ぬかった」

 宏の発言の治安は、いつものゲームの癖でどんどん悪くなっていく。

「はいアタシあっがりー! へっへっへ、言うほどでもないねみんな。ざーこざーこ」

「くっそ、次こそ理解らせてやるっ……」

「砂橋先輩、夜道には気を付けたほうがいいですよ?」

 さらには砂橋さんまで調子に乗って煽り始めるもんだから、収拾なんてつくはずもない。

「ほら、次はシュウよ?」

「くっ、じゃあこれで!」

「わあーっ、なんでドローツーなんて出すんですかあっ!」

 それでも、みんなで過ごす時間はとても楽しいと思えた。

 煽り煽られ、楽しく新幹線車内の時間は過ぎていき。気が付くと、新幹線が高崎に到着する自動放送が流れ始めていた。

「っと、もう高崎ね」

「ああ、早いもんだな。ほら降りるぞ、片づけて片づけて」

「くぅーっ勝ち逃げかよっ」

「へっへー、敗北者め」

 ちなみに勝負は砂橋さんが一位。そんなに勝負強いとは思っていなかったけど、意外と勝負師の才能があるらしい。二位は狼谷さんだ。ポーカーフェイスは有利だよなあ。

「ううぅ、だめですぅ……勝てませんでしたぁ」

「道香は表情に出やすすぎよ……」

 一方の最下位は道香だった。蒼の言う通り、素直に表情に出る美点が仇となっていたのは言うまでもない。

「おら、起きろ悠! もう高崎だぞ」

「うー、了解」

「っと。荷物はこれで全部か?」

「えーっと、そうだな。漏れてないはず」

 それから宏を叩き起こし、男どもで荷棚から荷物を降ろして、忘れ物がないかを確認してから新幹線を降りる。

「つい、たぁーっ!」

 ついに辿り着いたのは高崎駅。

 砂橋さんが大きく伸びをした。かれこれ三時間と少しの旅程だけど、移動疲れといよいよ合宿が始まるというというテンションの合わせ技で、深夜テンションに近い感覚だ。

「うぇ、あっついです……」

「それを言うんじゃない、意識するともっと暑くなる……」

 そして次に感じたのは熱。夏の真っ昼間、天気は晴れとくれば、当然地獄のような暑さだ。若松のように綺麗な盆地ではないとはいえ、三方を山に囲まれているから当然か。

「でも、なんか修学旅行みたいで楽しかったな」

「三分の二を寝て過ごしてたのを除けばな」

「まあ、これから企業さんに見てもらうわけだから寝不足なまま行くわけにはいかないだろうよ」

 悠と宏はご不満気味だが、自業自得なのは言うまでもない。それでも、この雰囲気を楽しんでいてくれるのは間違いなさそうだ。

「さて、ここからの移動はタクシーよ」

「ごめんね、ちょっとこのタイミングだけ都合つかなかったみたいで。帰りと明日からは送迎してくれるって」

「もはや、VIP待遇」

「ですね、ちょっと緊張してきちゃいます」

 一般高校生である僕たちがタクシーに乗る機会なんてそう多くないから、少しだけ緊張してしまう。なんか特別な感じがするよな。

「じゃ、蒼と弘治くんも頼んだよ。場所はNEMCエレクトロニクス高崎事業所の正門だからね」

「二人とも、領収書もらい忘れないでね。自腹になるわよ」

「おうよ、気を付けるわ」

 タクシー乗り場に辿り着くと、三台に別れて乗車。

 男三人でどうでもいい雑談に興じながらタクシーに揺られること十五分ほど、僕たちを乗せたタクシーは大きな門の前で停まった。

 お金を払って領収書を貰うと、灼熱の外界へ踏み出す。そこには、大きな建物が建ち並ぶまさに工場、といった風景が広がっていた。

「ここが、NEMCエレの高崎事業所……」

 ほぼ同時に着いていた狼谷さんも、門にある大きな社名板を見て感嘆の息を漏らしている。

「四日間お世話になるんだもんな、ここに」

「ちょっと楽しみだな、こういうところって見学も出来ないし」

 宏も乗り気だ。蒼を目で探すと、ちょっと離れて写真を撮っている。活動報告か何かに使う用かな。

 数十秒くらい遅れて着いた最後のタクシーから砂橋さんと道香が降りると、いよいよ全員が到着だ。

「おまたせ、じゃあ行こっか。ここからはアタシが案内するね」

 そう言って先導する砂橋さんに従って、僕たちは歩き始める。

 といってもまずは、すぐ近くにある守衛室に向かうことからスタート。

「すみません、若松科学技術高校、電子計算機技術部の砂橋と申しますが、入館手続きはこちらで大丈夫でしょうか?」

 砂橋さんが敬語でやりとりしているのを見ると、なんだか不思議な気分だ。先輩も今のこの部活にはいないし、大体は崩した言葉でツッコミを入れているイメージしかない。

 そんな感想を抱きながら、砂橋さんの言われるがままに書類に名前を書くと首掛けの入館証を受け取った。

「ではどうぞ、お入りください」

「えーっと、第一棟って言ったよね。真正面のこれか」

「どれどれ……ん、そうっぽいわね」

 入館証と一緒に貰った地図を眺めながら敷地の中を進む。幸い、砂橋さんの言う通り真正面の建物だったから迷う心配もない。

 ガラス張りの大きなビルに入ると、中は冷房が効いていて快適だった。

「おお、これは綺麗だな」

「高級感がある」

「空港みたいですっ」

 入ってすぐの所に広がっていたのは、大きなソファーのある玄関。

 道香の言う通り、ガラス張りと吹き抜けの高い天井も相まってテレビで見た空港みたいだ。

 そして、その玄関の先。

「おおー、こっちは駅かな?」

「これがさっきの守衛さんの言っていたゲートね。本当に駅の自動改札みたいだわ」

 実際の会社としてのスペースの方には、自動改札のようなゲートが並んでいる。

 僕たちが行くべき会議室は、フロアマップを見る限りだとこのゲートの先にあるらしい。貰った入館証をかざして中に入ると、いよいよ緊張が高まってきた。

「ちょっと、緊張」

「氷湖も緊張してる……よね。実はアタシもちょっと」

「結凪は来た事あったりするんじゃないの?」

「それが無いんだよ」

 壁のサインに沿って、逸る鼓動を抑えながら辿り着いた部屋。

「失礼しまーす……およ、誰もいない」

「確かに、予定よりちょっと早く着いちゃったものね」

 無人だったその部屋は、ちょうどうちの部室のA会議室くらいの大きさの会議室だった。大体十五人とかそこらで一杯になるサイズだ。

「ちょっとなじみのあるサイズだな」

「だな。無駄に広いより落ち着いていいや」

 ずっと立ちっぱなしというわけにもいかないから、持ってきたみんなの荷物を隅に寄せて、とりあえず用意されていた椅子に座ってみる。

 そうすると、いよいよ緊張は最高潮だ。

「こういう時、何すればいいんだろうな」

「ああ、緊張で震えてきた」

「どうするよ、鬼のように怖い人が出てきたら」

「逃げ帰るか……」

「ちょっと、敵前逃亡は死罪だかんね」

「軍隊になっちゃったかぁ」

「背中には気を付けたほうがいいですよ、先輩方」

「よりにもよって処刑じゃなくてチームキルかよ」

 あまりの緊張にとりとめのない話をしていると、がちゃり、とドアノブのひねられる音。脊髄反射で起立して気を付けの体制になる。

 それからドアを開けて入ってきたのは、NEMCのロゴが入ったポロシャツを身にまとった老紳士、と言った見立ての社員さんだった。

「えっ……」

「お、揃っとるね。時間通りで何より」

 その声だけで老練な方だと判るような、渋い良い声が会議室に響く。

 正しいリアクションが分からず固まる僕たちだけど、真ん中で立っていた砂橋さんだけは開いた口が塞がらないといった様相で――

「……えええええぇぇぇぇっ、お爺ちゃん!? 来るって言ってなかったのに、どうして!?」

 次に聞こえたのは、砂橋さんの叫び声だった。驚きに目を白黒させている砂橋さんを見て、その老紳士――いや、砂橋さんのおじいさんはにっこりと笑った。

「そりゃ言ってなかったからな。サプライズって奴だ」

「えっ、ちょっ、うえぇっ」

「はっはっは、相変わらず元気そうだな結凪」

「……結凪の、御爺様?」

「えーっと、紹介します……アタシの祖父の砂橋和重すなはしかずしげです……」

 ずーん、という擬音が聞こえてきそうな砂橋さんのうなだれ方。それを見て、砂橋さんのお爺さんはまたはっはっは、と笑った。

「どうも、結凪の祖父、砂橋和重すなはしかずしげという。今回の合宿の面倒を見ることになってるから、よろしくな。皆は、ここまでの道中はどうだった?」

「は、はいっ、楽しく過ごさせて頂きました」

「そうかそうか、それは何よりだ。せっかくの合宿なのだからな」

「でも、どうしてここに砂橋さんのお爺さんが?」

 悠の質問はもっともだ。だけど、砂橋さんのコネと言っていたこと、NEMCのポロシャツを着ていること、そして何より明らかに本物の社員証が掛かっていることを考えると――答えの選択肢はあまり多くないよな。

 いくつかの選択肢を脳裏に浮かべていると、ドアが開いてもう一人、別の人が入ってきた。四十代か五十代くらいかな、眼鏡を掛けた理知的な男性、といった感じに見える。

「ちょっと砂橋チ……相談役、探しましたよ」

 だけど、その口から紡がれたのは存外フランクな言葉。砂橋さんのお爺さんとは旧知の仲みたいだ。

「おっと失礼。あと俺のことはチーフで構わないと、前も言ったのに」

「あはは、ついつい他人に話すときの癖が……」

 目の前で繰り広げられる軽い会話と、そこで投下されたえらい情報に目をしばたかせた。

「今、相談役って言ったよな?」

「もしかして砂橋祖父って、NEMCエレの相談役?」

 隣の悠と小声で聞き間違いでないことを確認する。どうやら間違いではないらしい。

 企業の相談役といえば、一線を退いたトップランナーが就く役職だ。ドラマとかで見たことがある、めちゃめちゃ、がつく重役だ。

「まったく、雪稜所長って呼ぶぞ」

「やめてくださいよ、先生だった人にそう言われると背中が痒くなります」

 そんな情報共有をしている間に、二人の話はひと段落したようだ。

 ……所長?

「あっ、えっ、雪稜ゆきかどさん!? 今はここにいらっしゃったんですね」

 どうやら砂橋さんはこちらの人ともお知り合いらしい。雪稜さん、というようだ。

「久しぶりだね結凪ちゃん。元気にしてた?」

「はい、もちろんです。雪稜さんもお元気そうで」

「はっはっは、海の次は山の配属になってしまってね。でも、元気にやらせてもらっているよ」

 突然始まった旧友のような話に、僕たちはぽかんと置いて行かれてしまう。その雰囲気を感じ取ったんだろう、雪稜さん、と呼ばれた男性はこちらへ向き直って笑顔を浮かべた。

「おっと失礼しました。ようこそ皆さん、NEMC高崎事業所へ。私はここの事業所の所長をしています、雪稜俊樹ゆきかど しゅんきといいます」

 理知的な男性だと感じるのも当然だ、まさかのこの事業所の所長さんだった。なんと、NEMCエレクトロニクスの超が付くお偉いさん二人がここにいることになる。

「そして、ご存知かもしれませんがこちらが砂橋相談役です」

「改めて、砂橋 和重、元NEMCエレクトロニクスの主任技師だ。ここには砂橋が二人いるからな、和重と名前の方で呼んでもらって構わない。よろしく頼む」

「しょ、所長さんに主任技師さんまで……こちらこそお招き頂きありがとうございます、若松科学技術高等学校電子計算機技術部、部長の早瀬蒼です。急なお話をお受けいただき、ありがとうございました」

 さすがの蒼も緊張してるんだろう、カチコチになりながら返事をすると、雪稜所長は笑顔を見せた。

「いえいえ、いいんですよ。さて、皆さんまずはこちらの記入をお願いできますか?」

 そう言って配られたのは、どこかで見たことのある書類。

「機密保持契約書……?」

「はい、皆様には今回のOJTにて弊社の機密に触れることもあると思いますので。念のためではありますが、ご記入いただければと」

 ぺらぺらと捲って読んでいくと、概ね見たことある文面だった。もしかしたらあの文面もJCRAのテンプレのようなものがあるのかもしれない。

 特に問題も無い内容だったからサクッとサインを済ませて蒼に渡すと、蒼が全員分まとめて雪稜所長に渡した。

 所長はぱらぱらと確認をすると、満足そうに頷く。

「はい、これで問題ありません。ご記入ありがとうございます」

「だはは、そんなに怖気づく必要はないぞ。さて、では今日からのOJTだが――」

「チーフ、ちょっと! 私からも一人紹介があるって言ったじゃないですか」

「おーっと、そうだったそうだった」

「……バタバタしているところをお見せしましたね。実は今回、もう一人一緒に研修を受けてもらおうと思っている人が居るんです」

「もう一人、ですか?」

珪子けいこ、入っておいで」

 所長さんの呼ぶ声とともに、一人の女の子が入ってきた。見たことのない制服を着ているから、どうやらこっちの学校の子らしい。

 力が入りまくって固くなってしまっている表情と動きから、えらく緊張しているのが伝わってくる。

「えっ……」

 一方、砂橋さんはその姿を見てビキリと固まった。

 そして、その子は砂橋さんを見るとさっきまでの緊張のまま、まるで――値踏みをするような、少し冷たい表情に変わる。

「お久しぶりです、『結凪先輩』」

「え、えええええええええええっ!?」

 本日二回目の砂橋さんの叫びが、会議室に響いた。

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