この超能力、いくらで買いますか?

梅枝

発火【パイロキネシス】

「わけあって1週間だけ「発火パイロキネシス」が使えるようになりました。この能力をあなたに買っていただきたいんです」 


 たった2人しかいない教室。教卓に頬杖つきながら座る彼女に向けて言った。俺の手の先には、野球ボールほどの炎の塊が煌めきながら宙を浮いている。

 

 先程まで饒舌に語られていた彼女の口は無防備にポカンと開き、無関心を装っていた瞳はキラキラと輝き、紅い炎に釘付けになっている。まるで初めて手品を見た純真無垢な少女のようだ。


 だが、俺は手品師ではない。タネも仕掛けも無い、正真正銘のなのだ。……期間限定だけど。


 言葉を失くした彼女が再び声を取り戻すまで、暫し待とう。その間、俺はここに至るまでのことを思い返す。


◇◆◇◆


 春。桜も散り切り、大学構内を迷う新入生の姿も見れなくなった頃合い。構内のど真ん中に建つ総合棟の前に、俺は立っていた。


 心地良い春風が身を包む。しかし俺は陰鬱とした深いため息をこぼし、スマホを見つめる。微かに手が震えているのが自分でもわかった。


 大学入試の時より緊張している。ある人物にしに来ただけなのに。


「それにしても、ただの都市伝説――いや、大学伝説じゃなかったのか」


 ここ国立○✕大学に広まる2つの噂を思い返す。


 1つ目は「金に困ったら八意やごころ蛭子ひるこに相談せよ」。

 2つ目は「八意蛭子には関わるな」。


 ……とにかく、八意蛭子って人がいわく付きであることは確かだ。


 同じ学科に通う友人から初めてこの話を聞いた時には、自分には関係ないことだとたか・・をくくっていた。そんな奴に頼るほど金に困ることはないだろう、と。


 まさかこんなことになるとは、当時は思いもしなかった。


 失敬、名乗り遅れた。俺の名前は安達あだち磨智まさと。国立○✕大学工学部情報工学科に通う大学生2年生。歳は21。身長も体重も顔面偏差値も、全てが平均的などこにでもいるの大学生だ。趣味は――。


 などと、自分語りをしている暇はない。約束の時間までもう15分を切った。


「遅れたらどんな目に遭うことか……。時間、まだ大丈夫だよな?」


 スマホのメールアプリを起動し、一通のメールを開く。メールにはこう記載されている。


『件名:Re:Re:ご相談させてください

 本文:安達あだち磨智まさと様 ご連絡頂いた相談について、5月13日 10時〜 国立○✕大学 総合棟306号室で伺います。お気をつけてお越し下さい。』


 そして、送信者欄には


『送信者:八意やごころ蛭子ひるこ


 と、書かれている。何度見直してもその名は変わらず、約束の場所はここで、日時は間違いなく今日この時間である。


 そう、俺はあろう事か噂の人物と会う約束をしてしまったのだ。約束の時間、約束の場所の前で、恥ずかしくも怖気づいて右往左往していたのだ。こうして状況説明しているのも、実はビビって足が前に動かないからである。


 しかし、もう本当に時間がない。あと10分で約束の時間だ。

 

「……ええいままよ。こうしている時間も勿体ない。家族の為だ、頑張るぞ、俺!」


 意を決し(ヤケクソとも言う)、俺は総合棟へと足を踏み入れた。


 総合棟の自動ドアが開かれ、広いラウンジに出る。広間には椅子やテーブルが置かれているが誰も使っていない様子。


 普段は工学部用の棟で授業を受けているため、総合棟への馴染みが薄い。そのため階段のある場所すらよく知らない。


 「階段は……あっちか」


 ラウンジ横に貼られた構内図を見て階段の位置を把握。ここから左手に進むと階段があるらしい。306号室の場所も確認。3階の一番奥の部屋らしい。さっそく階段へ向かう。


 途中、階段でスーツ姿の男とすれ違った。基本的に私服の大学生が多いが、たまにスーツ姿の人も学食とかで見かける。教授達に会いに来た企業の人間だろうか? ま、今はそんなことどうでもいいか。


 階段を上がり3階へ到着。そのまま廊下を突き進む。誰ともすれ違わず、通り過ぎていく教室を横見に進む。301号室、302号室、303号室……どの部屋も使われておらず、無人だ。時間帯的には授業があってもおかしくはないのだが、やはり総合棟はあまり使用されていないみたいだ。

 

 突き当りである306号室が見えてきた。……ついでに、教室の前に2人の生徒らしき人物が立っていることに気づいた。金髪の不良っぽい見た目の男女は教室前の窓辺に立ち、外を見ながら駄弁っている。


 普段ならカップルを見れば妬ましい気持ちが沸いてきたものだが、今はその感情もない。ただただ「この場から離れてくれないか」と思うだけだ。正直、教室の前に居られると困る。立ち聞きされたくない相談事が、これから教室で行われるのだから。


 願い虚しく、カップルは窓辺から離れず、俺は教室前に到着してしまった。こんな如何にも不良そうな人達に「どこかに行ってくれませんか?」などと言えるはずもなく……。


(ええい、ままよ!)


 不良カップルに因縁をつけられても困る。俺はさっさと教室の扉を開き、中に入った。。扉をくぐりながら、ノックもせずに入ったことを激しく後悔していた。後ろ手に扉をしめ、恐る恐る教室内を見渡す。


 いたって普通の教室。奥の壁一面にホワイトボードがあり、その正面に教壇と教卓、そして生徒用の机と椅子が何列も並ぶ。俺が開けた扉は教壇と反対側だった。


 部屋の灯りもついているが、生徒達が座る机には誰も座っていない。一瞬、誰も居ないかと思ったが――教卓の奥に誰かが座っていた。


「あ……えーっと……」


 勢いで教室に入ってしまったせいで、発する言葉を準備しそこねた。


 俺が手をこまねいていると、教卓に座っていた人が立ち上がった。


 肩までの長さの黒髪ワンレン。切れ長の瞳、鼻筋もスッと通り、「これぞ美女」という感じ。だが、何故か目と口は常にニヤけている。漂う妖しげな雰囲気から、「笑顔」ではなく、「ニヤケ顔」が正しい表現だろう。細めた瞳とその雰囲気が相まって狐を彷彿とさせる。


 歳は俺より少し上の二十代半ばといったところか。服装は白のロングシャツと黒のパンツ。キャリアウーマンのような固いイメージの服装だが、やはりその柔和な表情が印象全てを柔らかくしている。


 一瞬、なぜここに来たのか忘れてしまった。噂の人物に会いに来たのに、こんなOL風美女が目の前に現れるとは。就職活動中の生徒か?


「やぁ、こんにちは」


 やや混乱していたが、その透き通った声で目が冷めた。うん、たぶん俺は教室を間違えたのだろう。緊張が未だに解けず、上擦った声で返答する。


「こ、こんにちは。すみません、なんだか教室を間違えちゃったみたいで。アハハ、すぐに出て行きま――」


安達あだち磨智まさとさんですか?」


 退室しようと扉に手を掛けた時、その言葉で俺は止まった。何故、俺の名を? まさか――


「あ、あなたが八意やごころ蛭子ひるこ! ……さん?」


 彼女はコクリと頷く。


 電流走るとはこのこと。こんな麗人が、まさか件の人だとは! 「蛭子」という名前的におどろおどろしく、噂的に金の亡者のイメージ。暗い部屋で札束数えながらニヤニヤ笑ってそうな、陰湿な人だと決めつけていたが、まったくの真逆だ。カフェのガーデンテーブルで優雅にキーボードを打ち込んでいる姿が用意に想像できる風体だ。


 よほど俺は驚いていたのか、彼女は俺の顔を見てクククと笑う。


「まぁ、大抵の人は私を見て驚くよ。まさかこんな美女だったとは! ってね。名前が蛭子ひるこだもんね。蛭だなんて……親もよくこんな名前つけたもんだよ。そう思わない?」


 自身を美女と言えてしまう人らしい。身振り手ぶりもまるで宝塚歌劇団のように激しく、セリフも妙に言い慣れた様子。自虐的なことを言いつつも、悲観している様子は一切見えない。……無駄な気もするが、初対面だしフォローしておこう。


「い、いや、良い名前だと思いますよ。「えびす」とも読めますし、縁起の良い名前だと思います。――さっそく、例の件についてですが……」


 と、俺が彼女に歩み寄ろうとした時、彼女は手を突き出し俺を制する。


「待って。その前に確認を。メールでも伝えたとおり、スマホ以外の電子機器は持ってきてない?」


「あ、はい」


「では、スマホをそちらの箱に。そうそう、財布もね」


 そう言って彼女が指差す先は、入ってきた扉のすぐ横。床に小さな黒い箱が置かれていた。どうやらこれにスマホと財布入れれば良いらしい。特に断る理由もないので従う。


 金属性の箱の上蓋を持ち上げる。思っていた以上に重い。分厚い鉄板で作られているようだ。なるほど、電波を完全に遮断したいのか。やけに警戒しているんだなと思いつつも、スマホと財布を入れ、箱を閉じる。今度こそ歩み寄ろうとするとまた止められた。


「待って、まだ確認がしたい。……うーん、もうちょっと後ろに下がって、右に2歩ほど歩いてくれない?」


 言われるがままに後退、2歩右に歩く。教室の一番後ろの真ん中辺りに立った。ちょうど教壇に立つ彼女と真正面で向かい会う形だ。


 まだ何か命令があるのかと待っていると、彼女はスマホを操作している。そして小さく首をかしげる。


「角度がいまいちだけど、まぁいいや。――うん? ズボンの右ポケットにあるのは、何かな?」


 右ポケット? 手を突っ込み確認すると100円硬化が出てきた。ラッキー! ……って、ん?


「なんでポケットに100円があるって分かっ――」


「それも箱に入れて」


「あ、はい」


 疑問符を抱えながら黒い箱に100円を入れる。そして、言われるまでもなく元の位置に戻った。


「ありがとう。……うん、他は大丈夫そうね。さて、次はあなたがここに来た目的と経緯を確認させてくれるかな?」


 教壇に立つ彼女は教師の如く俺に問いかけた。


 100円硬貨についての疑問が残ったままだが、ひとまず逆らわないほうが賢明と判断。しかし、目的や経緯はメールで既に伝えている。口頭で再確認することで意志の強さでも見極めたいのだろうか。それは別に構わないが……廊下にいるカップルにこの話を聞かれたくない。それは彼女も同じなのでは?


「あの、できれば廊下の人達がどこかに行ってからの方が……」


「大丈夫。あの子達、私の部下だから」


「え」


 その瞬間、俺が入ってきた教室の後ろの扉と、教壇側の扉が少し開いた。そして、チラリと何かが伸びてきた。手だ。それぞれ何か握っている。


 教壇側の扉から伸びた手には鉛色のメリケンサック。

 後ろの扉から伸びた手にはスタンガン。


 ……こんな物騒な物、漫画やドラマでしか見たことないぞ! バヂヂッとスタンガンが放電すると、俺は情けなくも「ヒッ」と声を漏らしてしまった。


「怖いもの見たさや冷やかしで来る連中ならまだしも、私に危害を加えようとする連中もいるからね。そういう連中から身を護るボディーガードさ。で、話を戻しましょう。あなたがここに来た理由と経緯を教えてくれるかな?」


 これは……言葉の選択を誤れば、取り返しのつかないことになりそうだ。なるだけ丁寧な説明を始める。


「目的は単純に、金が必要なんです。理由は――先日、父が亡くなりました。その後、父が大量の借金を抱えていることが発覚しまして、母がその肩代わりすることになりました。母には金を工面するツテもなく、息子の俺がなんとかしなきゃいけないんです。で、『金に困ったら八意さんに相談せよ』という噂を聞きました。金儲けの方法を教えてくれると聞いています。だから、噂に詳しい友人からあなたのメールアドレスを聞き、連絡しました」


 そう、例の噂話の真相はいたってシンプル。彼女が「金儲けに関するアドバイス」をしてくれる、ということだけだ。彼女は謂わば「金儲けのコンサルタント」なのだ。


 無論、タダでは教えてもらえないことは2つ目の噂が警告している。そもそもそんな美味しい話が世の中にあるはずもない。それなりの代償が必要なのだろう。事実、彼女に関わった人の中には消息を断つ者もいるとか、いないとか……。


 俺が少し早口で話をしている間、彼女はスマホの画面と俺の顔を交互に見ていた。人がこんな悲しい身の上話をしているのに、ちょっと失礼じゃなかろうか?

 

 彼女は頷いてから顔を上げた。


「はい、ありがとう。うん、調の内容とも相違ないし、特に問題なさそうだね。ちなみに気になったんだけど、お母様は相続放棄は考えなかったのかな?」


 事前調査? メールでのやりとりのことだろうか。文言に少しひっかかりつつも、その質問は想定内だったのですぐに答える。


「相続放棄すると、家まで手放す必要があります。あの家は俺達家族の思い出が詰まってるので……そう簡単には手放せません」


 ろくでもない父だったことが分かったが、それでも家族は家族。父を失った今、金には変えられない大切な思い出までも失いたくないのだ。うーむ、これぞ家族愛。彼女も胸打たれただろうか。この後の話がスムーズに進む手助けになればいいが。


 そんな俺の思いとは裏腹に、彼女はため息混じりで頷いた。


「あ、そう。分かりました」


 眉間に軽くしわを寄せ、喉に魚の骨でも引っかかったような不愉快そうな表情。理解はしたけど、納得できてない感じ。


「もう席についてもいいよ。私も座るので。……2人ももういいよー。普通の相談者みたい」


 そう言って彼女は教卓の後ろの椅子に座る。同時に教室前後の扉がピシャリと閉まった。


 ひとまず危機は去ったらしい。ホッと一息つき、俺は一番後ろの机に着く。


 また彼女はスマホをいじりながら言う。


「なるほどねぇ〜。5000万円だっけ? まぁ返せない額でもないか。あんなに可愛い妹さんに、苦労はかけさせたくないもんね。JKには青春を謳歌してもらいたいもんだ。いやぁ、長男は大変だねぇ」


 俺は深く頷く。……って、あれ? メールでは借金の額や父と母については伝えていたが、妹の存在は伝えていないはず。まさか、事前調査って……。


 俺が言葉をなくしていると、それを気遣ったのか彼女は頬杖付きながら優しく提案する。


「そういえばこちらが質問するばかりだったね。何か聞いておきたいことはあるかな? なぁに、気負わなくてもいいさ、商談前のただの雑談さ」


 柔和な笑顔を向けるが、出口を塞がれ個人情報を調べ尽くされたことが発覚した今、その笑顔は恐怖でしかない。


 彼女は優しそうな瞳で俺の顔色を伺っているが、それが逆に恐ろしい。この沈黙も耐えられそうにない。気を紛らわすためにも、何か質問しなければ。


「そ、それにしても、噂は本当だったんですね。参考までに、今までどんなことをされてきたんですか?」


 ついて出たとりとめもない質問。しかし彼女は淡々と答えてくれた。


「そうだねー……その人の「覚悟」や「能力」に応じて提案しているから、内容は千差万別なんだよね。例えば、飲食店の経営とか、売れないオカルト雑誌を扱う会社への経営方針の是正とか?」


 なるほど。思っていたより健全だった。もっと法律ギリギリ、もしくは違法なものを提案しているのかと思ってた。


「そうそう、噂と言えばもう1つの方は聞いていないのかい?」


 ギクリとした。「八意蛭子には関わるな」だ。本人を前に言いづらいな。


「いやー…知らないッスね」


 頭を掻きながらそう答えると彼女はまたしてもクククと笑う。


「君、嘘つくの下手だね。気を遣わなくてもいいよ。「八意蛭子には関わるな」でしょ。なにを隠そう、この2つの噂流したの、私なんだよね。この噂のおかげである程度「覚悟」した人しか来なくなるんだ」


 嘘を見抜かれドッと脂汗が全身から噴き出すのを感じた。昔から嘘をつくのは苦手だったが、やはり見抜かれてしまった。


「ま、結果的には正しい噂ではあるけどね。既に知ってるかも知れないが、私も無料で稼ぎ方を教えるわけじゃあない。提案した方法で稼いだを発案料として頂いていく、ってわけさ。つまり、依頼者が稼ぎ続ける限り、私への支払いが発生するのさ。いやぁ、我ながら良い小遣い稼ぎだなぁ」


 クククと笑う彼女に合わせ、俺はハハハと愛想笑いをする。


 実に恐ろしいシステムだ。彼女は「小遣い稼ぎ」と言うが、立派なビジネスではないか。仮に相談者が失敗しても彼女に不利益はなく、成功し続ければ彼女に延々と利益が舞い込む、と。


 なるほどたしかに「八意蛭子には関わるな」というのは正しい。ともすれば今後一生、彼女に付き纏われることになるだから。


 愛想笑いが続く中、彼女はポツリと独り言のように呟いた。


「成功した者の中には支払いを渋る奴もいるけど……そういう奴らは消えてしまうから、君も気をつけてね」


 やっぱりこの人、怖ー……。


 既に手遅れ感はあるが、この部屋に入ってからずっと彼女の手のひらの上で踊らされている気分だ。今後の人生もそうなるのかと予感させられる。


 無駄な抵抗だとは思うが、話題を変えよう。


「あ、あと、大学の構内でやるとは思っていませんでした。てっきり駅前のビルとかを1室構えているものかなと思ってました」


 彼女はやはり笑って答える。


「わざわざ借りるのも勿体ないしね。たまたま学長とになったから、この1室を無料で使わせてもらっているんだよ」


 なるほど。「学長と仲良し」という点が妙にきな臭いが。聞くと闇が深そうなのでこれ以上深入りしないことにした。


「それに、さっきも昔の相談者と久しぶりに会ったんだけど、大学とは無関係な人もここは来やすいんだよ。私服だろうがスーツだろうが、あんまり不審者として見られないのが大学の良いところだよね」


 ふふん、と彼女は少し自慢気に部屋を見渡す。


 言われ、思い出す。たしかに先程、廊下でスーツ姿の男とすれ違ったが、俺と同じ相談者だったのか。大学とは無関係の人間とは微塵も思わなかった。なるほど、確かにここは色んな人と会うには合理的な場所なのだろう。


 少しずつここに来るまでに抱えていた疑問点が晴れてきた。あとは、部屋に入ってからのことだ。


「あの、さっき100円がポケットに入ってたのって、なんで分かったんですか?」


「あら、金属探知機ってご存知ない? 空港の荷物検査とかあるでしょ? 君が立っていた所にそれがあったからさ」


 答えてもらったのにますます意味が分からなくなった。なんの冗談かと苦笑すると、彼女は俺が先程まで立っていた場所の天井を指差す。振り返り、天井を見ると――


「いやいや……え、まじか」


 確かに天井部に箱型の何かが付いている。プロジェクターかと思っていたが、レンズも付いていない。それに、注意して見ないと気付けないが、床もそこだけ他と作りが違う。


「な、なんでこんな所に……!? 総合棟ってこんな進化して――るわけないよな……」


 金属探知機がある教室なんてあるものか。振り返り彼女を見ると、ニタリと笑っていた。


「言っただろう? 学長とは仲良しでね。ちょこーっとこの部屋のインテリアを弄らせてもらったのさ」


「インテリアってレベルですか!?」


 思わず大きな声が出てしまった。彼女はまたスマホを見始める。 


「さ、そろそろ雑談も終わりにして、本題に入りましょ。安達さん、あなたが求めるのは5000万円でよろしいですか? どうせなら1億ほど稼ぎたいとか思ってません?」


 いきなり本題が始まり、俺は少し窮した。場を制するのが上手い人だ。精神的優位に立ったのを確認してから本題に入るとは。


 揺れる思いの中、俺は首を横に振って答える。


「いや、1億だなんて……必要なのは父の借金分の5000万円だけです」


「……ふぅん、なるほど」


 つまらなさそうに彼女は頷く。


「じゃあ次に、あなたは何を提供できますか? 具体的には「時間」「肉体」「情報」のうち、どれを提供できますか?」


 なかなかシビアな質問になってきた。流石に彼女の顔からはニヤけた表情がなくなっていた。そりゃそうか、雑談は既に立派な商談へと変わっている。俺が提供できるもの、か……。


「「時間」は提供できないです。借金返済の期日は迫ってますし、どこかで長期の借り入れをしても利息で苦しむのは目に見えています。なので、短時間で稼ぎたいです」


 頷く彼女。俺は続けて言う。


「「肉体」の提供も厳しいです。父が亡くなった今、家族を支えるのは俺だと思っています。そんな俺が身を削れば、いずれ家族は崩壊してしまいます。なので、この身は削りたくないです」


 更に続ける。


「「情報」についても提供できません。俺は一介の学生で、バイト先も近所のスーパーです。大金に繋がるような情報は持っていません。そもそも個人情報や機密情報を売る気は無いです」 


 俺がこう答えるのを待っていたかのように彼女は言う。


「じゃあ、この3つが駄目なら最終手段を使うしかない。「倫理」だ。君は「倫理」を手放し、法を犯す覚悟はあるかい?」


 空気が張り詰めるとはこのことか。初めて経験する。 


 これはつまり「違法な手段での金儲けでも良いか?」と聞いているのだろう。健全な事業のアドバイスだけかと思っていたが、やはり一線超えたものも提案しているらしい。


 俺が首を縦に振れば、犯罪の計画会議が始まるのだ。ここでの対応を誤れば間違いなく今後の人生が大きく変わる。今までの日常生活には戻れなくなる。


 生ツバを飲む。俺は断固たる意思で答える。


「答えは「NO」です……! 先にも答えたとおり、今後の家族を守るのは俺です。犯罪はリスクが大き過ぎます」


 そう答えると彼女は至極つまらなさそうにため息を溢す。そして、スマホをテーブルに伏せ、テーブル上で腕を組む。


「さっき話したとおり、「覚悟」や「能力」に応じて提案するモノは変わるし、提案が難しい場合はお引取り願っている。申し訳ないが、今回は後者だね」


 そして続ける。


「安達さん。金を稼ぐことを甘くみないで欲しい。確かに私は金を稼ぐ方法を提案するが、あくまでもその方法でリスクをとるのは相談者側だ。それなのに、君ときたら「時間」も「肉体」も「情報」も提供できず、「倫理」を手放す「覚悟」すらないときた。何も失わず何かを得ようだなんて厚かましいし、おこがましいよ。毎日時間と肉体を削って働くサラリーマン達を侮辱している」


 淡々と語るその口調にはうっすらと怒りのようなものを感じる。その表情からは、最初の柔和な雰囲気が消え失せている。


「君は確かに礼儀正しく気遣いもできる家族思いの好青年さ。だが、それだけでは金にならない。それで金になるなら世界中みんな礼儀正しくなるし、家族を愛すさ。現状、世界はそうじゃあない」


 嫌気をさしたかのように頭を振り、彼女は続けて言う。


「事前に君のことを色々調べさせてもらったが、これといって功績もなければ努力の跡も見られない。つまりは稼ぎに繋がる「能力」も今のところ無いときた」


 酷い言われようだが、事実だ。


 これといった目標や志も無く、惰性で大学に入り自堕落な日々を送ってきた。父が死に、状況が一変した途端に躍起になったところで、遅すぎるのだ。


 自覚はしていたが他人に言われるとけっこう辛いな。


 そんな俺を見兼ねてか、彼女はふぅとため息をつく。そして、指をパチンとならす。全てが終わった合図かのように、はっきりと大きく冷たい音だった。


「こちらも慈善事業をしているわけじゃあない。覚悟も能力も無い者に手を差し伸べる気はさらさら無いよ。――というわけで、お引取りを」


 教室の後ろ扉が開いた。廊下のボディーガードが開けたのだろう。


 いつもの俺だったら、ここで何も言い返せずに惨めにトボトボと帰っていただろう。しかし、今は違う。


 たしかに身体を壊すようなことはできないし、犯罪に手を染める覚悟はない。だが、こんなあからさまにヤバい人と接触を決めた時点で、はしてきた。大事にしていたものを失うを。


 そして――能力がないと揶揄されたが、


「提案があります!」


 俺は身を奮い立たせ、席から立ち上がる。思っていたより大きな声を出してしまったが、彼女は眉一つ動かさず静観している。


「俺を、買ってくれませんか」


 ややあって彼女は鼻で笑った。


「すまない。もっとはっきり言うべきだったかな? 先程「君には値打ちが無い」と言ったつもりなんだけど。あいにく男娼を囲うつもりもないし、ボディーガードは既に2人も雇ってるいる。……2人と殺し合って勝てれば話は別だが、あの子達はけっこう強いよ?」


 言うやいなや教室後ろの扉からスタンガンとメリケンサックが顔を出す。いやいや、そういうバトル展開は望んでいないです。


「いえ、そういう意味ではなく……あなたなら俺以上に俺のを使いこなせると思うんです」


 すると彼女は少し困った様子で頭をかしげる。


「うーん、だから……再三言うけど、君には金を稼げるような能力は無くて――」


 彼女が言い切る前に、俺は手を前に付き出す。そして、


 ボッという破裂音に近い音が教室に鳴り響き、橙色の灯りが部屋を一瞬照らした。瞬間、廊下の2人がざわめいたが、彼女は微動だにしない。


 彼女は口を開き、初めて俺に驚きの表情を見せた。しかし、驚きながらも目ではしっかりとを見据えている。


 彼女の視線の先。俺の伸ばした手の先には、野球ボールほどの赤い炎が轟々と燃え盛っていた。時折パチパチと空気を焦がす音を発しながら、赤く煌めいている。


 これはもちろん本物の炎。今にも手先の皮膚がめくり上がりそうなほど痛く熱い。


 いくら彼女が学長と仲良しだろうと、用心棒を2人雇っていようと、個人情報を探る術をもっていようと、この事実だけは知る由もなかっただろう。なにせこれは俺が誰にも見せも、話しもしなかった秘密。生まれて初めて他人に打ち明けた事実。


 少し震える声で彼女に言う。


「わけあって1週間だけ「発火パイロキネシス」が使えるようになりました。この能力をあなたに買っていただきたいんです」


◇◆◇◆


 ――回想、終わり。未だ彼女は動かない。あぁ、そういえば回想の冒頭で俺は「どこにでもいる普通の大学生」と紹介したが、誠に申し訳ない。嘘だ。かなり特殊な部類の人間だと自負している。


 この1週間限定の力に目覚めたのは、俺が小学3年生の頃に遡るが、それはまた別の機会で語るとしよう。そんな昔話よりも、今は彼女との未来に向けた商談が先だ。


 炎の熱気にそろそろ耐えられない。指先が熱くて痛い。もう限界だ。俺は炎が消えるように念じると、ボッと音を立てて炎はその場から消え失せた。


 彼女に問う。


「さぁ、八意蛭子さん。この超能力、いくらで買いますか?」 


 昼下がりの教室。先程まで騒がしかった室内が静寂に包まれる。


「……フッ、ククク」


 静寂を破ったのは彼女。何がそんなにおかしいのか。俺は再度訊ねる。


「八意さん、あなただったら思いつくはずだ。この俺の「発火パイロキネシス」で、何か金を稼ぐ方法を!」


 息巻いた俺の言葉を聞くと、彼女は耐えきれないといった様子で大きく笑い始めた。


「アッハッハッハッハ! はぁー……ごめんなさい。こんなに笑ったの久しぶりだから、息が……」


 目に涙を浮かべながら息を整えている。やっと落ち着いたらしく、ふぅと一息ついた。そして、満足そうにニコリと笑う。


「いやぁ、私はどうも君を過小評価し過ぎたみたいだ、安達あだち磨智まさとさん。事前調査や先程の会話で、君をごく普通のつまらない人間だと判断していた。金儲けに繋がる「能力」なんてないと思っていたけど、まさか「超能力・・・」があるとは」


 顔を両手で押さえ込みながら、クククと笑いながら、続けて言う。


「そして、私をペテンにかけるその「覚悟」もたいしたものさ」


 彼女は笑い続ける。その笑いに怒りや侮蔑の意味は含まれておらず、単純に面白いから笑っているようだ。俺の人間性と言動のギャップが相当ツボにハマったらしい。


 笑うのは構わないが、信じてくれなきゃ困る。親にすら話していない秘密を打ち明けたのだ。ともすれば法を犯すこともいとわないこの八意やごころ蛭子ひるこに打ち明けた俺の覚悟たるや。「ペテンにかける覚悟」と言われたが、これはそんなちゃちな覚悟とは違うのだ。


「あなたを騙そうとはしていません! 信じられないかもしれませんが、この超能力は本物なんです!」


 ついて出た言葉が、我ながらなんの信憑性もなく、思わず赤面してしまったが、彼女は頷いた。そして、教卓の後ろにあるらしい鞄から、ペットボトルを取り出した。それは先週新しく発売された炭酸飲料水。コンビニで見かけた覚えがある。


 一口で飲み切れそうな分だけ残っていたそのジュースを、彼女は飲み干した。特に味の感想も述べることなく、無表情でペットボトルの蓋を閉じる。そして、空のペットボトルを俺に見せつけながら言う。


「じゃあ、証明してみせてよ。このペットボトルの中に炎を生み出せるかい?」


 なるほど、と俺は手を打った。たしかにやってみせれば話は早い。俺は頷き、早速念じようとした時だった。


「あ、ちょいと待ってね。念の為――」


 言いながら彼女はスマホをいじると、教室のカーテンが自動で締まり始めた。金属探知機が仕込まれているくらいの教室だ、自動で締まるカーテンくらいではもう驚かないが……それらはカーテンというよりは鉄の板だった。外からの干渉を完全に防ぐ鋼鉄のカーテンが締まり切ると、彼女は「はい、どうぞ」と言った。


「で、では、さっそく」


 俺は手をかざし、念じる。ペットボトルの中という、かなりピンポイントな箇所への発火は集中力がいるが――不可能ではない。


「ええいっ」


「!」


 見事、彼女の持つペットボトル内に小さな炎の塊が生まれた。ペットボトル自体が熱で解けないように、内部の中心をゆらゆらと漂わせる。


「消して欲しかったらすぐに消します。あまり長く燃やしてるとペットボトルが溶けちゃいますよ。で、どうしましょう。他に燃やしてほしいものは? 何をすれば信じてもらえますか?」


 俺がそう問いかける中、彼女はペットボトルを教卓に置き、色々な角度から眺める。ペットボトルの周りを手で探ったり、ペットボトルを持ち上げて軽く振ったりもした。


「あ、あの……炎のコントロールにはけっこう集中力がいるので、そろそろ限界かもしれません。一旦消して、別のもので証明を――」


 と、俺が言いかけた時、彼女は顎に手をやり大きく頷いた。


「分かった。信じる。君はたしかに超能力者だ」


 あぁ、そうだ。俺は超能力者だ。だから、それを証明するために次は何を――って、え?


「も、もう信じてくれるんですか? えらく早いですね」


 拍子抜けして思わず余計なことを聞いたかもしれない。しかし、彼女は答える。


「うん。信じる。だって、これ以上ないでしょ? 普段ならミネラルウォーターしか飲まない私が、たまたま立ち寄ったコンビニでたまたま買ったジュースだ。事前に細工は無理だろう。更に、電波も銃弾も通さないカーテンで締め切っているこの状況。部屋の外部からは何もできない。この部屋も私の管理下だ。入退室も記録しているから事前に小細工もできない」


 思ってたより改造されてたな……この部屋。逆に俺が呆気に取られていると、ペットボトルの中の火が酸素不足で音もなく消えてしまった。


「よって、超能力でもないとこんな芸当はできない。仮にトリックだとしても、人を騙せるには十分だ。いやはや、驚いた」


 言葉とは裏腹に淡々と語る彼女。むしろ俺のほうが驚いているのだが……ひとまず信じてもらえて良かった。


「さて、さっそく商談といきましょう。超能力者だと認めてはいるけど、君をいくらで買うかはこれから決める。まずはその力の程度・・を知りたい。どれぐらいの火力まで出せるのか、何時間燃やし続けられるのか、とかね。そもそも、1週間という期間が謎なんだけど――って、そんな遠くの席じゃ話し辛いじゃあないか。早く教卓前の席まで来てよ。一緒に考えましょう。超能力を使ったお金の稼ぎ方を」


「あ、はい」


 俺は言われるがまま、最前部の席に座った。


 そして、この発火能力について説明した。俺の目の届く範囲までは自由に発火が可能であり、燃やすも消すも自由だ。最大火力については俺自身知らない。あまりに大きな炎を出して、目立ちたくなかったため、全力を出したことがないのだ。


「あ、超能力が使えるのは1週間と言いましたが、発現したのが昨日なので、今日を含めて実質6日間しか無いです」


「わぉ、それは痛いな。――というか、なんで1週間だけってわかるんだい?」


 むむ。やはり説明せねばなるまいか。当然の疑問といえば当然の疑問だからな。


「実は、今までも何度かこの1週間限定の超能力に目覚めたことがあったんです。内容は毎回違いますけど。初めて目覚めたのは小学校3年生の――」


「あぁ、結構結構。話が長くなりそうだし、説明しなくていいよ。とにかく、そういうモノなんだね。さてさて、あと6日間か。どうしたものかなぁ」


 彼女は俺の回想をキャンセルし、困ったような口調で言うが、瞳はキラキラと輝き、口元はやはりニヤけている。クリスマス前のおもちゃ屋のチラシを見ている子供のような、もどかしさと喜びを全身から発していた。


「いやー、迷うねぇ。どこを脅そうかなぁ。火災が起こると一番困る会社、ってどこかなぁ。いやいや、この際、企業なんて言わずに国を――」


 おいおいおいおい。めちゃくちゃ物騒なこと考えてるな! 俺は慌てて止めに入った。重要なことを言い忘れていた。


「ちょ、ちょっ待って下さい! 言い忘れていたいました! この超能力を売るには、があります!」


「……え? 条件?」


 途端に彼女の顔が陰ったが、俺は続けて言う。


「売るには2つ条件があります。

 1つ目、『目立たない方法であること』。この超能力については、極力他人に話したくないんです。なのでテレビに出たり、大勢の人に知らしめる方法はとりたくありません。下手に有名になれば今後の俺の人生にも関わるので。

 2つ目、『法を犯さないこと』。最初の問答でもありましたが、犯罪はリスクが高い。俺は今後も家族を養っていく必要があるので危険なことはしたくないんです。――というか、そもそも悪いことはやりたくないんです。

 以上のことが守れなければ、売る気はないです!」


 俺がそう言うと彼女は心底うんざりした様子でため息をついた。


「ちぇっ、犯罪は駄目かー。そういや最初に法を犯す覚悟はない、って聞いてたね。となると……参ったな。せっかく色々考えたのになー」


 この短時間でどれだけ犯罪を計画していたんだ……。話せば話すほど彼女の怖さを思い知る。


 すると、彼女が急にフッと笑いだした。


「それにしても、立場が逆転しちゃったねぇ。まさか私に条件を突きつけてくるとは」


「あ……すみません、生意気言って」


「いいのいいの。あんまり無い経験だからね。案外楽しんでるよ。……やっぱり、この相談をやってて良かったなぁ。こんな楽しいことが起こるなんて。ウフ」


 そう言って彼女は今日一番の笑みを浮かべた。大人びた風貌からの無邪気な子供のような笑顔のギャップに、不意にドキリと心臓が脈打つ。


 いやいや、この人は犯罪者予備軍なんだぞ。否、予備軍どころか一軍クラス――それどころかメジャークラスか。こんな人に思いを寄せれば、それこそ今後の人生に関わる。


「それにしても、困ったなぁ。犯罪無しでお金稼ぎなんて、たかがしれてるんだよねぇ」


 彼女の言葉で現実に戻された。たしかに無茶な依頼だったかもしれない。先程から「できない」ばかりを言う俺も悪い。これでは金の打診だけする金の亡者だ。だが、俺はそんな無責任でも金の亡者でもない。一応、考えならある。


「一応、俺もプランを考えて来ているんです……」


 声に出した途端、自信がなくなりトーンダウンしてしまった。


「ほう、聞かせてくれる?」


 それでも彼女は真摯に聞いてくれるようだった。なんとなく自信がつき、続ける。


「火力発電所に1週間務める、ってのはどうですか? 大きな所なら、6日間でもかなり稼げると思うんです!」


「んー……、ボツ」


「だ、駄目ですか……ちなみに、何故です?」


「まぁ、悪くはないんだけどね。100万kWの火力発電機を6日間24時間、君が発電したとしよう。石油発電での発電コストが――燃料費だけの概算で1kWhあたり15円としよう。100万×6×24×15=21億6千万円か。素敵な数字だね。でもね……君、「同時同量」ってご存知?」


 まるで数学の授業のようだ。数字の弾丸を浴び、最後には途方もない額を突きつけられ、軽く目眩のようなものを感じる。


 ……で、何だって? 「どうじどうりょう」? 聞き馴染みのない言葉だ。俺は首を横に降る。それを予期していたかのように彼女はすぐに説明する。


「電気を作る量と消費する量は常に同じにする、ってことさ。電力は貯められないから、常に需要量と供給量を調整し続けなければならないのさ。火力発電は他の発電方法と違ってコントロールがしやすいから、細かい調整力が求められている。先程、ペットボトル内の炎を操るのですら、苦しそうな顔をしていたけど……6日間、寝ずに炎の微調整をし続けられる?」


「無理っす……」


「だよねー。寝落ちしちゃって、大停電になれば大変だ。そんな不安定な力に電力会社も頼りたくないだろう。もしも停電を起こせば、損害賠償が発生するか。そうなればむしろ稼ぎはマイナスになっちゃうかも」


 たしかに炎のコントロールは難しく、集中力も必要だ。それなのに6日間寝ずにコントロールし続けるなんて――1日でも厳しい気がしてきた。


「第一、電力の調整には発電所の人間の協力も不可欠だから、君の超能力を彼らにバラす必要がある。あと、電力会社は国へ燃料費について報告しなきゃいけないんだけど、君が発電した分、彼らは嘘の申告をする必要がある。……国を騙すのはリスキーでね、彼らも渋るだろう。できれば私もやりたくない」


 なるほど、たしかにそれでは俺の条件である『目立たない方法であること』と『法を犯さないこと』に抵触してしまう。


 「はぁ。さてさてどうしようかね」と彼女が独りごちる中、俺はポツリと呟いた。


「んむむ。1週間消防士になる、ってのも考えましたけど、流石に1週間じゃ稼げないか。いつ、どこで火災が起こるかわからないし」


 俺のこの発言に彼女は眉を顰めた。


「……ん? ちょっと待って。今のどういう意味?」


「ですから、消防士になれば、どんな火災も一瞬で鎮火できるので役に立つかな、と」


 俺がそう答えると、彼女は急に立ち上がり、言う。


発火パイロキネシスって、文字通り自ら炎を出すだけじゃないの? 既に存在する炎も操作できるの!?」


 驚いているのやら怒っているのやら。とにかくあまりの気迫で言うものだから、俺は言葉を出せず無言で頷く。


 すると、彼女は顎に手をやり、何か考え始めた。そして独り言で「6日で全てを回れるか……?」「移動・時差も考えると……」などとブツブツ呟き始めた。


 話しかけてはいけない雰囲気だった。ひとまず様子を見ておこうと思う。すると、急に彼女はスマホをもの凄いスピードで操作し始めた。


 一体何が起こっているんだ――?


 10分くらい経った頃。俺がハラハラしていることなんてお構いなしに、彼女はスマホ画面を見ながらニヤリと笑った。


 そして、次の瞬間、机の下のカバンからタブレット端末を取り出し、また何やら操作し始める。そして、操作の合間に、


「買うよ、君の超能力。きっかり5000万円でね」


 と、言った。


 ……え、商談成立? こんなあっけなく決まるとは思っていなった。


「ま、まさか、「太陽の炎を消すぞ」って、全世界を脅してお金を要求する訳じゃないですよね!?」


「なぁに言ってんだい。犯罪は駄目って君が言ったんだろう? そんなことしないよ。……まぁ、犯罪OKならそれがベストかも? 君も存外悪いこと考えるの上手いじゃないか」


 なとど言いつつも彼女はタブレットを打ち込む。そして、打ち込み終えると俺の方にクルッと回して画面を見せつける。


「はい、準備できた。契約書。サインして」


 画面には小難しい言葉がズラリと並んでいた。軽い目眩を感じながら、上からゆっくり読み、とりあえず5000万円は貰えることを確認。細かいところは良くよくわからないが……とりあえずサインした。


「うんうん、ところで君、パスポート持ってる?」


「あ、はい。家にありますが――」


 何故そんな質問を? と首を傾げている間も、彼女はまたスマホをいじり始めた。


「良かった。まぁ、なくてもなんとかしたけどね。車を出すから、今から取りに行こう」


「え、あ、はい。ちなみに、パスポート持ってどこへ?」


「なぁに、行きしなに教えるさ。ほらほら、急いで。君はもう私のモノなんだから、チンタラしないの」


「あ、はい……」


 彼女に急かされ、席を立つ。そして、背を押されて教室の外へと向かった。


 一体、何が起こるのだろうか。1週間後、俺は本当に5000万円もの大金を手に入れることができるのだろうか……?


◇◆◇◆


 ――そして、1週間後。


「はい、約束の5000万円」


「あ、はい……。ありがとうございます」


 大学近くにポツンと建つ、とある寂れたビルの目の前に俺と八意さんは立っている。俺は八意さんから受け渡されたアタッシュケースを恐る恐る地面に置き、中身を確認。……たしかに本物の現金だ。念のため枚数を確認したいが、彼女のことだ5000万円きっちり入っているのだろう。アタッシュケースを閉じ、持ち上げようとするが、彼女がそれを制した。


「待って。最後にもう一仕事あるよ。このビル、燃やして」


 彼女が指差すのは目の前の寂れたビル。ビルの両隣は誰も人が住んでいないような廃れた民家のみ。


「ほ、本当に燃やしてもいいんですか?」


「しつこいなぁ、前にも説明したろ? これは計画の最終工程。2階にあるあの部屋一室だけでいいからさ。ここは私の管理するビルで、元々取り壊す予定だったし。保有者の私が良いと言っているんだ。周りの家も無人だし、誰にも迷惑は掛からないことも保証する。もちろん、君自身もだ。後で放火で訴えることもしないよ。そもそも「超能力で燃やした」なんて警察も立証できないだろうけど」


 そう言われても気が引ける。放火なんて、重罪じゃないか。犯罪はしないという約束だったはずだが――彼女は「落ち葉で焼き芋を燃やすのと似たようなもんさ。早く早く」と急かす。彼女が指差す部屋にも人は居ないみたいだし……やるしかないのだろう。


 俺はビルに手を伸ばし、意識を集中する。


 ……えいっ! 心の中でそう唱えると、ビル2階の一室に火の手が上がる。それを確認すると八意さんは満足そうに笑った。


「さて、これにて万事完了だね」


 ハラハラする俺に対して満面の笑みを浮かべる彼女。それにしても、理解が追いつかない。


「ここ1週間で世界中の炎をが……このビルを燃やすのは何故でしたっけ?」


「えー! 説明したじゃないか〜。……もしかして、行きの飛行機で説明した今回の筋書き、理解していなかったのかい?」


 彼女はいかにもうんざりした様子をするが……し、仕方ないだろ……?


「あんなドタバタした状態で、一回だけ説明されても! 世界一周も、プライベートジェットに乗るのも初めてで……説明をちゃんと聞く余裕なんてなかったです……」


 あの商談が成立した後、俺の家までパスポートを取りに行った。その後、国際空港まで直行し、彼女が保有するという飛行機に搭乗。その後はどの順番で回ったのか覚えていないが、とにかく世界中を飛び回った。たしかアメリカ、ロシア、インド、それから……駄目だ、経由地点も含めるともう訳がわからない。


「移動中だって、八意さんはずっとスマホで誰かと連絡を取り合っていたし……話しかける隙なんて無かったじゃないですか」


「ふむ……そっか。まぁ、仕方ない。消防車が来るまでおさらいしましょうか」


 彼女はいつの間にか消防署に連絡をしていたようだ。スマホを懐に収め、ようやく一息ついたらしく彼女は語り始める。


「消防活動では儲けられないと君は言っていたが、大きな間違いさ。消防活動でも儲けられる。さて、それはどのような方法で? どこで? ――それはアメリカ・ペンシルバニア州のセントラリア、そしてインドのジャリア地区、トルクメニスタンのダルヴァザだ。……流石に訪れた地名くらい覚えているだろう?」


 たしかに訪れたが、未だにピンと来ていない。彼女は続ける。


「これらはいずれも延々と燃え続ける地底火災や坑内火災の現場。つまりは、何十年間も燃え続けている火災現場・・・・・・・・・・・・・・・・なのさ」


 思い返すと、たしかにそんな場所ばかりだった気がする。外国語が少しでもわかれば現地の人に何かしら聞けたのかもしれないが、あいにく俺は日本語しか使えず誰とも話すことは出来なかった。


「長年燃え続け、ついには国からも消火が諦められた場所。人も立ち退き、そこに残る資源も手つかずのまま。だがしかし、危険な区域なゆえ、監視は必要。更に、ここから出るCO2の排出量を減らすために、毎年どれほどの温暖化対策費用が消えていくのか。――あぁ、なんて金のかかる場所なのかしら」


 頭を抱えフラつく小芝居をする彼女。しかしすぐに得意げな顔で語りを続ける。なんだかノリノリである。


「さて、そんな状況下で稼ぐための筋書きは、こう」


 彼女は今まさに燃え盛っているビルの一室を指差す。


「日本にとある小さな研究所がありました。そこでは鎮火物質の研究をしていました。そして、世界中の役人とパイプを持つ私こと八意蛭子に、是非とも実際の火災現場で鎮火物質の実験を行いたい、と依頼しましたとさ」


 そして今度は俺を指差す。


「すると、なな、なんと。派遣された若手の研究員がその鎮火物質を火災現場に落とすと、見事に長年燃え続けていた火災現場を鎮火できました。そして、研究員達は実験記録をまとめ、日本に帰りましたとさ。ーーま、実際は帰らずに他の国々でも同じ要領で鎮火ていったんだけどね」


 俺はようやくここ1週間の行動の意味を理解した。俺が今、意味も分からず羽織っていたロゴ入りの作業服は、その架空の研究所の制服というわけだ。


 それにしても、各国の役人達とメールや電話で簡単にアポイントメントを取りつけるなんて、一体どんな交流関係を持つんだ、この人は。金稼ぎのためのアイディアとそれを実現できる行動力と人脈。大学の都市伝説にもなった女、八意蛭子は伊達じゃないことを改めて知った。


 ――ところで、話は戻るが凡人である俺には目の前のビルを燃やしている意味は分からない。これも先日説明していたのだろうか?


 理解できていない俺の心を読んだかのように、彼女は説明を再開した。


「でだ。しかし、彼等が研究所に帰ると、なんと! 研究所が燃えてしまいましたとさ! 皮肉にも鎮火物質を作るための資料が燃えてしまい、研究所は消滅。意気消沈した研究員も解散となってしまいましたとさ。めでたしめでたし」


 どこがめでたいのやら……。しかし、なるほど。研究所が跡形もなくなればこんな偉業を成し遂げた俺達の身元調査もなくなる、と。――いやいやいや、そんは上手くいくか!?


「長年火災に苦しんでいた国々を救って、その謝礼金を受け取ったんですよね!? いくら研究所が解散になったからって、こんな大ニュースを世界中のマスコミが放っておきますか!? 世界中からこの研究所――ひいては俺のことを調べられちゃいませんか!? 最初に約束した『なるべく目立たない方法であること』の条件を破ると思うのですが……!?」


 まさか、この八意蛭子がそんな浅慮なわけ無いと思いつつも、身に迫る数多のマスコミ陣を想像すると落ち着いてはいられない。背中の冷や汗を感じながら詰問するが、彼女は涼しい顔で答えた。


「あぁ、安心したまえ。の約束は守られるさ。というのも、今回の件がニュースに載ることはないと思う。鎮火の報道がされるのは……まぁ、2,3年後ってところかな」


「……え? 国すらも諦めてた大火災なんですよね? それに、こんなに謝礼金も出たのに? ……ってか、なんなんですか「そっちの方の約束は」って。まるでもう一方は守られないみたいな言い方……」


 もう一方というのは言わずもがな、『法を犯さないこと』だ。まさか、知らず知らずのうちに何か法を破ることをしていたのか……!? 再び冷や汗が背にジワリと滲む。


「おっと、ごめんごめん、失言だ。大丈夫、法に触れていない。ただ――今から話すのは、あくまで仮定の話だ」


 何やら厚い予防線を張るような言い方に違和感を覚える。が、ひとまず聞こう。


「大損害を被り、税金を使いながら監視し続けていた火災現場が、小さな国の名も無い科学者達にあっさり解決されてしまったら、それをどう国民に伝える? 私だったら怖くて伝えられないねぇ。「今まで何をしてたんだ!」って国民から非難されちゃうよ。あー、困った困った。……だがしかし、運の良いことに、その颯爽と現れた科学者達は勝手に消え去ってしまった。――と、なればどうする?」


 やたらと現実味のある心情も交えた仮定の話。だが、まだ話が見えない。話を続けてもらうよう頷くと、彼女はキラキラと目を輝かせ、いきいきとした様子で話を続ける。


「「自分達が解決したことにしよう」って考えるのが賢いズルい人間の思考さ。「実はこっそり内々で研究チームを発足しており、長年の研究の成果で見事鎮火できました!」というのをに報告するのさ。「長年の」ってのが肝でね。期間が長ければそれだけ研究費用を国から頂戴できる、てわけ。既に鎮火という成果だけは出てるから、何もしなくて良い。後は、この事実を知る者達にだけ、口を閉ざしてもらう・・・・・・・・・ってなわけさ」


 ということは、つまり――。


「じ、じゃあ、このお金って謝礼金じゃなくて……!」


 研究員は露と消えてしまったが、八意蛭子は存在している。そんな彼女への……!


 彼女は笑った。今日一番、否、ここ1週間で一番の笑み。静かに目を細くして微笑むだけだったが、目の奥にどこか深みというか、闇が垣間見える。それこそまさに、沼の奥底でひっそりと佇みながらも、一度獲物を捕らえれば際限なく生き血を啜る蛭のような陰湿さを感じた。あぁ、これこそ出会う前にイメージしていた「蛭子」という名に相応しい人格だ。


 よもや俺が言われるがままに超能力を使っている間、そんな目論見を企てていたとは。これではまるで――。


「国を使った詐欺じゃないですか……! これじゃあ『法を犯さないこと』を破ってる! それに……あなただって言ってたでしょう、『国を騙すのはリスキーだ』って!」


 俺がそう言うと彼女はやれやれといった様子で応える。


「安達君、言葉は正しく使わなきゃ。国騙してはいないよ、国騙すんだよ、国民をね。それに、最初に言ったでしょ? これはあくまでだ、って。本当にそうするかは彼ら次第さ。もしかしたら素直に国民に報告するかもしれないだろ? 君は意外と、人の善性に懐疑的なんだねぇ」


 ニヤニヤと笑う彼女。詭弁もいいところだ。確実にそうなるように仕向けておきながら、あくまでも仮定と言い張るなんて。


 俺が言葉に詰まりながらも睨みつけていると、彼女はわざとらしく肩を竦めて恐縮そうに言う。


「そんなに睨まないでよ。第一、まだ彼ら何もしていない。もう一度言うが、これは仮定の話。――もしも、君が全ての真実を包み隠さず公表したい、というのであれば、私は止めはしないよ。ただし、それは君の判断であり、私は何も関係ないからね」


 ……なるほど、俺が正義感をかざして世間に事の真相を話せば(信じてもらえるかはともかく)、彼女自身が『なるべく目立たない方法であること』という契約を反故にしたことにはならない。


 同じように、各国の要人たちが事の真相を隠蔽し、詐欺まがいのことをしたとて、それはあくまでも要人たちの判断。彼女の責任範囲外であり『法を犯さないこと』という契約を破ったことにはならない。


 たしかに目立つことなく、犯罪でもなく、金を手に入れることができた。だが、これを不当正当と問われると――限りなく不当に近い。


「こんな、後味の悪い結果になるとは思っていませんでした……」


 そう言うと、彼女はわざとらしく、至極残念そうに肩を竦める。


「ありゃりゃ、そりゃあ残念。……じゃあ、こう考えてよ。今のところ、私の元へは1円もお金は入っていないんだ。だからそのお金は私からの謝礼金――ただの感謝の印ということで、心置きなく受け取ってくれよ」


 遠くからサイレンの音が聞こえる。まもなく警察と消防がここに駆けつけるのだろう。もちろん俺達を逮捕するわけではなく、この燃えるビルの後始末をするために――って、しまった。話に夢中で忘れていたが、ビルの炎を抑えなければ。このままでは周りの建物にも被害が及ぶ。


 既に着火元の階の窓から炎が溢れ、轟々と空気を焦がす音を鳴らしていた。俺はそこに向け手をかざし、消えるように念じる――が、あれ?


「き、消えない。……まさか!」


 そうか、たしか発火パイロキネシスに目覚めて今日でちょうど1週間だ。目覚めた正確な時刻までは把握していなかったが――まさか、今この時がタイムリミットだったとは。最悪のタイミングだ……!


 このままではこのビル全体が炎に飲み込まれてしまう。焦る俺を尻目に彼女はニヤリと笑う。


「あぁ、良かった。1週間という制限は本当だったんだね。いつ使えなくなるかヒヤヒヤしていたけど、だね。半焼なんかより、全焼のほうが保険も降りる。君をどう説得して全焼させようかと考えてたが……長話が功を奏したね」


 クククと笑う彼女。えも言われぬ不快感に包まれ、俺は毒づく。


「……こんなの『法を犯さないこと』に反しています」


「あら? 誰も訴えなければ罪にはならないのさ。先に説明したとおり、君を訴える気なんてさらさらないよ。こんな面白く稼げるビジネスパートナー、手放すわけないだろう」


 俺の苦言を軽くいなし、彼女は俺に握手を求める。


 しかし、その手を取る気にはなれなかった。俺は形式的な軽いお辞儀をして、一歩退く。


「……お世話にはなりました。でも、正直あなたとはこれっきりにしたいです」


 これ以上関われば、おそらくもっと深い闇――蛭の住まう底なし沼へと引きずり込まれる気がした。


 意外にもすんなりと彼女は伸ばした手を引っ込め、少し寂しそうに微笑む。


「あーあ、フラれちゃった。ま、いいさ。……もし、今後また超能力に目覚めた時は是非ともご連絡を。また2人で稼ぎましょ」


 サイレンの音が徐々に大きくなってくる。気づけば野次馬もそこそこに集まってきた。こんな所で大金を抱えていれば怪しまれる。


 周囲を気にする俺を気遣ってか、彼女は大通りへ視線を流し、「もう行けば?」と促す。超能力も使えなくなった俺に用も無いのだろう。このビルことは、彼女に任せることにする。


 俺は無言で会釈し、踵を返す。受け取った時よりも重く感じるスーツケースを抱え、人混みを掻き分けて進む。とにかく、早くこの場から――彼女から逃げなければ。


◇◆◇◆


 あれから一週間後。


 無事に父の借金を返済し終えた俺達家族は、ようやく落ち着いて亡き父の身辺整理に勤しむことができた。思い出の品が出てくるたびに母と妹と俺で少し哀しみながらも笑い合っている。


 ちなみに、2人には俺がどうやってあの大金を稼いだか話していない。適当に「投資が上手くいった」と誤魔化した。2人は少し不思議な顔をしたが、なんとか納得してくれた。……やはり我が家は俺がしっかりせねばと改めて思う。世の中には思いもせぬ方法で金を搾取する人間もいることを、この純真無垢な2人には想像もつくまい。


 父の書斎の本棚を整頓しながら、俺は彼女のことを思い返していた。あの後、やはり世界中のニュースで地下火災が鎮火したことは報道されなかった。俺が燃やしたビルのニュースも、夕方の地方ニュースで手短に報道される程度だった。俺の元へマスコミや警察が駆けつけることもなく、万事、彼女の思い通りになったという訳だ。母と妹はもちろん、世の中の多くの人がまさかあんな裏金が回っていることは露ほども知らず、今日も平和を享受している。


 いま思うとあの1週間は現実だったのだろうかと疑いたくもなる。俺がそんな世界の裏事情に関与するなんて、信じられない。そもそも、父の作った5000万円の借金なんてのも夢だったのでは? そして、あの美しくも計算高い悪女――八意蛭子なんて人も幻だったのでは?


 片付けの手が止まり、ぼんやりとしていると、押入れを整頓中の妹がまた何か見つけたらしく大きな声をあげる。


「兄ちゃん兄ちゃん! またアルバムがてできたよ。見る?」


 また思い出の品を掘り当てたようだ。先程ホームビデオを見つけた時は小一時間ほど作業が止まってしまった。このままでは埒が明かない。


「片付けが一段落してから母さんと一緒に見ようか。あ、そうだ、納屋の片付けをすっかり忘れてた……。ここの整頓は任せていいか? 俺は先に納屋に行ってる」


 「はーい」という妹の返事を聞きながら、俺は納屋へと向かう。あぁ、忙しい忙しい。あの非現実的な世界にかまけている時間など俺にはないのだ。この雑多な現実をせせこましく生きているのが性に合っている。彼女――八意蛭子のことも、もう忘れよう。きっとこれから先、彼女と関わることも無いのだから。


 気持ちを切り替え、納屋の扉を開く。


 この時、俺はまだ知らなかった。数分後に納屋から新たに父の借用書が発見され、まだ多額の借金が残っていることを。ましてや、この借金の返済のため、再び彼女と相見えることを――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

この超能力、いくらで買いますか? 梅枝 @umegaeryosuke

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ